「なんだお前ら、仲良く生傷こさえて。ケンカでもしてきたのか?恭弥辺りと。」
「雲雀さんとケンカしたらこんな程度じゃ済まないですって!」
「一昨日プール授業ん時にこけたんスよ。しかも三人一斉に。はははは!」
「笑い事じゃねえ!あんなとこに水撒かれてたなんて、十代目のお命を狙った罠だったかもしんねーだろうが!!」
「そ、それはないから大丈夫だってば獄寺君!」
「まあ怪我で済んで良かったな。んで?巴は今日はいねーのか?休みだろ?」
「あ、まだ寝てて。練習あるからそろそろ起きてくると…ん?丁度今部屋出たかな?」
「そういや昨日から巴の顔見てねーな。珍しく。」
「?風邪でもひいてたのか?」
「いえ、何か練習忙しかったり、昼休みも用事あるとかでバタバタしてたんス。」
「ふうん…?」
【ミズゴエ】
「よう、やっと起きたか?」
「あ、おはようございます、ディーノさん。」
と、リビングで茶碗片手に振り返った巴は、寝癖の一つもない髪を揺らして返事を返した。
無表情のような、薄く笑っているような。久々に見るその曖昧な表情が目に優しくて、思わず頬が緩んでしまう。
前来たのは一カ月前だったか。よく我慢したな、俺。
会えない時の会いたい気持ちの焦れったさもさることながら、会った時の離れ難さも半端なものじゃなくて、既に今から駄々をこねそうな自分が怖い。ああ、俺はこんなガキだったか。
「久しぶりだな。」
「そうですね、今日はお仕事でこっちに?」
「いんや、久々に休暇が取れたからな。可愛い兄弟弟子と可愛くねー生徒に会いに。」
「ふふ、雲雀さん喜びますよ。」
「よ、喜ぶか〜?あのじゃじゃ馬が?」
「ええ、最近退屈してるようなので。」
オイオイ、それはストレス発散の方向で喜ばれるって意味かよ。
帰る前に顔だけ出してこうかと思ったけど…ちょ、ちょっと気が退けてきたな…。
と、思わず苦笑いが滲んできた俺を見てクスリと笑う巴はいつの間にか朝食を終わらせていて、テキパキとそれを片付けると、さて、と大きく背伸びを一つ。
「それじゃ、あたし練習あるんで行ってきますね。」
「ん?もう行くのか?帰りは?」
「今日は一日中なんで、夕方まで帰りませんよ。」
「オイオイ、俺今日の夕方帰るってのに。」
「すみません、先に来るの知ってたら予定変えられたんですけど。」
でも、入れ違いで会えずに帰ることにならなくてよかったです。
と、そう言う巴のそういうとこが、ちょっと淡白過ぎねえかとじりじりさせられる、上に、なんか余裕を感じて悔しい。
ああ、結局いつもこんなパターンだ。
どうせ俺が想ってたほど巴は俺を想っちゃいなくて、会いたいと募る気持ちも一人相撲。
そんなひねくれた感情がじわりじわりと迫ってきて、募った気持ちが溢れたからこそ、その反動でブレーキが効かない。
「……。」
「…ディーノさん?」
「気つけて行けよ。」
「あ、はい。」
恐らくは本当に、俺の葛藤に気が付かないらしい巴は、妙に短い返事に疑問も持たず荷物を担いだ。
…駄目だな。会いた過ぎて、今日は俺が余裕がなさすぎだ。顔は見れたんだし、今度は頭を冷やす時間がいる。
せめて道場まで送ってこうかと思ったけど、感情がどっちに膨らむか分からない時は、それも自重した方がいいように思えた。
「じゃ、行ってきます。」
「おう。あ、水一杯貰うな。」
ささやかな気分転換に、とコップに手を伸ばしながらそう言うと、もう行ったのか返事が来ない。
いつも律儀な巴が珍しい。時間なかったのか?
思ってコップに口を付けつつ振り返ったら、何故か巴はその場に突っ立ったまま、何か張り詰めた顔をして俺を見ていた。
……ん?
「巴?これ使っちゃいけないコップだったか?」
「…いえ。あの、ディーノさん。」
「ん?」
「今年はもうプールとか、入りましたか?」
「いや?ああ、でももうそんな時期なんだなあ。」
「海は。」
「その内ファミリーみんなで行くつもりだぜ?」
「…そうですか。」
さっきまでと比べて明らかにトーンの下がった声に、俺はまた違う意味で焦り出す。
もしや機嫌が悪くなってたのに気が付いたのか?気を遣わせて膨らまない話題を振らせたのか?
しまった、自分で墓穴を掘った。
こうならないようにと、大人らしくしようと、上手くやったつもりで。
と、俺の走る葛藤を止めたのは、全く見当違いの巴の一言だった。
静かな声。去り際に呟く声。
今思えば震えたように聞こえたのは、気のせいなんかじゃないと思う。
「ディーノさん。」
「え、あ、う、うん?」
「水に、気をつけて下さい。」
………水…?
┼
「水がどうかしたの。」
「いや、巴が言ってたから、何か心辺りないかと思って。」
と、尋ねる俺に対して、恭弥は珍しく自分から間を置くと、少し考えるように動きを止めた。
それにつられてやれやれと一息吐く間もなく、再び向かってくるのがコイツらしいが。
「特にないね。」
「だよな。お前そんなに巴と一緒にいないしな。」
「貴方よりはいるけどね。」
「群れるのは嫌いなんじゃなかったか?」
「肉食動物が草食動物を咬み殺すのは、群れるとは言わない。」
つーことはお前、巴にまだそのトンファー振るってるのか?懲りねえなあ。
いつまでもそんなことしてると、その内大事なモンをなくすぜ、と屋上の端で呟いたロマーリオの忠告は、聞こえているのかいないのか、やっぱりコイツには聞き入れられなかった。
しかし、ロマーリオの隣に佇んでいた草壁には、それはきちんと聞き入れられていたらしく、フォローの言葉が後に続く。
「そう言うなオッサン。アイツにも非がある。」
「巴嬢にか?例えば?」
「懲りないんだ。来れば何をされるかは解っている筈なのに、自分から応接室に来る時もある。昨日も来たんだ。」
昨日。
その言葉に何か引っかかるものを感じて、俺は鞭を一度大きく払って恭弥を退かせてから、草壁の傍まで飛び退き尋ねた。
「草壁、巴が応接室来たのって、いつだ?」
「…?昼ですが。」
「何の用事で…ってだあ!!おい恭弥!!」
「話なら僕が聞くよ。」
「聞く気ねーだろーが!!ちょっとお前それ降ろせ!な!」
「自分から咬み殺されに来たくせに、何言ってるの?」
いやそりゃ今朝の沸騰した頭を冷静にする為に、わざわざ学校に来てまで相手をしてやってたのは俺だけど、別に咬み殺されに来たわけじゃねーよ!
と突っ込んでも、やはりそこはじゃじゃ馬の耳に念仏。しつこく鞭の柄を狙ってくるトンファーをかわし、流し、俺は仕方なくまた恭弥と向かい合う。
「巴、昨日お前んとこ来たのか。」
「来たよ。」
「何しに。」
「さあ。」
「さあって…何か用事があって来たんだろ?」
「知らない。」
何か話して昼寝して帰った。
そう簡潔に説明する恭弥の話に、俺は何となく違和感を覚えて眉を顰める。
…変だ。何かが噛み合わない。
確か山本は、巴は昼休み用事があって会えなかったと言ってなかったか?第一、同じ学校で、同じ学年で、同じ通学路なのに、いつも連んでるあいつらが、一日の内一度も会ってないというところが不自然だったんだ。
それじゃあまるで、巴が、…意図的に、
「……水、と言いましたか。」
「…!」
もやもやとした嫌な感覚が徐々に膨み始めたその時に、草壁がぽつりと何かを呟いた。
戦闘中に草壁が口を挟んでくるのは珍しい。恭弥の意識も一瞬逸れて、切れ長の目の端で視線を向ける。
「草壁、お前何か知ってるのか?」
「いえ、関係のないことかもしれませんが。」
「何でもいい。教えてくれ。」
俺にそう言われた草壁は、ちらりと恭弥の方を見た。
恭弥は黙って視線だけを合わせている。
恐らくだが、多分コイツも何か違和感を感じ始めているんだ。それは、いやに辻褄が合うからこその、
一級品の嘘を、見事買ってしまったような感覚。
「…応接室に入る前に、自分や委員長はプールに入るのか、と聞いていましたが。」
“水”、
水、
今日最初の、そして最も、
大きな、違和感。
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