「ボス!!!」
「、っ…か…!!は…っ!!」
「しっかりしろよボス!!こんな浅い溜め池で溺れ死ぬなんて、キャバッローネ1の恥になるぞ!」
「バカ、ヤロ…誰が死ぬ、か…」
「それだけ言えるなら大丈夫だな。ったく…俺らがいないとドジなのは知ってるが、まさかこんなとこで溺れるなんて思…」
「ロマ、リオ…!車だ…っ!」
「なに?」
「巴を、探せ…!早く…!!」
┼
「ボス!!学校なんかに本当に巴嬢がいるのか!?事情は分からねえが、急ぎなんだろ!?」
「いるとしたらプールだ!家にも帰っていねえなら、そこしか考えられねえ!!」
本日二度目の並盛中学、恭弥にどやされるかもしれないが、入れるところまで車で突っ込み、飛び降りてプールサイドを目指して走る。
水の話、プールの話。
根拠なんて一切ないが、もうここしか考えられない。
水の中で聞いたあの声が、幻聴じゃないと言うのなら、もう、ここしか。
「っ…!巴!!!」
鍵を閉められていたフェンスによじ登り、飛び越えて、駆け込んだそこにはやっぱり、予想通りの姿があった。
小さな背中、茶色の癖っ気。
見れば体は頭からずぶ濡れで、服から滴る水が残す跡から、巴が一度プールに入ったことを物語っていた。
「ディーノさん?もう帰られたんじゃなかったんですか?」
「…お前こそ何でこんなとこにいるんだ、巴。」
「あ、忘れ物を取りに。」
「忘れ物?」
「はい。ゴーグルを。」
と言って巴が見せた手の中には、確かにあった青いゴーグル。
「水の中に忘れたのか?」
「はい。」
「服のままで取りに入ったのか。」
「いちいち水着に着替えるの面倒じゃないですか。」
そう言って笑う巴。それに対して分かったと応える俺。
ああ、分かった、分かったよ。質問を変えよう。
「なあ、お前が今朝言った、」
「はい。」
「『水に気を付けろ』って、どういう意味だ。」
「そのままの、意味ですよ。」
夏は水難事故が多いので。
言って、肩越しの視線を逸らした巴に、いい加減堪忍袋の緒が切れそうになってくる。
そうじゃない。
そうじゃねえだろ、巴。
俺が、聞きたいことは、
「お前はさっき…!」
「ディーノさん、水難事故は怖いんですよ。」
「巴!!」
「当たり前のように今吸っている空気が吸えなくなって、もがくのに、流されて、流されて、……流されて。」
「……巴…お前…。」
「流されて、自分がどこにいるのかも分からなくなって、ずっと一人ぼっちになるんです。死んでしまっても苦しさは消えなくて、誰かに気付いて欲しくて助けて欲しくて、…手を伸ばす。」
手。
聞いた瞬間、首にあのリアルな感触が蘇って背筋が凍った。
必死の手、すがりつく手。
それを俺は、振り払おうとして。
「…巴。」
「はい。」
「それは、誰に聞いたんだ?」
「…友達にです。」
そしてきっと、巴はその手を、
「なので、そうならないように気を付けてほしかったんです。ディーノさん、部下の方がいないところじゃカナヅチですし。」
「…妹分が余計な心配するんじゃねーよ。」
「ふふ、すみません。」
「お前に心配されなくても、俺には俺より頼りになる仲間がいるし、」
「そうですね。」
「妹分のとばっちりを受けるのを迷惑がるほど、情けない兄貴分でもない。」
「…そうですね。」
「巴、」
「……。」
「巴。」
「はい。」
「お前が死んだら、俺はいやだ。」
水に濡れた巴の体が、まるで死人のように冷たい。
覆い被さるように抱き締めた小さい体。ふと背中に目がいけば、不自然な服の捩れが肩に二カ所。
必死に掴んだ指の皺、悲しいくらい引き絞られた苦しみの跡。
言葉も抵抗も嗚咽もない巴の体をその皺ごと抱き締め直して、力を込めて、俺は精一杯精一杯、巴の存在を確認した。
なあ、一体何があったかなんて、俺にはちっとも分からねえよ、巴。
ただ分かるのは、お前がお前の大事な奴らに、何か火の粉が飛ぶのを恐れて、一人で全てを終わらせようとしていたことだけ。
一番近い筈の仲間にも、ツナにも、誰一人としてそれを気付かせずに、全てを終えようとしていたことだけ。
「…このワガママやろう…。」
誰かが傷つくのを恐れて、自分が死ぬことは美徳なんかじゃない。絶対ない。
死んだら厚意を返すこともできないと、お前は誰より知ってるくせに。
「…なんのことですか?」
知っているくせに。
┼
「…そんなことがあったのか…。」
「ああ…悪かったなお前ら、説明もせずに振り回して。」
「…ま、ボスの奔放ぶりは今に始まったことじゃねえからな。」
「そうそう。第一あのまま巴嬢に会わずに帰ったら、一週間もしない内にまた会いたい会いたい言い出しただろうし。」
「いや、三日だな。」
「帰りの機内でもう言ってたと思うぜ?」
「それは言い過ぎだろお前ら…!」
否定はしないけどよ、と付け足した俺に対して、ドッと湧き上がる機内は、さっきプールにいた時とは全く違う、穏やかな空気が流れていた。
─あの後、巴を家まで送ってからおよそ三時間後、予定より随分遅れて飛び立った飛行機の中で、俺はようやく部下達に今日のことを説明した。
コイツらが俺を信用してくれていることは今更疑う余地もないが、聞く奴が聞けばにわかに信じ難い筈のこの不思議な話。
しかしながら、何故か部下達は一人残らず妙に納得して、巴にもう危険がないと知った後は、特に問い質すこともなくそれぞれがしばしの眠りにつく。
「どうしたボス?腑に落ちない顔して。」
「何か…変に納得し過ぎてないか?お前ら。」
「そりゃボスの言うことだしな。…それに、前に山本と巴嬢が遊びに来た時があっただろ?」
「…?ああ。」
「あの時、似たようなことがあったからな。」
「なっ…なに!?」
おい、ちょ、なんだそれ!?そんなこと聞いたことないぞ!?ていうかなんで俺だけ知らないんだ!?
と、突然明らかになった意外な事実に食ってかかると、ロマーリオはニヤニヤと笑いながら俺に無理矢理膝掛けを被せる。
「まあ今日みたいな危ないことじゃねえから心配無用だぜ。さ、ボスも少し寝た方がいい。」
「おい!はぐらかすなよ!」
「ははは、女ってのはな、秘密を抱えて綺麗になるんだぜ。」
「そりゃ一理あるけどよ……でも今日みたいな秘密は、もう御免だな。」
「…そうだな。」
それも含めて、ボスの気持ちはちゃんと巴嬢に伝わったと思うぜ。
そう言って、諭すように俺の肩を叩いたロマーリオの言葉を信じて、俺は大人しく仮眠を取ることにして目を瞑った。
他人の幸せを自分の幸せだと心から思うことのできる巴なら、俺の言葉を汲み取ってくれる筈だ。
表面上はすっとぼけていても、顔に出さなくても、きっと大丈夫。
俺は、可愛い妹分を信じてるぜ、巴。
それに、
「…ロマーリオ。」
「ん?」
「水の中で聞こえた巴の声でな、アイツ、俺のこと……」
「…?」
「俺のこと…『大事な人』だって。」
『大事な人なんです。死んでほしくない人なんです。』
ああ、そんな風に、思ってくれていたなんて。
「自分の方が何倍も想ってると自惚れて、挙げ句の果てに拗ねちまうような男には、そりゃ勿体無さ過ぎる言葉だな。」
「うるせー。」
でも結局はロマーリオの言う通り、俺はガキで間抜けで、勝手に不安で、信じていなかった。拗ねているのを気付かれないようにする振りをして、ほんとは気付いて欲しかった。
ごめんな、巴。
お前が隠すのも悪いけど、
自惚れだって何だって、これは信じていいだろ。
俺に生きろと言うくらい、俺がお前を想ってることを、お前は知って、今、生きてるって。
『…友達は、』
『はい?』
『その《友達》は、どこ行ったんだ。』
薄暗くなる機内、微睡み始める空気、夢に向かうその手前で、さっき抱き締めた巴の言葉と感触が蘇る。
『帰りましたよ。』
『どこに?』
『帰る場所に。』
だからもう大丈夫です、なんて言うけどなお前、お前が全然、ちっとも大丈夫じゃなさそうだぞ。
言われてへらっと笑う巴。本当は一緒に行ってあげたかったんですと、笑う巴。
なあ巴。
俺本当は、知ってんだ。
水声、水声、涙声。
水の中に引き込まれて聞いた言葉は、本当はあれだけじゃない。
『淋しい』
『寂しい』
『淋しい』
「さみしい」
『寂しい』
『誰か一緒にいて』
知らない女の苦しむ声に、混じって聞こえた微かな本当。
「…て、やるから、……。」
「ボス?……寝言か…。」
なあ、居てやるから、たった一言俺の前で、俺に向かって言ってくれよ。
健全に人を想って、人に想われていることを知っている筈のお前が、同調したそんな言葉を。
ミズゴエ、ミズゴエ、なみだごえ。
「さみしい。」
あれは、お前の声だったよ。
END
2009.6配信
2013.6加筆修正