「見事に枕にされちゃったねえ。大丈夫?」
「何とかまだ足は痺れてないですよ。一晩は無理ですけどね。」
「あらら、竜の旦那ったら。忍が近くに来てるのに、こんな爆睡してていいの?」
「近くにここの忍さんもいらっしゃいますし、頭を預けられてる身として、危険なことにはさせませんから問題ないですよ。」
「まるでお母さんみたいだねえ。」
夜も更けた月夜に男女二人っきりで膝枕、なーんて、どう見てもいい仲にしか見えない筈なのに、俺の感想はそれに尽きる。でかい子どもと母親。もしくはばーちゃんと猫。
変な女の子だとは思ってた。竜の旦那達と過去に何かがあったんだろうとも。けど、まさか恋仲でも側室でもない只の女の子に、こんなに無防備晒すほどとはねえ。巴ちゃんも、ちゃっかり見張りの忍に気付いてるし。予想以上に彼女の存在は特殊らしい。
「真田さんは大丈夫ですか?藤次郎さん負けず嫌いですから、相当飲んだでしょう。」
「まあね。うちの旦那は有り難いことに、悪酔いしないでぶっ倒れるだけだからさーご心配なく。」
「それ心配しなくて大丈夫なあれですか?」
「自業自得なのにちゃんと布団に投げ込んであげる俺様ってホント優しいと思わない?」
「優しくて仕事できてお母さんってすごいですねー真田さん部下に恵まれてるー。」
「だから棒読みだって。しかもお母さんって何。」
「さて、あたしも薄情者扱いされないように、藤次郎さん部屋にお返ししてきます。」
「また無視するしー右目の旦那呼んで来よう?」
「いえ、片倉さんは後片付けに忙しいでしょうから結構ですよ。気持ち悪いの少しは良くなったでしょうから、担いでも平気だと思うんですけど。」
「え、担ぐって、」
「よいしょっ。」
うわ、すげー軽々竜の旦那持ち上げたよこの子。背小さいし腕細いのに、どこにそんな力あんの。竜の旦那も割と細身だけど、それにしても釣り合いおかし過ぎでしょ。
俺が若干ひいてる内に、巴ちゃんは腕の中の竜の旦那の位置を整えて振り返る。そして、それじゃあお休みなさい、と、何事もないように挨拶をしてから、起きる気配もない竜の旦那の部屋へと向かった。
…変な子。って、さっきも思ったけど、やっぱり変な子だ。ていうか竜の旦那のとこの忍も、見張ってんなら運んでやればいいのに。あんな得体の知れない子に大事な国主触らせていいのかねえ。
…それとも、予め竜の旦那が出てくるなって指示した、とか?
「何にしろ、気になるなー巴ちゃん。結局宴始まって全然話せなかったし。ちょっとくらい探ってもいいかなー。」
一人取り残された空間でわざとらしく独り言を言う俺様に、帰ってくる言葉は無し。ぱっと見はまあ、寂しい状況だけど……無いってことは、探っていいってことね。
ちらりと茂みに目を向ければ、暗闇の中で絡まる視線。あくまで無言を貫く態度を肯定ととって、屋根へと上がる。さて、まずは下忍達に素性を調べてもらおうか。流石にこのまま竜の旦那の部屋にいっちゃったら、妨害されること受け合いだもんね。
「…それにしても、」
三日月の明るい夜空に身を投げて、城下に向かいながら考える。
珍しい食材だったとは言え、夕餉作りは普通だった。おむ何とからいす、とか言う卵料理に素直に喜ぶ旦那に恐縮しつつ、宴の席ではずっと竜の旦那と右目の旦那に挟まれたまま大人しく酌をしてたし、何て言うか、基本的な行動は平凡の極みなんだよなあ。
だと言うのに、あの子は忍の限りなく押し殺した気配を正確に感じ取っている。普段は平凡、勘は一流。そういうのは忍の振る舞いに近い。まあ、近いというだけで、同業者があんな風に街中で大福を屋根に投げるなんて目立つ行動するわけないけど。
あの時にしろ今にしろ、忍の存在に気付いてない振りをした方が得だっただろう。だけどそれをしなかったってことは、本当に単に鋭い子なのか、それとも…。竜の旦那があれだけ気を許してるのも引っかかるし…。
「…ほんと俺様ったら、仕事熱心なんだから。」
お疲れ様です、と心底同情したように呟いたあの子の言葉が、不意に頭を掠めた。ま、今の場合、仕事を増やしてるのはアンタだけどね。
そういうわけで一夜が明け、早朝。
昨夜、彼女の部屋に残してきた分身は、巴ちゃんが間もなく戻ってきたことを確認していた。その後もすぐに床に就いて、不審な行動は一切無し。荷物を調べたかったけど、浅い眠りを繰り返して頻繁に目を覚ましていたから、結局できず終いだ。
部下達にも調べるようには伝えたけれど、聞き込みは当然、町が動き出してからしかできない。つまり、昨夜の収穫は無し。
竜の旦那との約束の為か、早々と巴ちゃんが部屋を出てった今なら荷物を調べられるけど、何故かそれに関しては伊達の忍が正面から妨害してくる。「筆頭の客人の荷物です。どうかお引き下がり願います。」なーんて言われちゃ仕方がないから、巴ちゃんの後を追うことにした。探るのに関しては止めなかった癖に、堅物だねホント。
それにしても、竜の旦那が手合わせに誘ったってことは、武芸は身に付けてるんだよね、あの子。まあ若い娘が一人旅なんだから、護身術くらい使えても不思議はない。稽古つけてやるって意味だろう。
身支度を済ませ、部屋を出て、迷わず真っ直ぐやってきた道場。室内稽古してる兵とも顔見知りらしく、笑顔で挨拶を交わしながら、巴ちゃんは部屋の隅に正座をしてまだ来ぬ竜の旦那を待つ。待つ。待つ。…待つこと半刻。おーい、巴ちゃーん。もー朝餉の刻になりそうだけど、まだ待つのー?
そう、実は竜の旦那、二日酔いにはならずに起きてはきたんだけど、外の訓練場で鍛錬中の旦那に捕まって、今はお楽しみの真っ最中なんだよねー。昨日も手合わせさたのによくやるよ。
道場には向かっていたから、巴ちゃんとの約束は覚えてたんだろうけど、今見る限り完璧に忘れちゃってるねこりゃ。それについては俺様が降りて伝えるまでもなく、他の兵達が教えてくれてたけど、巴ちゃんは、皆さんの訓練見てます、とそのまま道場に留まっていた。手合わせ誘われて渋ってたのに、健気だなあ。いや、従順?どっちにしろ現実的に考えて、旦那とやり合ってた方が確かに楽しいんだろうけどね、竜の旦那は。
「オイ。」
「あ、片倉さん。おはようございます。」
まず間違い無く、竜の旦那より朝餉に呼びに来る女中の方が早いだろうと眺めていたその時、意外にも右目の旦那がやって来た。
あれ?畑仕事が終わった後に竜の旦那の方の様子見に来てなかったっけ。
「まだ政宗様を待ってると兵の奴らが心配してたぞ。」
「え、それは申し訳ない…気が散って邪魔でしたかね?」
「心・配・し・て・たって言ったんだ。てめえの耳は節穴か?」
「いたたたた耳引っ張らないで下さい…!」
「ったく…ほら、立て。政宗様の代わりにはならねえが、俺が相手してやる。」
「え…え!?」
あ、これまた意外な展開。まさか右目の旦那が…っていうか巴ちゃん、露骨に顔青ざめてるけど…へーあんまり動じない子かと思えば、ちゃんと顔の筋肉動いてるじゃん。
「いいですいいですいいですよ!!待ってたのは約束だからで手合わせしなくていいならそれが一番有り難いです!!」
「あ?俺じゃ不満って言いたいのか?」
「滅相もないです!そういうことじゃなくて、ほら、もう朝餉じゃないですか!藤次郎さん達止める手間もありますし…あの、兵の皆さんが気を遣ってくれたり、片倉さんがわざわざ来てくれただけで嬉しいので…。」
「ああ、そんなに竹刀じゃ嫌か。誰か俺刀の持ってこい。」
「嫌です分かりました!」
恐喝半分の右目の旦那に凄まれて、巴ちゃんは潔く立ち上がった。そうするしかないよなあ、と少し不憫に思って眺めていると、道場の中央に向かう二人に、周りの兵が場所を空け、壁に下がる。
…それはいいけど、巴ちゃんが竹刀…というか武器らしき物を持ってないのはいいの?
彼女の装備らしき装備と言えば、肘の手前まである手甲だけ。え?刀の達人でもある武人に対して、相手─しかも女の子は、その防具のみ?
けれど俺様と同じことをつっこむ奴は一人もおらず、寧ろ兵達は期待満面で二人を見守る。いやちょっと…たとえ彼女が忍だとしても、苦無の一本くらい…
何て俺様の気持ちは心配を余所に、一人の兵が開始の合図を上げた。瞬間、動く右目の旦那。うわ。
「…相変わらずいい体捌きしてるじゃねえか。」
「いやいや手加減してくれてるでしょう片倉さん。」
「さあな。」
……止めた。右目の旦那の一閃を。
一瞬に間合いを詰めて下から薙ぎ払う太刀筋を、彼女は腕の手甲で流すように受けていた。闇雲に防御したのでも、運が良かったわけでもない。その体は右目の旦那が言った通り、衝撃を殺す為に、必要最低限だけ横にずれていたのだから。
「……。」
続く右目の旦那の追撃に、圧されもせず、よろけることもなく、両の足を床から極力離さないようにして、彼女は全て防ぎきる。その動きは滑らかだけれど安定していて、隙が無かった。
─この子、思った以上に体術に長けている。
右目の旦那が女の子相手に手加減しないわけはないが、それを差し引いても相当なものだ。型は忍のそれとは全く違う…どこの流派だ。守るのに精一杯という風には見えないのに、決して自分から攻撃をしようとしないから、尚更判らない。
壁に寄る兵士達は、誰もが二人の手合わせに見入っていた。そう、これはもう、稽古をつける、なんてもんじゃないだろう。
……本当に、何なんだ。この子。
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