巴という少女は、謙信様の夢の御託宣に現れ、実際に慶次が見つけ助け出した、不思議な少女だ。

運命に振り回され、どうにも人に頼るのが下手な、腹が立つくらい不憫な人間─それが、城に滞在して間もない頃の印象。

だがこいつは、そんな運命の渦に居ながら、恩を重んじ、全ての出会いや縁を受け入れ、逆境に阻まれても前に進むことを止めない。そんな力強さと、先述した弱さ全てが、巴という少女だと理解した時、私はようやく、この少女を受け入れることができた。謙信様が、見守ることを誓った者として。






「かすがさーん!」

「、っ!巴!戻ったか!」

「はい!ただいま帰りました。」

「怪我はないか!?無事でよかった…っ!道中、慶次に妙な事はされなかっただろうな!?」

「かすがちゃんの中の俺の認識ってどんななんだろう…。」

「け、慶次さん!かすがさん流の冗談ですよ!お陰様で楽しい旅でした。住んでた所は見つかりませんでしたけど、慶次さんの叔父さん達が、色々協力してくれるって言って下さって。」

「…そうか。」



やはり、そう簡単には見つからないものか…。頼りは幼い頃の記憶しか無い上に、辺鄙な所にある集落なのか、巴が唯一覚えていたその地名は、私も慶次も知らなかった。こうなったら、心当たりのある地域を、虱潰しに探すしかない。

兎に角、まずは謙信様に謁見をさせなければ。巴が発ってから、その身を案じて心を削っていたのは、私だけではない。

しかし、そんな私の心を知ってか知らずか、謙信様と向かい合った巴は、あっけらかんとこう言った。



「それでですね、慶次さんと話し合って決めたんですけど、次から一人で発とうと思って。」

「……。」

「……。」

「…えっ?何で二人して俺を睨むんだい?」



目的の土地を測り出せない以上、手分けをして探した方が僅かにでも効率が上がることは確かだ。慶次とて移動の速度は一人の方が速いのは事実で、元より風来坊と呼ばれる、遊び人たるコイツに合わせて巴が付き合う形になれば、余計な手間暇を裂くことは間違いない。

だが、まだ幼さの残るこの少女を、お人好しでどこか抜けている巴を、まさか一人で旅に出させるなんて、そんな…!!



「私は認めない!!慶次、貴様!巴がまだいたいけな少女だと解っているのか!!」

「い、いたいけって…。」

「勿論解ってるよ。その上で、今回一緒に旅をして、大丈夫だって判断したんだ。俺達が心配するより、巴はずっと旅慣れしてるし、強い。信じてやってくれよ、巴なら大丈夫さ。」

「っ…しかし…!!謙信様…!」

「…わたくしもいちように、ともえがひとり、たびをすることは、さんせいできません。」

「上杉さん…。」

「なれど…ともえ。わたくしたちに、そなたのいしをくつがえすちからはない。そなたのけついは、それをしって、かんがえ、きめたこと…そうですね。」

「…はい。」

「おもうままにゆきなさい、ともえ。けしてそなたは、ひとりきりではない…それだけは、ゆめゆめわすれてはなりませんよ。」

「忘れたくても忘れられませんし、忘れたいとも思いません。あたし、上杉さんもかすがさんも慶次さんも、大好きですよ。」

「ふふ…それはまこと、うれしきこと。」

「へへっ!俺も巴が大好きさ!」

「……。」



こいつはこんな風に、時々臆面もなく心内を口にする。いや…他人に対しての、心内か。人への気持ちは明け透けなく伝える癖に、自分の個人的な感情は口に出さないのだから。

巴は、今までの経緯や異国の話をする為に、多くの言葉や見解を口にした。しかしその中で、己の感情を伝えることは最低限しかなかったように思う。客観的な説明や感想は、聞き手側からすればとても簡潔で分かり易い。だが、巴の経験した全ては、その簡潔さの何倍も、様々な感情が入り混じっていただろうに。

例えば、海で波に浚われた事。それも、行きと帰りの二度だ。幸運さえなければ当然の如く溺死していたのだから、その恐怖は相当なものだっただろう。
異国での旅の間、何度も命の危機に晒され、戦にも巻き込まれたこともあると聞く。
己の苦痛でなくとも、飢饉に襲われた村や、度の過ぎた処刑など、辛辣な現を目の当たりにした時、この人の良い少女は、酷く苦しんだに違いない。

だが、言わないのだ。慶次は知らないが、謙信様はそれを解っていらっしゃる。解っていながら、追及するようなことはなさらない。だから私も、追及はしない方が良いのだろう。…どうにも、胸の内は晴れないが。






「お前は忍のようだ。」

「え。あたしがですか?」

「ああ。」



分かれて動くことになった慶次が、道中、巴の兄を探す為に、彼女の絵姿を描くことになった。

双子として生まれた巴と兄は、見目が瓜二つらしい。子どもの頃の話だとは言うが、面影は残っている筈。それを慶次に持たせ、探させるという寸法だ。

彼女の特徴を逃さない様に筆を滑らせる中で、戯れに零した私の言葉は、巴には意外だったようだ。



「うろついたらマズい所を歩いてて、スパイ…忍?間者?に間違われたことはありますけど…どの辺が忍みたいなんでしょう?」

「非凡な戦闘力があるのに、日常でそれを感じさせない平凡さを兼ね備えている辺り、忍のそれに似ている。」

「戦闘力というか…護身術なので、そんな大層な力はないんですけども…。それに、別に隠しているわけでは。」

「知っている、私はな。だが、他の忍がお前を見たら、疑われることもあるかもしれない。只でさえ身元がはっきりしていないのだから、重々気を付けるんだぞ。」

「忍の人と関わるような機会はここだけだと思いますけど、なるべく気を付けます。」

「…それに加え、感情を押し殺す様が尚に疑いを募らせる。」

「…ああ。」



匂わせた本題に、巴は全て察したような相槌を打つ。

…私は、追及する気は無い。無いが…せめて、気付いている者がいることは自覚させておかなければいけない気がした。謙信様の助力と信頼を賜っておきながら、巴の立ち位置は未だに不安定に見える。まるで妹を可愛がるような慶次と共にいても、前田夫妻の厚意を得ても。

そんな風であるのに、私などが一言口を出したところで、何が変わるわけも無い。但し、私が知っていることは、謙信様が知っていること。それさえ伝われば。



「心に刃を当てるで、忍ですもんねぇ…。」

「…俯くな。顔が隠れる。」

「すみません。」



素早く顔を上げた巴と目が合う。弱々しく呟いた割に、その瞳には迷いが無い。今度は私が俯いた。

紙の中の巴は、殆ど完成している。



「言葉にすると、怖いんです。怯えた感覚を思い出すと、体が竦みます。行動を起こすのが怖くなります。…何もしなければ、それ以上に辛いことは、出来る限り避けられますから。」

「……。」

「でも、一番恐れてるのは、それを言い訳に腐っていく自分です。あたしが色んな国を回って、学んだことは、諦めたらそこで何もかもが終わることです。諦めなかったせいで、尚更もがき苦しんだり、他人を苦しめることもありますけど…そういう可能性と同等に、希望を見出せる可能性もあります。どっちを掴むかは、自分の実力次第。」

「…ああ。」

「確かに、ちょっと似てますかね。目的を達成する為に感情を殺すっていうのは。でも、あたしは全然押し殺せてないので、一緒にしてもらうのは申し訳無いです。口にしないんじゃなくて、怖くて口にできないだけですから。何というか…元々甘ったれで、強がってるだけなんですよ。」



苦く笑ったその顔すら、強がりと言うのだろうか。それならば忍も皆─一部の者を除けば、強がりで生きている。忍はそう在らねばならないからだ。それが忍の存在意義の一つ。ある種の誇りであり、それぞれが生きる為に必要な──強がりだ。

やはり、巴は忍に似ている。忍は、戦歴や経験を重ねるにつれて、段々と琢磨され、麻痺していくものだから。即ち、自分が感情を押し込めていることが、苦にならなくなる。忘れてしまう。若しくは──




「例えば、今押し込めてる気持ちを全部言えと言われても、…無理なんですよねぇ…。口から出てこないんですよ。どんなに、優しく受け止めてくれる人を前にしても。どんなに、信頼を預けていても。…何ででしょうかねえ。」





若しくは、本心からの言葉が、一切口から出なくなってしまうそうだ。



正しく、今の巴の様に。







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