【獄寺の証言:九月某日、保健室にて】



「シャマル!!巴さんは!!?」

「大声出すなうるせぇ。巴が起きる。」



保健室に飛び込んできた俺を見て、シャマルは面倒臭そうに顎でベッドの方を指した。

カーテンの引かれてないそこに、肩まで布団をかけられて眠る巴さんの姿を見つけて、ほっと息が漏れる。しかし顔色はやはり良くない。



「ただの軽い貧血だ。起きたら帰らせるから、ボンゴレ小僧に荷物持ってくるように言っとけ。」

「…俺がお持ちする。」

「?何暗くなってんだ、隼人。いつもの事だろ。」



そうだ、巴さんは割と貧血を起こしやすい。ぶっ倒れる前にこうして変態医者の居る保健室に渋々休みに来るくらいには、ご自分でもよく解っている。

でも…今朝、俺は偶然巴さんと二人きりで登校したんだ。何でその時に、今日は顔色が悪いとか、調子が良くなさそうだとか、気付くことができなかったんだ…!!こんなんじゃ十代目の右腕失格だ…っ!!!

しかも、気付くどころかこっちが心配されてしまったんだから、尚更不甲斐ない…!
巴さんは朝一番俺を見て、「また怪奇現象系の本読んでたの?」と言ったのだ。図星だった俺が、驚いてどうしてかと尋ねると、「目の下に隈ができてるよ。そういうのって読み始めると止まらないよね。」と笑って軽く肩を叩かれた。巴さんはたった一目で気付いたっていうのに…俺は…!



「いいからとっとと教室に帰れ。いつまでも俺と巴の二人っきりの空間を邪魔するんじゃねえよ。」

「それを阻止する為に来てんだよ!可哀想に巴さん…!貧血でも起こさなきゃ、こんな所に来たくもねえだろうに…!!」

「おーおー酷ェ言われようだな。」



紛れもない事実だろうが!何度巴さんにセクハラしてるか覚えてんのかこいつは…!!

睨みつけても、そこは男なんざ眼中にないシャマルだ。気にせずデスクに向かって、珍しく仕事をし始める。

…これ以上噛みついても俺がガキに見えるだけだ。言い足りないことはいくらでもあるが、無理矢理口を閉ざして、眠る巴さんを見つめる。



「……。」



つくづく、俺はまだ、この人を理解していない。十代目ならきっと気付いた。でも、そう言って俺が謝ったなら、巴さんは俺のせいなんかじゃないと、驚きながら否定するのだろう。…俺はこんなにも、助けてもらっているのに。

釈然としない感覚と、情けない気持ちで頭が重い。そのまま少しうなだれていると、見つめる布団の足先が動いた。



「!巴、さ…ん……、」



起きられましたか!そう続ける筈の言葉が止まる。息も止まる。

目覚めの身じろぎだとばかり思っていた、かけ布団の歪みの異常さに気付いた。確かに布団は動いた。が、下に動いたのだ。つまり沈んだ。まるでランボかイーピンが乗ったような範囲で。勿論、ベッド全体を見ても、そこには巴さん以外誰もいない。

‘見えない敵’──そんな文字が頭を走り、音を立てて立ち上がる。



「っ…!!まさかまたあの光学迷彩…!?」

「あ?何ブツブツ言ってんだ、隼人。って、おい。」

「ねえ」



後ろで何か言っているシャマルの言葉も耳に入らず、俺は沈みに向かって腕を振るう。が、手応えがない。視界の端でまた布団が沈み、また振るう。何も触れない。

くそっ…すばしっこい…!!以前に十代目のお命を狙ったカメレオン二人組より速い…!アイツら刺客のレベルを上げてきやがったな!!とっとと捕まえねえと巴さんが…!!



「隼人。」

「きづいてるんでしょ」



シャマルが不思議そうに俺を呼ぶ。ガキ以外には見えねえんだったか…!説明してる隙はねえが、シャマルの手を借りた方がいいのか…!?



「おい、隼人。」

「ね」



焦りで鈍っているのか何なのか、耳の奥──いや、頭に直接声が響いているように聞こえる。俺を呼ぶ声、シャマルの声、それと





「 きづいてるんでしょ 」





こどもの声。



思えばおかしかった。いくら見えないとは言え掠りもしない姿も、あまりに不規則な位置で布団が沈んでいく動きも、頭の中にノイズのようにガサガサザワザワ聞こえる、知らない言葉の話し声も、それが何故か何と言っているのかが解ることも、


巴さんが、意図して堅く目を瞑っていることも。




「巴さん!!!巴さん!!巴さん!!!」




何を思ったのか、俺は次の瞬間、彼女の肩を掴んで揺すっていた。その名前を繰り返す度に、段々頭の中のノイズとざわめきが消えていく。

消えろ、早く消えろ、お前らに巴さんは渡さない。巴さんはお前らなんかに気付いていない。俺も気付いていない。気付いていない気付いていない気付いていない!!



「……、っ !ぅ…!」

「っ…巴さん!!」



びくり、と今度こそ巴さん本人が身じろいだ感覚が、両肩を掴んでいた手のひらから伝わった。目が開く。

─声が聞えた。…あたかも、風が通り過ぎたみたいに。



「…獄寺君。」

「はい!大丈夫ですか!?何かされませんでしたか!?具合の悪いところは!?」

「あー…大丈夫。うん、多分、大丈夫…。」

「…おい、何だ今のは。」

「!シャマルも今のを聞いたのか!?」

「聞いた?…いや、俺には何も聞こえなかった。」



何だコイツ…ボケたのか?話が噛み合わない。何も聞いていないなら、シャマルの言った今のってのは──




「俺は──ガキにも満たねえガキが、三体重なった…塊を見た。」




考えもつかなかった返答に、寒気を覚える。何、だ、それは。ガキにも満たねえガキってのは、つまり、




「獄寺君。」




ふと、冷たくなっていた体に温かい人肌が触れて、ハッと正気を取り戻す。

下を見れば、俺の手を掴む巴さんの手があった。たったそれだけで、じわりじわりと手のひらから解凍されていくみたいに、何とも言えない穏やかな気持ちになる。今の異様な事態も、疑問も、それより前に苦しんだ後悔すら、忘れる位に。




「獄寺君、ありがとう。本当に、助かったよ…。」




胸に溶けるような声、混じり気のない礼の言葉。

たったそれだけ、されどそれだからこそ。律儀な巴さんなら当たり前の発言だったのだろうが、彼女が言うからこそ、冒頭でかなり落ち込んでいた俺を舞い上がらせるには、充分過ぎる効果があった。

あれだけの怪異が起きたにも関わらず、テンションが上がりきった俺の頭はそれすら忘れ飛ばした。すぐさま鞄をお持ちして、家までお送りし、満足感いっぱいに満たされたまま一日を終えてしまった、わけで……単純と言われても、反論できる気がしねぇ…。

そして、ようやく事の真意に気付いたのが次の日だっていうのだから、悉く情けない。



「…巴さんは、もしかしてアレが、見えてたし聞こえてたのか?」

「今更何言ってんだ。十中八九そうだろ。」

「なっ!?ならっ…」

「言わなくていいもんだったか、言ったらマズいもんだったか、言えない事情があったんだか知らねえが、理由があったから何も言わなかったんだろ、巴は。」




偉そうに話すシャマルの声を聞きながら、昨日の朝、巴さんに肩を叩かれたことを思い出した。

何気なくも、今更に違和感を感じるあの行動。微かに自分から外れていた視線の先。──あれは。




「まだまだ敵わねぇなあ?隼人。」





やっぱり俺は──俺達は、自分が相手を助ける倍以上、巴さんに守られているらしい。







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