「けいじ、あなたにたのみがあります。」



謙信がそう言ったのは、俺が越後に遊びに行った時の、二日目の朝だった。

昨日の飲み比べの記憶なんて何処へやら。相変わらず二日酔いには無縁そうな涼しい顔は、朝日に照らされて一層輝いて見える。



「おはよう、謙信。珍しいな、謙信が俺に頼みなんて。何だい?」

「ゆめをみたのです…びしゃもんてんのみちびきにより、ふかきうみのそこへとむかうゆめを。」

「へえ…。」

「ひかりもとどかぬ、しんえんのきわみにて…わたくしがみつけたものは、かたがいのむすめ。あらがうこともかなわぬ、うずのながれにみをもまれ…それでもかのじょは、うしなったかたわれをもとめて、さまよっていました。」

「片貝?の、娘…?何て言うか…戦を司る毘沙門天が導く夢にしちゃあ、不思議な夢だねえ。」

「しかし、てんのいは、こうしてわたくしとかのじょをひきあわせました。これも、みほとけのなさけなれば。」

「うーん、そういうもんなのかな?」

「ですからけいじ、あなたには、はまへむかってほしいのです。」

「へっ?まさか、海に潜って来いって?」

「いな…ゆめのなかでわたくしは、かのじょにこのてをさしのべ、ともにちじょうへとむかいました。これがてんのたくせんなれば…むすめはそこにおり、わたくしは、かのじょをすくうせきむがあります。」

「ふうん…俺は正夢とか見ないから分かんないけど、ま!謙信が言うならいるんだろうな。」

「では、いってくれますか。」

「合点承知!俺に任せてくれよ!昨日の酒の礼もしなくちゃだし、謙信が夢で見るくらいだから、別嬪さんだろうしねぇ。」

「ふふふ…たのもしきかぎり。たよりにしていますよ。」



と言うわけで、酒の恩を返すべく、俺は謙信の指示のあった浜へと向かう。それは思ったより近い場所で、その日は越後にしてはカラッと天気も良く、清々しい気分で海沿いを歩いた。



「さて、謙信の言ってた片貝の娘ってのは、どこの別嬪さんかねえ、夢吉。」



いやしかし、上手く見つけて連れて帰れたとしても、かすがちゃんがヤキモチやきそうな気がするなあ…と、少し後ろめたく思っていると、語りかけた夢吉にぺしぺしと頬を叩かれる。気にすんなってことかい?そうだよなあ、かすがちゃんを超える熱愛っぶりと美貌を兼ね備えた子もなかなかいないからねえ。

そんなことを呟きながら、浜に向ける目はしっかり動かす。見えるのは、船に、漁師に、海女さん達。変哲の無い海辺の営みに、カモメが数羽、空を飛ぶ。



「……平和だなあ…。」



こういう時が、毎日毎日続けばいいのに。俺は喧嘩は好きだけど、戦となると話は別だ。喧嘩も戦もしたくない人間まで、否応無しに巻き込まれていく渦、それが戦乱。誰一人として、傍観なんて許しはしない。

平和な光景とは裏腹に、実際の現状に溜め息が漏れる。…駄目だ駄目だ、暗くなるのはいつだってできる。せめて一時でも穏やかな空間にいれるのなら、俺もちゃんと笑っていないと。

気を取り直す為に空を仰いで、一つ大きく深呼吸をする。あー…、またカモメだ。今日は随分見かけるなぁ……って、



「…うん?」



風を切って次々と同じ方向に旋回していくカモメを見て、ふと違和感を覚える。何だろう、確かに雀みたいに、そう何羽も群れて一緒飛んでる鳥じゃないけど、餌を見つければこんな風に同じ場所に向かって飛んだって不思議はないのに……



「……っ!まさか!!」



嫌な想像が頭をよぎって、殆ど衝動的に走り出す。砂浜を突っ切り、転がる岩を飛び越え、カモメ達が下降していった崖の向こうへと降り立った、そこには。



「っおい!!アンタ!しっかりしろ!!」



いつか見た、鯨が浜辺に打ち上げられた時のような光景が、そこにはあった。

鯨ほど大きくなく、恐らく人だとは遠目でも判るが、その姿は十数羽のカモメに覆い尽くされ男か女か──生きているのか死んでいるのかも分からない。夢吉が髪の中に潜り込むのを感じながら、俺は慌てて超刀を振るう。



「どいたどいたあ!!さっさと逃げないと、一羽残らず丸焼きにして、まつ姉ちゃんに届けちまうぜ!」



纏わりつこうと粘るカモメ達を風で追い払い、刀を放り出して、俯せに倒れている人間を見た。よく見れば、傍には大きな瓶が転がっている。担ぐための荷紐が付いているから、この人の荷物だろうか。
肝心の人物はと言うと、カモメに啄まれたのか、所々着物は破れてボロボロだけど、どうやら肉は無事のようで、ホッと小さく息吐いた。

よかった…いや、既にもうこれが死体だったら、救いようがないけど…。

恐る恐る肩を掴んで、そっと体を仰向けにしてみる。そこで俺はやっと気付いたのだが、その人は─いや彼女は、まだ顔に幼さが残る、歳の頃十三、四の、小柄な女の子だったのだ。



「夢吉!女の子だ!」

「キキッ!」



髪に隠れていた夢吉が飛び出し、彼女の心臓の辺りに耳を当てる。倣って俺も口元に手を翳して、俺達は顔を見合わせて大きく頷いた。まだ、息がある!



「おい!しっかりしてくれよ!目を開けてくれ!」

「キー!キー!」

「…………ぁ、…」

「今声出したよな夢吉!?もう一息だ!」

「キキッ!キー!!」

「ぅ、」



ぱちん、と小さな音を立てて、夢吉の手のひらが鼻先を叩いたのが決定打だったらしい。重たそうな瞼が何度か震え、うっすら開きかけたかと思うと、彼女は痙攣するかのように咳き込み始めた。海水を飲んでしまっていたようで、水ばかり吐き出す姿は痛々しい。背中をさすって落ち着くのを待てば、彼女は荒い息を必死で整えて、どうにかこうにかという体で俺を見た。



「……ぁ、…っ…」

「海で遭難でもしたのかい?水も吐いたし、大きな怪我も無いみたいだし、もう大丈夫だ。」

「っ……の、…こ、は…、」

「ん?」

「ぁ…っの……此処、は、…っ」

「此処?此処は越後の浜だよ。」

「…!こ、こは、日ノ本…です、か…!」

「え?あ、ああ、勿論。」

「…ゃ、…と…」

「うん?」

「…………やっと、戻れた…。」

「あ!ちょっ…!」



どこか安心したように、ふっと眉根の力を抜いた彼女は、そのまま気を失ってしまった。
念の為、もう一度口の前に手を翳せば、弱々しいながらもさっきよりは安定した呼吸が確認できる。

ああ、とりあえずよかった、生きてた…。でも、今の言葉はなんだったんだろう。此処は日ノ本ですか、なんて、まるで海の向こうから流れ着いたみたいな…。




「─兎に角、急いで戻ろう夢吉。もしかしたらこの子が、謙信の言ってた“片貝の娘”なのかもしれない。」








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