夕餉に出されたomelet containing fried riceと言うものは見事に美味かった。大体、巴の作るものが美味くなかった試しはないが、真田も猿も絶賛の出来映え。
美味いdinnerに美味いdessert、とくれば、美味い酒がなけりゃあ野暮ってもんだ。真田も昨夜は遅くに到着したので、まだ盃を合わせていない。
そういうわけで始まった宴で、真田と飲み比べをしていた途中までは記憶があるが、その後はうろ覚えだ。飲み比べを始める前までは酌をしていた巴は、いつの間にかいなくなっていた。俺に声もかけないで下がるとはいい度胸だ。明日会ったら文句を言ってやる。
と思っていたが、今目の前にしてそんなことはさっぱり忘れているんだから、全くコイツは運が良い。
「べろんべろんですねえ。片倉さん呼んだ方がいいですか?」
「…部屋に戻るっつってきたから…いい。」
「部屋に戻ってないじゃないですか。まあ体勢的に呼びにいけないですけど。」
気がついた時には、俺は巴の膝を枕にして縁側にいた。外はまだ月の灯りしか頼りのない宵闇。どうやら、まだ日付は変わっていなかったらしい。
それはよかったが…少しばかり飲み過ぎたな…。一眠りした筈なのに、頭にはまだ酒が回り、胃には危険な圧迫感がある。簡単に言えば、今動いたら吐くだろう。
巴の言葉から察するに、ここはコイツにあてがった客室の縁側だ。客と言うほど畏まった仲じゃねえが、流石に城主が客室で嘔吐するなんて失態は避けたい。何よりそんなことをすれば、小十郎が黙っちゃいねえだろう。二日酔いに説教?絶対に御免だ。
察しの良い巴は、そこのところをよく分かっている。まず間違い無く、俺が無理矢理やらせたか倒れ込んだかして渋々やっているだろう膝枕の体勢を微動だに崩さず、やんわりとした手つきで俺の腹を撫でる。月明かりで僅かに窺える表情は、呆れ笑いにしか見えなかった。
「お酒も程々にしましょうね。寝首かかれたらどうするんですか。」
「お前がするわけねえ…。」
「そりゃあたしはしませんけどね。猿飛さんほどとは言いませんけど、多少なりとも警戒心は持ってもらわないと、周りの方が心配しますよ。」
「…猿は、…」
「はい?ていうか気持ち悪いなら無理に話さなくていいですって。あと猿って呼びかけたらすごい威嚇されました。」
「……猿は、お前を…傷つけやしなかったか。」
ああ、酔ってるせいで、気の利いた言い回しができねえ。まあ、どんなに遠回しに言ったところで、巴には無意味か。時に腹が立つほど相手の真意を汲み取るその術は、もしやそういうバサラなのか。
巴は言葉を返す前に一拍置いてから、いいえ、全く、と、穏やかに答えた。
「毒味ついでにお料理に興味津々だったみたいです。何だか良く出来た女中頭みたいな人ですね。」
「Ha…アイツは真田のmotherみてえなもんだ。」
「あはは、しっくりきます。」
「…巴。」
「はい?」
「今日のdinnerも…美味かったぜ…。」
「ありがとうございます。さっき聞きましたけどね。」
「…巴。」
「はい?」
「あのゴボウのcakeの…recipe、教えろ。」
「いいですよ。じゃあ明日にでも。」
「…巴。」
「はい。」
「……此処に留まれ。」
「…それはできません。」
見なくたって分かる。今、苦笑いしてんだろう。何度となく発した誘い文句は、いつもきっぱりと押しのけられた。
巴は、奥州に留まらない。そんなことは、解ってる。
「…兄貴の手がかりは…まだ見つからねえか。」
「はい。」
「……そうか。」
「相変わらず、何処に行っても知らない国ばかりです。気候的にこの辺りだと踏んでますが、知り合いにすら出会えません。」
「……。」
「だから今度は、西に下ってみようと思います。その前に、真田さんとの約束があるので、甲斐にも行くつもりですけど。」
「……。」
「…いつも心配して頂いて、本当に有り難いんですよ。」
「…巴。」
「はい。」
「頭…、」
「頭?」
「……頭、撫でろ。」
「ああ、はいはい。」
腹にあった手が頭に動いて、控え目に髪に触れる。梳くように上下する指は髪の間を滑り、その内猫にでもするように、手のひらがゆっくりと頭全体を撫でた。
程良い圧迫で動く手に、知らず知らず瞼が落ち、溜め息が漏れる。玄人の按摩師の指圧も、上物の遊女の愛撫もこうはいかねえ。
「破廉恥なこと言ってないで、早いとこお酒消化して下さい。」
「真田みてえなこと言ってんじゃねえ…。」
「真田さん、面白い方ですね。廚で凄い雄叫び聞きましたよ。」
「…flirt.」
「よい子はそんな南蛮語覚えないで下さいねー。」
「……。」
素面の時でも一筋縄じゃいかねえ奴に、泥酔状態でthroughされない方が無理ってもんか。…まあいい、俺は今、気分は良いからな。口説くのは明日に回してやる。
思った途端、吐き気を超えて急に眠気が襲ってきた。酒と頭の感触とで、眠りに落ちる態勢は万全。このまま落ちても構わねえが、その前にもう一度巴の顔を見ておこうと瞼を押し上げる。
天井には、俺を見る巴の目があった。あの人を見透かす目。虚勢も誤魔化しも、無駄と思ってしまう目。
コイツはこの目で世界を見て、一体何を思って生きてきたのか。
「手だけ置いていけたらいいんですけど、大事な商売道具なので。」
「……。」
「どちらにせよ、所詮仮初めです。藤次郎さんが欲しいものはあたしではないですし、あたしが欲しいものも安住の地ではないから。」
「……。」
「あたし達は、我が儘なんですよねえ。大勢の人に支えてもらってるのに、たった一つに固執して、どれだけ経っても忘れられない。」
「……。」
「でも、忘れちゃいけないんですよね、きっと。忘れずにきたから、誰かを支えたり、支えてもらう今の自分があるんですから。」
「……。」
「忘れずに折り合いをつけるために、やれることは全部やるつもりです。言われるまでもないでしょうけど、藤次郎さんもどうぞ、決意のまま進んで下さい。偶に疲れたら、仮初めですけど、手を貸しますよ。」
「…Thank you.」
ああ、これだから。
これだから、コイツを欲しくなる。世界中を見てきたくせに、結局はたった一つしか求めないコイツに、同じ重さで自分を想わせたくなる。
巴はそれを仮初めだと言う。確かに最初はそうだった。そうだったと認めざるを得ない。が、もう今はその域を超えかけているんだ。誰かの代わりじゃねえ。
国主の俺に気を遣うこともなく、思ったことを言い、告げ、尋ねて、ずかずかと人の中に入ってくる。そんな無礼と紙一重の行為を、ただ相手を思って平気でやってのけ、笑い、そして離れていく、コイツが欲しい。
お前、本当は気付いてんだろう。勘の良い奴だ、十中八九……いや、変なところ鈍感だから、本能で無意識に危険を感じ取ってるってとこか。
いずれにせよ、俺にここまで思わせといて、このまま逃げ回ろうなんざさせねえからな?
「…巴。」
「はいはい…っていうか藤次郎さん、大分おねむでしょう?もう寝ちゃっていいですよ。何とかします。」
「明日の朝…手合わ、せ…しろ…。」
「えー…藤次郎さんが刀の所持二本までにしてくれるなら考えますけど…。」
「…OK….」
「明日忘れてくれてることを全力で祈ってますね。」
そうはいかねえぞてめえ。しらばっくれたら刀六本full使用だ。
と、そんなことをつっこむ気力はもう無く、状況も思考も何もかも投げ出して、睡魔に身を委ねる。
全く、今日は悪くねえ日だった。
コイツが此処に留まれば毎日、こんな風に思えるに違いない。
「今日はいい月夜です。悪い夢が入る隙もないですね。おやすみなさい。」
隙どころか、悪夢の種なら今お前が取りさらっただろ。その手で。