「っひえー!!巴ちんてば心霊体験のバーゲン状態じゃん!」
「あながち大袈裟な表現でもないのが切ない…。」
「…貴女一人で百物語ができるのではないですか。」
「いや流石にそんなには……そんなには、ない…筈…。」
「イイ感じに冷えてきたねー!巴ちん的には、何が一番怖かった?」
「一番かあ、そうだねえ……車の下に人が居たことかな。」
「へっ?」
「…どういう、意味ですか。それは。」
「車の下に人がいたんです。」
┼
「すっかり遅くなっちゃったね。」
「……。」
夏休みに、学校の友達に会うのは結構珍しい。
獄寺君達はまあ別として、今隣にいるパンテーラちゃんに会うのは本当に久し振りだった。
日中、炎天下にも関わらず、独特のワンピースを身に纏い、汗一つかかずに商店街近くを歩いていたパンテーラちゃん。珍しいことに一人だったので、偶には内藤君抜きで女水入らずもいいかなあと、ナンパの如く声をかけてから早数時間。あたし達はようやく薄暗闇の中、のんびりと家路を行く。
「日が落ちてからの方が涼しいだろうと思ったけど、全然暑かったね…。」
「……。」
いやーそれにしても、パンテーラちゃんは相変わらず一言も発さなかったなあ。それでも時単位で遊べるんだから、女子っていいね。
彼女自身、楽しんでくれたか退屈だったかはそのポーカーフェイスで分からないけど、二人きりで長時間遊んでくれる位には嫌じゃなかったんだと思おう。
そんな感じで、一方的にあたしが喋りつつけながら、商店街を過ぎ、人通りの多い国道の傍を過ぎ、静かな住宅地に入った。
時、だった。
「ロンシャン君の今の彼女さんって何歳差?」
「……。」
「へーロンシャン君って年上好きなのかな?毎回遙か上な気がす、」
「…、」
今思えば、よくもまあ二人同時に同じ方向に目を向けたと思う。
見慣れた住宅地、一軒家に挟まれて建っているアパート、その手前の駐車場。そこに停まっていた、一番手前のワゴン車の、地面と車の下の、隙間、に、
サングラスをかけた男の人が、こちらに顔を向けて、収まっていた。
「、…っ!!?…っパンテーラちゃん!!」
「っ!」
飛び出しかけた悲鳴を飲み込み、一瞬固まっていたパンテーラちゃんの手首を掴んで、あたしは進行方向に駆け出した。
完全な防衛本能だった。あまりにも思いがけない異様な光景に、あたしの脳は逃げ出せと告げたのだ。理解が追い付くより先に、本能が‘あれ’を避けたことがまた恐ろしくて、兎に角ひたすら突っ走る。
唯一マシだったのは、後ろから追いかけてくる気配がなかったことか。お陰であたしの足は、内藤君の家まで後もう少しという所で何とか止まった。念の為に後ろを確認してみても…いない…よかった…。
「パン、テーラちゃん、い…今の…」
言いながら、たった今目にしたものを思い出す。
─そう、あれは間違い無く男の人だった。ワゴン車の下に…仰向けに寝そべっていた、男の人。
細身で長身の、2、30代くらいだったと思う。丁度、車の整備をする為に下に潜るような、あんな体勢。それで、車のお尻の方から顔を出していた。だけど今は夜だ。あの場に明かりなんて全くなかったし、そんな状態で車の整備をするわけがない。
それにあの人…サングラスしてた。サングラスに、浅い鍔のない帽子のようなものを被っていたのだ。この時点で車の整備というのはおかしい。
じゃあ、暗い中で益々視界を暗くする必要は?車の下に潜る理由は?──何であたし達は、二人ともあの人に気が付いたの?
冷静になって湧いてきた疑問と、あのサングラスで窺えない表情、マネキンのように無感情に閉じた口を思い出して、全身が鳥肌立った。いや…本当にあれって何!?誰!?それより何より…!!
「ぱ…バンテーラちゃんは、今の……見えた?」
「…、」
頭は縦に振られた。っていうことは…っていうことは…
「ひ、人だった…!」
「…?」
昔から、あれやこれやと人以外のものを見てきたあたしのこの目。例えば今、あたし一人があの姿を見たとしたなら、「成る程〜道理であんなわけのわからないとこから出てるよな〜」で済むのだけれど…パンテーラちゃんも見えてたとか…!逆に怖い!!あんなとこから生身の人間が顔出してる方が怖いよ!!
あっ…でもロメオさんの例(注:一緒にいると他の人にも見えてる)もあるしな…え、ええー…どっちだ…!!
「、……」
「ん、えっ?」
うんうん悩んでいたその時、ふんわり温かい感触を頬に感じた。
ハッと顔を上げると、それはパンテーラちゃんの手のひら。そしてそこで初めて、自分の体温が異様に下がっていたことに気付く。思わず空いている片頬に自分の手を当てると、この夏場だというのに、氷で撫でたような─いや、それよりもっと、気持ちの悪い冷たさを帯びていた。
うっわ何これ。低体温っぽいパンテーラちゃんの手の方が温かいとか!自分で引いてしまうんですが!
これはマズいと─いや、何がマズいかなんて分からないけど、兎に角温めなければと焦ったあたしが、そのまま当てた手を頬に擦らせようとすると、パンテーラちゃんがそれをぺいっと引き剥がす。再び空いたそこには彼女の手が添えられて、あれ、両手で顔挟まれてる、認識するより早く、グイッと引き込まれた。そして柔らかい壁に激突。…んん!?
「…えっ、どうしたのパンテーラちゃん!急にハグ!?え!?パンテーラちゃんがハむぐっ」
なんと!ふわふわの壁はパンテーラちゃんのふわふわのお洋服だった!しかも胸元だった!
えええ脈絡もなくハグっていうだけで驚くのに、パンテーラちゃんがハグ!?あのパンテーラちゃんが!!?
いっぺんに色んな事が起こり過ぎて、ハグをされたまま暫く停止していると、不意に耳元で何かが聞こえた。ヒュ、と短く鳴るそれは、風が吹き抜ける音にしては短い。─そうだ、これは、風を切る音。
「っ─!」
顔を上げ、振り返ったそこには、コンクリートに刺さった一本の風車。
…って言うと怪奇現象みたいに聞こえるかもしれないけど、あの風車はパンテーラちゃんの飛び道具。つまり、さっきの風を切る音は、パンテーラちゃんが風車を投げた音。きちんと辻褄が合う目の前の光景は、さっきと比べれば何てことはない。
ただ、誰もいない、虫すら飛ばない、気配もしない道路に向かって、彼女が攻撃をした理由を、抜かしては。
「えー……っと、…内藤君いた?…わけないよね〜。あはは…。」
「……。」
「……。」
「……。」
な、何でそんなに清々しいお顔をしているんでしょうか、パンテーラちゃん…!
いやいつもの無表情なんだけど、なんか雰囲気が清々しい!
今、何かに風車当たった?いや当たってないよね?あれっぽいものだとしても、あたしに見えてないから…違うよね?ていうか流れ的にこれはさっきの件絡み?え、嫌だ。
「…と、とりあえず、家まで送ります。」
「…、…」
「え?いいって?いやいや駄目だよ!パンテーラちゃんみたいな女の子らしい女の子がこの状況で一人で帰るとか!完璧な神隠しフラグ…へ?逆?パンテーラちゃんが?送る?あたしを?」
「…。」
「ええ!?いいよそんな!それこそ逆だって!わっ!?」
「…、」
「あれ、今笑った?なんでー!?」
いやあ…この時ほど、パンテーラちゃんに喋ってほしかったことなく、また、パンテーラちゃんが男らしかったことはない。レアな彼女の笑顔を噛み締める隙もない程に。
結局、引かれる手をそのままに、家まで送ってもらったけれど、パンテーラちゃんを一人で帰らせる気はさらさらなかったので、ツナとリボーンとあたしの三人で送って行った。
その際、行き帰りつつがなく、その後に至っても、あの事件に関わるような不思議現象は起こっていない。件のアパートの前を再び通った時ですら。
やっぱりあれは…人間だったのかな。冷静に考えれば泥棒ともとれる格好だったし、現実的に考えたいところだ。特に泥棒があったとか、そんな話はなかったようだから、あたし達があそこを通った事で未遂になっていたら何よりです。
…──それでも、時々考える。あの悪寒と、パンテーラちゃんの行動は、一体なんだったのか。
一人で帰る宵口の闇の中、ふと思い出しては、その度に頭を振って、パンテーラちゃんの風車とあの表情を思い出しながら、自分自身に言い聞かせた。
たとえあれが、この世の異を這う者だとしても──大丈夫。大丈夫なんだ。あたしにはもう、あの人は見えなかったのだから。
それに…悲しいかな、いつまでも一人ばかりに気を取られてもいられない。
「 ねえー おいでー おい で よ ー」
この小さな街の中でさえ、振り返ったそこは、ほら、
「…まだ行けないかなあ。」
「 ぐす、ぐず 」
「 ぐず ぐず ぐず ぐず ぐず 」
ほら、こんなにも、騒がしい。
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「…へっ!?じゃあパンテーラが悪霊退散しちゃったってやつ!?」
「うーん、そこははっきり聞いたわけじゃないから何とも…。今度、本人に聞いてみればいいんじゃないかな。」
「貴女にすら話さなかったというのに、我々に話すかどうかは微妙でしょう。」
「皆さんってファミリーなんですよね?」
「でも今のもトラウマばりの体験だね!巴ちん、マジでヤバいね!」
「はっきり言うねえ。内藤君のそういうとこ好きだよ。」
「しかし、噂をすればではないですが…これだけの怪談をして、帰宅時にまた何か巡り会うのでは?」
「だいじょーぶだいじょーぶ!送ってくって!何ならパンテーラも連れてくし!」
「全然大丈夫だよ、まだ明るいから。」
「…やはり明るい内は、妖しいものは出にくいものですか。」
「いえ、夏っていつでも遭いやすいですよ。皆さんもいつの間にか連れていかれないように気を付けて下さいね。」
「サラッと軽く言うことじゃないでしょう!」
「俺は遭ったことないなー!」
「落とし穴みたいなものだからねえ。普段は落ちないだけで。」
「落とし穴?」
「落ちないだけで、落とし穴自体はいつでも空いてるってことです。危ないよねえ。」
「げっ!?」
「だからそういうことをサラッと…!!」
お盆が過ぎ、秋の虫の音が聞こえ始め、ふわりと冷たい風が吹くと、安堵の溜め息が零れる。今年も無事だったなあ、って。
そして少し、悲しくなるのだ。これだけ色々あっても、また来年、と呟いてしまう。誰ともなく、けれど誰かに。
「じゃあ、お邪魔しました。またね。」
「うん!バイバイ巴ちん!」
「お気を付けて。」
「またね。」
「 また ね。 」