【柿本の証言:八月某日、黒曜〜並盛間、田舎道にて】



夏の昼は暑い。けれど夕暮れ時はもっと暑い。

西日の暑苦しい色合いのせいか、確実に昼より多少マシな筈の空間に、心の中でケチをつけつつ進んだ。隣で歩く彼女のを盗み見れば、慣れているのか涼しげな横顔がそこにある。



「送ってもらって、あ、ありがとうございます…。」

「……。」



ほんの数分前、黒曜中の付近でフラフラと歩いている彼女を見かけた。

何でよりによって学校の近くで彷徨いているのか。彼女の戦闘力を考えれば、心配なんて微塵も必要ないのだけれど、気付けは腕を引いてしまっていた。何故かその顔に浮かんでいた、不安げな表情を見逃せなかった。めんどい。



「あ、あのっ…、」

「…何。」

「あ、暑い、ですね。ち…千種さん、は、学ラン着てて、暑くないですか?」

「暑い。」

「そ、そうですよね、あはは…。」



今日の彼女は、何となくおかしい気がする。時に突飛な判断をし始めるその頭の中の構造は、いつだっておかしいのだろうけど、今日はもっと上辺の外面的におかしい。

何だかそわそわそわそわと、一向に落ち着く気配を見せない彼女。言葉はいやにどもるし、どうにかこうにかと言った風に投げられた台詞は、何だかよく分からない雰囲気を含んでいるようだった。西日に照らされる頬は、赤い。



「……あ、の…あたし、」

「……。」

「あたし、夏のこの時間、すごく…好きなんです。」



不意に溜めてから発せられた言葉に、不覚にも反応してしまった。別に反応するような意味は一つもないのに。



「昼の眩しすぎる白い光じゃなくて、うちに帰りたいような、帰りたくないような、そんな色の空から…ほら、瑠璃色の夜が忍び寄っていって…青くて、綺麗です。」



言う通り、薄く笑う彼女の横顔からは夕日が逃げていく。だというのに、その頬の赤味は変わらない。

それが意外でまじまじと眺めていると、視線に気付いてか、彼女はゆっくり俯いた。揺れた髪の隙間から見える表情が、何か……何でそんな、耐え難いみたいな顔、してるんだ。妙な誤解が生まれそうな、そんな顔を。



「……この好きな時間に、一緒に歩けて、良かったです。」



どう返したらいいのか分からずに、戸惑いを隠す為に彼女から目線を外す。

彼女がこんな台詞を自分に向けるなんて、思いもしなかった。…いや、含む意味は無しに、さらりと言うことはよくある。気恥ずかしい言葉を、当然のように口にする。

けれど今、彼女が紡いだ言葉はあまりにも突拍子が無く、あまりにも色んな意味を含ませていた。…と、思う。…自意識過剰か、自惚れか、勘違いか…それとも…。そんなことを考える自分がめんどい。



「千種さん、送ってもらってありがとうございました。ここまでで、大丈夫です。」



思考を放棄しかけたその時、彼女は数歩前に出ると、立ち止まってそう言った。

…?随分、中途半端な場所で止まる。丁度、黒曜と並盛の境ではあるけれど、何故か彼女は真っ直ぐ進むべき道を逸れた。そこには、小高い位置に通っている道路の真下──地元の住民が使うのであろう、小さなトンネルが。



「、…っ…!?」



それを見た瞬間、尋常じゃない悪寒が走った。不思議なことに、粟立ったのは背筋ではなく、体の両側面。まるで、自分の身を守って萎縮しているような感覚を覚えて、無意識に後ずさる。

物言わぬ黒い穴が、夕暮れと夜の境で無機質にこちらを見ていた。その中に向かって、彼女は進む。



「っ……!そっちは…っ、」

「千種さんは、逢魔が時って言葉、知ってますか。」

「…っ…?」

「…巴ちゃんに、聞いてみて下さいね。あと、」




勝手に姿を借りてごめんなさいって、伝えて下さい。



と、確かにこの耳は、聞いた筈だ。








「柿本さん?」

「………、何。」

「や、何してたのかなーと…。一人で立ち尽くしてたみたいなので、声かけてみたんですが…。」

「……オウマガトキ、」

「へっ?」

「オウマガトキって言葉の意味、教えて。」

「は、はあ…逢魔が時なら今ですが…。夕方の薄暗くなってくる頃のことですよ。本当は大きい禍々しい時で、オオマガトキって書くんですけど、字を当てて、魔に逢う時とも書くんです。薄気味悪くなる時間だから、おばけの類に逢いやすい時間と思われてたんでしょうね。」

「……。」

「柿本さん?」

「…伝言。」

「え?」

「勝手に姿を借りてごめん、って。」



正面から去った筈の彼女が、今度は後ろから現れたことに、あまり驚かない自分がいた。

さっきまでの彼女が言付けだように、‘巴さん’に伝言を伝えれば、彼女は数度瞬きした後、自分の背後に見えるトンネルに目をやって、ああ…、と呟く。



「あの子、柿本さんのこと好きだったんですよ。」



過去形の理由はどこにあるのか、姿を借りるなんてどうやったらできるのか、彼女は正体はなんだったのか、


そしてあのトンネルは、一体、何。


疑問はいくつも浮かんでくる。でも、巴さんが彼女を知っていることは、不思議に思わない。──…思えない。




「もう暗くなりますよ、帰りましょう。」




逢魔が時というのは恐らく、幻を見易い、こんな風に曖昧な時間帯のことを言った言葉なんだろう。

全ての疑問の真実はきっと、何一つ知らなくていい。あまりにも日常と違いのない非日常は、ゆっくりと記憶の流れに押し流されていくものなのだから。


だからこそ、





「モテる男は辛いですねえ、千種さん。」




だからこそ、‘彼女’がこの人間の姿を借りたのは、計算ずくの選択だったのかもしれない。


彼女を見る度、名を呼ばれる度、きっとあの夕暮れに染まった顔を、思い出さずにいられないような、そんな気がしている。








人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -