奥州より無事お館様の元へと戻り、ひと月程経ったある日のことであった。



「巴殿オオオォォオオ!!!!」

「えっ…あっ、うわっ!!?」

「お待ち申しておりましたっっ!!!!」



お館様との手合わせを終え、真っ直ぐ向かったのは町の甘味処。いつも佐助に団子を買い付けに行かせている店とは別処で、こちらの方が躑躅ヶ館に近い。そのせいか、館の女中達はよく足を伸ばすらしく、彼女達は今朝も仕事をこなしながら、甘味処の話に花を咲かせていた。



『あそこの甘味処なんだけどね!昨日行ったら新商品が出てたのよ〜しかも期間限定で!』

『期間限定?どんなのなの?』

『すごく珍しい大福なのよ。中の餡がね、もう堪らない柔らかさで!味も今まで食べた他の甘味と一線を画すって感じね。絶対行った方がいいわよ!』

『期間限定なんて言われたら行きたくなるわねえ。ちなみにその甘味、何て名前なの?』

『えっと…あら?何て言ったかしら…。』

『ちょっと、それだけ絶賛しといて忘れたの?』

『やだ、聞いたことのない名前だったから…ぷ、ぷるん大福?だったかしら?』

『!!!!』



それはぷりん大福に違いない!!餡の食感、期間限定…っ!巴殿が約束通り来て下さったのだ!!!

逸る気持ちで落ち着きの無い我が身をお館様に戒めてもらい、やって来た甘味処。そこにはやはり、地味な着物に手拭い姿の、待ち望んだ巴殿の姿があった。



「巴殿っ!!ようこそ甲斐へ参られた!!いつから此方へ!!?」

「あ、え、あ、あの、さ、真田、さんっ、ゆ、揺すりっ過ぎでっ…!!」

「おお!これは失礼したでござる!」



興奮の余り思い切り肩を揺すってしまい、慌てて手を離す。巴殿はくらくらと軽い目眩を起こしたようで、力無く二度頭を振ると、酷く珍しいものを見るように俺をまじまじと見つめた。



「さ、なだ、さん…!え!?あの、あたしのこと覚えてらっしゃるんですか…!?」

「無論にござる!!斯様に美味なる甘味を作られる職人を忘れるなど!早速ぷりん大福を注文いたしたく!」

「は、はい…。」



激しく揺さぶってしまったせいか、どこかしっかりとしない表情で奥に下がる巴殿を見送り、他の売り子に促され、店の外の腰掛けに座る。

店内は他の客で埋まっておりまして…と、申し訳無さそうに詫びられるが、あの大福が食べられるなら座る所など何処であろうと!それに、まだ朝も早いと言うのに店は繁盛していることは良いことだ。あの女中達の話しぶりからすると、ぷりん大福の噂が広がっているのだろう。

忙しい時に来てしまったのは申し訳無いが、間に合って良かった。安堵と共に自然と口の端が引き上がる。先程巴殿の答えを聞きそびれてしまったが、今朝女中が噂していたということは、少なくとも昨日にはこの店に居たのだろう。

むう…しかし、これだけ繁盛していれば、昨日の内に佐助が気付いて教えてくれそうなものだが

そう思えば間が良いものだ。ふと視線を横に動かせば、今俺が駆け抜けた道から走って来る男の姿が。─佐助である。



「ちょっと旦那!朝餉の後に間も空けないで甘味処に来るとかどういうこと!!」

「佐助、喜べ!約束通り巴殿が来て下さったぞ!!」

「は?巴?」

「何をとぼけておるのだ!ひと月程前に奥州に行っただろう。」

「いや行ったけど…それと巴って奴の話と、何の繋がりがあんの?ていうか、まず巴って誰?」

「…佐助?今何と言った?」

「だから、巴って誰のこと。」



何をとぼけたことを。と、また同じ言葉を繰り返しかけて、呑み込む。…何だ、この違和感は。

腰に手を当てて、立ったままこちらを見下ろす佐助は、不思議そうに俺の返事を待っている。その目はとぼけているようにも、ふざけているようにも、誤魔化しているようにも見えなかった。

おかしい…。佐助が一度会った人間を忘れたことなど、これまで一度たりともなかった。それも、素性が知れないとあれだけ怪しんでいたというのに。いやしかし、巴殿本人を見れば…



「お待たせしました。すみません、びっくりして数聞くの忘れてたので、とりあえず五つ…あ。」

「……。」

「佐助、巴殿だ。」


奥から茶とぷりん大福を持った巴殿が戻って来て、立ったままの佐助と鉢合う形になり、止まる。巴殿の表情を見る限り、彼女は佐助を覚えているようだ。しかし、何故か佐助の言葉を待つように、口を閉じてしまう。

対する佐助はもっと不可思議だった。いつもおなごにするように、軽い挨拶を放つこともなく、眉間に皺を寄せて巴殿を凝視する。遂にはそのまま目を閉じた。瞼の裏で何かを探すように眼球が世話しなく動いているのが分かる。その間、十数秒。そして突然割目した佐助は、怪訝な表情を隠すこともせずに呟いた。



「竜の旦那のとこにいた、巴…ちゃん。」

「…はい、思い出してもらえて嬉しいです。」

「何だ佐助、本当に忘れていたのか!?」

「……。」

「猿飛さんのお茶も持ってきますね。」



決して気分の良くなる表情とは言えないそれを向けられたにも関わらず、巴殿は愛想良くそう言うと、俺の分の茶と大福を置き、また店の奥へと引き返した。

兎に角、まだ目つきの鋭い佐助を横に座るよう促す。その際に顔色も窺うが、今朝いつものようにせっせと朝餉の準備をしていた時と変わらず、特に体調が悪いようにも見えない。元より、己を殺すことに長ける忍を外から察してやろうとしても、そう簡単にいくわけがない。こういう時は、直接聞いてしまうに限る。



「どうしたのだ。人の名も顔も忘れるとは、お前らしくもない。」

「…俺様だって吃驚だよ。必死で思い出そうとして、やっと思い出せんたんだから。」

「具合でも悪いのか?」

「全然。」

「どこかで頭を強打したとか…。」

「有能な俺様がそんなヘマするわけないでしょ。」

「ならば、何故巴殿を忘れていたのだ。」

「それは…」

「お待たせしました。」


と、巴殿が現れる一拍前に、佐助は理由を言いかけた口を閉ざす。続きが気にはなったが彼女の手前、何もない素振りで振り返り礼を言った。ああそういえば、折角出して貰った大福をまだ一口も口にしていない。



「巴殿、大福を戴くでござる。」

「はい、どうぞ召し上がれ。」

「…うむ!!やはり美味…っっ!!!」

「よかったです。それにしても真田さん、こちらにいらっしゃったんですね。上田の城主とお聞きしたので、最初上田の方に行っちゃったんですよあたし。」

「何とそうでありましたか!!面倒をかけてしまい申し訳無い…!」

「いやいやとんでもないです。西の方に行く前に約束が守れてホッとしました。」



それは心からの言葉らしく、心底安堵したと言わんばかりの破顔ぶりを見て、僅かに顔が熱くなると同時に何かが引っかかった。気がした。むう…何だろう。

それにしても巴殿は律儀な方だ。目的があるようなのに、約束とは言えわざわざすぐに来て下さるとは。政宗殿があれほどに親しくしていた理由が少し解った気がする。



「西、と申されましたが、次はどちらに参られるのでござるか?」

「そうですねえ…四国まで行けたらいいなあと思ってるんですが。」

「それはまた随分遠くまで…!もしや…そちらに親族でも?」

「いえ、まだ四国に渡ったことがなくて。」

「新地開拓でござるか?」

「あはは、そうですね。それも込みで、兄を探しに。」

「あ…、」



そうだった。彼女は生き別れの双子の兄を探して旅をしているということをすっかり忘れていた。あんなに印象深い挨拶をされたと言うのに、忘れてしまうものだな…俺も佐助のことは言えないようだ。

無神経なことを聞いてしまい申し訳御座らん、と謝れば、巴殿は見るからに慌てて首を振る。自分なんかを覚えていて下さっただけで凄く有り難いですよ、と。

それから彼女はごゆっくり、と一つ会釈をし、大福を作るためだろう、店の奥に行ったっきり、表に出てくる様子はなかった。

忙しそうだが、俺ももう一皿頼もうか…いやいやそれより先にやることがある。今までだんまりだった佐助に…さっ…、



「…っ助ええぇえ!!!!何故某の大福を食べておるのだ!!!」

「毒味だってば。ていうか俺様が毒味する前に食べないでよ。」

「毒味なら以前にしたではないか!!!そのことまで忘れたのか!?」「忘れてないから確かめてんの。…どう考えても、この大福が怪しい。」



聞こえるか聞こえないかの微かな声で呟かれた最後の言葉に、怒鳴る口を閉める。この大福が怪しい?だと?まさか、それならば奥州で食べた時に何かしら気付く筈ではないか。

そうは思うが、この優秀な部下の有り得ない記憶の忘失に、至って真剣な横顔を見れば、否定の断言に躊躇う。いや、しかしまさか。



「俺の舌でも何も感じないけど、じゃなきゃ説明がつかない。奥州であのコの事調べてた時も、殆どの人間が彼女の存在を忘れてた。考えられるのはこの大福だけだ。旦那、悪いけどこれ以上食べるの止めて。」

「ななな何だと!!?それはできぬ!!!」

「食欲に負けてる場合じゃないだろ。いいから、持ち帰りにするよ。こっちで調べる。すみませーん!」

「はーい。」

「巴ちゃん、悪いけど大福包んでもらっていい?旦那、仕事もしないできちゃったからさあ。持って帰っておやつにさせるよ。」

「あ、すみません、お持ち帰りはできないんです。」

「え?何で?」

「ナマモノで痛みやすい上に、使ってる材料が普段食べつけないものなので、必ずできたてを此処で食べてもらっています。」



お腹を壊されたら大変ですから、と申し訳なさそうに言う巴殿に、うちの旦那は胃袋強いから大丈夫だよ、と佐助が貼り付けた笑顔で食い下がる。…何も知らぬ者から見たら、それは人の良い笑顔なのだろう。見慣れている自分には、ハラハラする程怪しい笑みなのだが。

しかし巴殿もしぶとく食い下がった。店と客の立場では圧倒的に不利であるが、柔らかく、だがはっきりとした意志で断り続ける。それを見かねた店の店主が「いいじゃないか、包んで差し上げなよ。」と言葉を挟んだことにより、とうとう巴殿は折れた。






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