「本当に巴嬢に会ってかなくていいのか?ボス。」

「しょうがねえだろ、思った以上に恭弥に時間取られちまったんだから。ったくアイツ…もしかして巴に顔出しに行くの分かってて引き止めたんじゃねーか?」

「そういう独占欲の強さは教師譲りだったりしてな。」

「なっ…!お、俺はあんなにひねくれてねーよ!」

「ははは、どうだかなあ。」



なんて言いながらニヤニヤと笑う部下達に、今朝のことがあった俺は強く反論できなくて、いたしかたなく口を噤む。


散々恭弥に絡まれて数時間、気が付けば時計はタイムリミットを指していて、帰り際に巴にもう一度だけ会っていこうとしていた俺の予定は見事に潰れた。

巴の、あの違和感のある行動に、あの言葉。

その真実が知りたくて尚に会いたかったってのに、恭弥の奴。まるで阻止するかようにいつも以上に戦闘に執着しやがって…。

お陰でそのもやもやは晴れないまま、今俺達は航空のとある一角。

搭乗まではまだほんの少し時間があるが、勿論並盛に引き返せるような時間じゃあない。



「そんじゃボス、時間までもうちょいあるけどな、どうしても巴嬢に会いたいってんなら、ちゃんと俺達に言ってからにしてくれよ。」

「だ、大丈夫だってのに…!」



流石に今更戻る程女々しくねーよ!と今度ははっきりつっこんでみたものの、返ってくる反応はやはり冷やかすような視線。

自業自得は百も承知だが、もういい加減にしてくれよと俺は一人、時間までホールの中をふらっと歩き回ることにした。


まだ日が暮れきっていない空港内は、週末のせいもあってか親子連れや旅行帰りの客が多い。

当てもなくぼんやりと歩きながらその人の波を眺めていると、その中に何人か若いカップルがいることに気づいた。ある一組は男が、ある一組は女が、大きな荷物を手に持って、いずれも隠しきれない嬉しさを顔に浮かべて話を弾ませている姿。

……あー……羨ましくないって言ったら嘘になるなー…。

いや、いやさ、別にあそこまでベタベタしたいってわけじゃないんだよ。別にまだまだガキな巴と無理矢理そういう関係になりたいわけでもないし、あっちに意識させたいとか、そういうことはイタズラ程度にしか考えてないんだ。

…いや、まあ、説得力はないけども、それはアイツの周りにアイツを想う色んな奴らがいるからで、俺も少しは頑張らなきゃあいけないと思っているからだ。

ただでさえ国も生活も離れている上に、出会った年月は微々たるもので、下手すりゃ忘れられるんじゃないかとすら思う日々は、俺のガキくさい独占欲をすくすくと育てていってしまう。


…育てていってしまう。



「……。」



あーもー、だめだなこりゃ。結構洒落にならないくらい、頭がどうかしちまってる。


なあ巴、水がどうかしたのかよ。なんで俺達を避けてんだ?
なんで恭弥は有りなんだ?なんであんな顔をした?なんで何も言わないんだ?

俺が年上だからって、過大評価し過ぎるなよ。分からないことは分からない。

謎かけも、駆け引きも、お前相手じゃ勝ち目がなくて。



「……だから好きなんだけどさあ…。」



と、こんな時でも性懲りもなく、心の底からノロケてしまう自分自身が、情けなくて嫌になる。

…馬鹿だよなあ。



「…あ〜くそっ!」



ノロケたいんだか心配したいんだかわけが分からなくなって、俺は手近にあった噴水の縁に座り込む。

ロビーの真ん中にあるそこそこ大きな噴水は、浅くて小さな溜め池があって、これからの季節には何とも涼しげだ。ついでに俺の頭も冷えればいいんだが。

…巴は水に気を付けろと言ったけど、こんな溜め池じゃ気を付けるも何もないしな…っつーか、



「…本当に何が言いたかったんだよ…巴。」



そりゃお前の周りには俺以外にも頼もしい仲間がいて、お前がいくら避けたって気にせず守ってやるような、そんなお人好しな奴らばっかりだ。俺が心配するほどに、心配しなくていいっていうのは分かってる。

でも、そう信じていても尚、消えないこの不安はなんだ。


…やっぱり、電話でもいいから、もう一度、



と、立ち上がりかけたその瞬間、驚く程に滑らかに、体の重心が大きく後ろにズレた。



「げ。」




バシャン。


と、耳元で水しぶきが上がる音がして、何もなかった筈の所で滑った足が視界に入る。

多分、傍目から見たにしても、豪快に転んで、うっかり噴水に上半身を浸けてしまったようにしか見えないだろう。かく言う俺だって、あーあ、またいつものドジをやっちまったよと、自分を嘲笑する余裕もあった。


でもそれは、水の中に引き込もうとする、二つの手に気付くまでの間だけだ。




「、っ!!っ…!!?」



ぎりぎり顔が浸かるか浸からないかの水嵩の中で、起こそうとした体が動かない。

水面はほんの鼻の先、両腕も力一杯踏ん張ってはいるものの、一向に浮上することができなかった。

首にしっかりと絡みつく、二つの小さな手によって。



「っ…!!ぐ…っ!!」


何だ、誰だ、この力は。

振り払おうとその手を掴もうとしても、何故か触れるのは自分の首だけ。

水の中でも冷たく感じる二つの手は、確かに俺を引き止めている筈なのに。


考えている間に詰めていた息が口から漏れていく。

触れることのできない両手は更に力を強くして、俺の頭の中の空気を奪っていく。



ああ、
苦しい、

苦しい、
ヤバい、


これは、もう、






『止めて下さい…!!』




痙攣しかける頭の隅で、誰かの声が震えて響いた。

それは不思議と水の中でもはっきりと聞こえて、霞んでいく意識の中で道標のように光る。




『大事な人なんです。』


『死んでほしくない人なんです。』


『ちゃんと、あたしがいきますから。』



『いきますから。』





水、

プール、

会わない、

言葉、



巴、


巴、




お前は、










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