早朝が真冬と変わらないくらい冷たくなる季節になると、ランチアさんはしょっちゅう、あたしをポケットの中で握る。




「ランチアさん、六時半です。」

「ああ。アラームを消し忘れていたな。」

「いいですよ。アラームがないと、ランチアさん偶に昼まで電源入れるの忘れてますから。」

「…悪い。」

「いえいえ。ところでランチアさん、朝ご飯はどうしますか。」

「いや…、あまり食欲が湧かない。昼にまとめて」

「駄目です。今すぐ朝食を食べないと大音量で日本の痛いアニメソング着うたを流します。」

「頼むから止めてくれ…。」

「ならご飯を食べて下さい。いいですか、ランチアさん。ランチアさんは細いし筋肉質なんですから、体内から体を温めないと寒いでしょう。風邪も流行る時期ですから、規則正しく生活しましょう。」

「お前にヘルスケア機能なんて付いていたか…?」

「いいえ、これはただのあたしのおせっかいです。」

「…そうか。」



冬の灰色とも、夜の銀色とも違う、明るさと暗さの中間に染められながら、ランチアさんはあたしの知らない早朝の街を行く。

白い石畳を靴が叩く音しか聞こえないここで、盛大に痛着うたを流したらそりゃ痛いやつでなくても近所迷惑だろうなあ。
我ながら恐ろしい脅しをかけたと反省しているその間も、ゴツゴツした指はあたしを包む。あったかくて重厚で、まるで防寒着みたいだ。



「イヤホンでも付けませんか。ここは静か過ぎますから。」

「…そうだな。」

「パン屋さんならもう開いてるところもありますよ。」

「…ああ。」

「…ランチアさん。」

「……。」

「いや、もうしつこくご飯食べなさいとは言いませんから身構えないで下さい。」

「あ、ああ。」

「で、それとは別に聞きたいことがあるんですが。」

「…?何だ?」

「ランチアさんはあたしを握るのが好きなんですか?」



靴音のリズムが乱れたのを、未だ握られたままあたしが気付かない筈がない。これはどうやら、ランチアさん的に突っ込んで欲しくなかった事柄のようだ。



「いや…その、何だ…、」

「はい。」

「……近頃は、冷えるだろう。」

「はあ…温かいってことですか?」

「…ああ。」

「…いやいや、電源入れて使ってないと冷たいまんまでしょう。機械ですから。電源入れてない時も握ってますよね?」

「……。」



遂に黙ってしまったランチアさんの手は、いつにも増して温かい。うん、これ以上つっこむのは酷な空気です。

言い淀む理由が分からないけど、機嫌を損ねてやっぱり朝ご飯を食べないという反乱に出られては大変困るので、あたしも黙って握られたままでいることにする。と、




「俺は、お前の体が気に入っている。」




なんて、唐突にランチアさんは呟いた。

意外にもはっきりとした口調に思わず上を見上げると、そこにはいつも通りの精悍なお顔。冗談を言っているようには見えない。──でもね、ランチアさん、



「その言葉選びは残念ながらいかがわしい感じです。」

「な、」

「しかも捉え方によっては最低部類の発言になります。」

「いや、いや違う。」

「まさかランチアさんからそんな台詞を聞けるとは…。」

「待て誤解だ。違う、俺はただ、お前の体の…ら、ライン?が気に入っていると言いたかっただけで、」

「あはは、それもギリギリアウトだと思いますけど、分かってます分かってます。ボディライン、つまりあたしのフォルムが気に入って下さっているから、あたしをよく握ってるんですね?」

「分かってるならあまりからかってくれるな…。」



うーん、朝から疲れさせてしまいましたね。だってあんまりにもあれな言い方なんですもん。こちらに合わせて日本語を使って頂いている身で失礼なんだけど、突っ込まずにはいられない。そしてランチアさんはこれくらいでは怒らないんだなあ。

それにしても、そうだったのかー。ランチアさんがあたしのフォルムを気に入って下さっていたとはなあ。わざわざ世界的に見ればマニアックな日本製のガラパゴスケータイ、略してガラケーを使っている理由が今更ながらに分かりました。



「あれですか?ランボ君が布団の端を口に当ててると落ち着いて眠れる、みたいな。」

「ランボのそれと同じにされるのはいい歳をして問題だとは思うが…そうだろうな。お前の形は手に馴染む。触っていると落ち着くんだ。」

「それは光栄なお言葉です。」



ただ残念なことに、あたしのように丸みと厚みがある携帯は、今や日本でもめっきりお見かけしない。

時代は常にスマートを求めている。パカパカは何とか健在だけれども、今の携帯業界のデザインの趣向は、兎に角薄く、軽く、四角く、という感じだ。当然と言えば当然の流れ─とは解っていても、全盛期の遊び心がなくなってしまったのはやっぱり惜しい。
そして進化は、定めた型をも飛び越えていく。



「ランチアさんはスマートフォンっていう物が出るのは知ってますか?」

「ああ、新しい端末機器だろう。詳しくは知らないが。」

「これからはケータイからそちらに代わっていくと思います。」

「…何故言い切れる。」

「ケータイの勘ですね。」



少なくとも、日本ではそうなるだろう。何せ新しい物好きのお国柄、携帯電話でやれることはやり尽くした感もあることだし、丁度良い機会なのだ。

そうしたら、益々あたしのような携帯はいなくなってしまうだろう。せめて修理くらいはもう暫く続けてほしいものだけど、それはあくまで向こうの匙加減。だから、




「だから、沢山握っておいて下さい。できれば電源もいつも入れて下さい。傍に居られる間は、嫌なことも苦しいことも、一緒に感じさせて下さいよ。」




望まなかった過去を償う為に、あちらこちらと走り回り、心を削るランチアさん。携帯にすら心配をかけさせまいとするランチアさん。
そんなあたしのご主人様が、あたし自身で少しでも癒されているというのなら、こんなに嬉しい事はない。

でも、人間より大分寿命の短いあたし達は、ずっと寄り添うことは無理なんだ。
今度は完全に足を止めてあたしを見つめたこの人だって、それは知っている。




「俺は、巴以外に持ち代えるつもりはない。」




それでもそう言ってくれるこの人の為に、できる限りは長生きするとしよう。まあ、何といっても防水加工に丈夫さ重視の厚めなボディは、普通の携帯よりは耐久性はあるので、握力のありまくるランチアさんに握られ続けたとしても、ポカポカし過ぎて湿気レベルになったとしても、簡単には壊れませんよ。




「ランチアさん。」

「ああ。」

「今日も寒いですねえ。」




白い石畳の道を抜けて、柔らかな土の上に踏み出せば、温かい金色の朝日を浴びる。

何だか神々しい日の出に目を細めるランチアさんの横で、そういえば機械も神様に祈りは届くのだろうか、と考えた。

その直後、間髪入れずに出た結論は、まごうことなき日本製らしい答え。



「祈るだけならタダですね。」

「何がだ?」

「タダ祝詞。」

「…??」







機械も神様に願うことができるのなら、どうかどうか、お願いします。

あたしが彼の手を離れるその時には、ランチアさんの辛く苦しい思い出を、少しでも持っていけますように。






【ランチアと寄り添う物】






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