「毒には毒を、ってね。」



真っ直ぐ見据えてくる茶の瞳が、不自然に揺らいだのを見止めて攻撃を止める。

俺様の手の中でくるりと回る苦無の先には、忍お馴染みの便利な便利な麻痺毒が塗り込められていた。随分手間を取らせられたけど、一度でも掠めてしまえばこちらのもの。



「俺様相手によく粘ったと思うよ?部下達だったら逃がしてたかもね。」



目が霞むのだろう、顰めていた眉に一層力が入って、彼女はそれでも気丈に向かい合う。髪の色のせいか、こんな少女なのに一瞬旦那の戦姿と被って、振り払うようにさり気なく苦無を一振り、毒の仕込まれていない物と取り替えた。



「分かってると思うけど、死んでもらうわけにはいかないよ。誰の差し金なのか、ちゃんと教えてもらわないと。それとも舌でも噛む?自爆してみる?」



聞いといてなんだけどさ、君がどんな方法を選ぼうが、生け捕りにする自信があるんだよねえ。

それほどに俺の頭を冷やしたのはそっちのせいだ。何てったって、旦那を毒殺なんて、度胸のあることをしようとしたんだから。



「その口が動けば充分だよ。掃除が面倒だから、ここにその悪い手も逃げる足も置いていってくれる?」



半分冗談、いや半分以上本気でそう言って、口だけで笑いかけたその時、何故か彼女は一瞬、眉間の力をふっと抜いてその表情を変えた。目が据わったのでも、怯えたでもないそれはまるで、奥州で初めて向かい合ったあの時のような顔。言葉にすればおかしく聞こえるが、複雑な感情なんて何もない、屋根の上に居た自分の存在を理解した、というだけの顔。

何故今そんな顔をするのか。開き直ったか?まあ、知ったことじゃないと構えれば、彼女はどすりと背中の荷物を下ろす。



「真田さんは、無事なんですよね。」



確信に満ちた質問に、そりゃあ勿論、と親切に答えてやる。死なせるわけがないさ、俺様が。

とは言え、あの旦那があれだけ吐いて青ざめていたのだから、焦らないというのは無理だった。何の毒なのか判らず、兎に角似た症状に対しての解毒剤を飲ませてから部下に介抱を任せ、既に町から出ていたこの子を追って今。旦那に酷い変化があれば部下が報告に来る。しかしそれが来ないということは、無事なのだろう。

ここ数日の旦那の食事は、全て俺が用意している。時間差のある毒だとしても、消化を考えると一日の内しか考えられない。旦那が彼女の所に行った以外には、おかしな物も食べなかったし、余計な所には行かなかった。昼間から今朝にかけて、旦那に宣言した通り部下を見張りに付けていたのだから、他に探りようもない。



「残念だったね。旦那の食欲に取り入ったり記憶を飛ばしたり、猪口才ことはすごーく上手だったけど。」

「言わないと怒られそうなので一応言っておきますが、あたしは毒なんて入れていませんよ。」

「へえ?じゃあ何の薬?」

「薬も入れていません。あたしは忍でもないですし、藤次郎さんの回し者でもないです。真田さんのお腹を壊させる気も、ましてや殺す気もない、ただの根無し草です。…でも、」

「……。」

「結果的に真田さんを苦しめたのはあたしです。大事な人を殺されかけて怒る猿飛さんの気持ちは尤もです。だから、あたしのことを殺してしまって構いません。」

「…それは挑発?」

「そのつもりはないんですけど…あたしの持っている答えはこれで全部なので、遠慮無くどうぞ。ただ、今まであたしを生かしてくれた人達に申し訳も立てられないのはキツいので、抵抗はさせて下さいね。」



困ったように小さく笑って見せた彼女は、そう言って両手を体の前で構え、足を開き、僅かに腰を落とす。右目の旦那の前で見せた構えだ。その顔からは笑みが消え、また辛そうに眉が顰められれば、纏う空気が張り詰める。

彼女が今更何を言おうが、怪しすぎる点が多すぎて信用に値しない。惑わすつもりかと言葉を右から左に聞き流し、こちらも構える。どちらにせよ遠慮なんてする気はない。が、ここで殺す気もない。大体、それより先に麻痺で動けなくなる。



「殺さないと連れていけませんよ。」



麻痺毒は前にも受けたことがあるので、多少耐性がついちゃったんです。

と、思考を読んだように、彼女はぽつりと言うけれど。

毒なんて何処で受けたの?普通の流れ者は、忍の麻痺毒なんてお目にかかる機会はないよね?

そして何より聞きたいのは、何でそんなに死にたがっているような口振りかってこと。抵抗すると宣言し、今まで必死に逃げていたくせに、向かい合った今、やけに揺らがないそれはなに。




「もう何も聞かないで下さい。」





そうだね、後はちゃんと捕縛してから、拷問の合間にでも聞かせてもらおうかな。













「止まれっ!!!佐助ぇええっっ!!!!」

「、えっ!?」



聞き慣れた爆音…もとい、大声が背後で弾けたのは、あれから半刻程度経ってからのことだった。

今此処に有り得ない筈のその声に、はっと振り返っ……た瞬間に殴り飛ばされるとかどんだけ不憫なの俺様。



「巴殿っっ!!!無事でござるか!!?」

「ちょ…旦那…俺様が無事じゃないんだけどー…。」



ていうか、その子は旦那に毒盛った張本人なんですけど。旦那ピンピンしてるし…いつものことながら回復が早いなあ。

遠慮無くぶん殴られた頬を押さえて体勢を直すと、旦那は今まで俺と攻防を繰り返していたあの子の元に走り、いつもの初さは何処へやら、彼女の肩をしっかり掴んで至近距離で謝罪を述べる。それを皮切りに始まったのは、怒涛の謝罪合戦だった。



「申し訳ござらんっ…!!某のせいでこの様な目に…っ!!」

「真田さん…!お腹は!?大丈夫ですか!?ごめんなさい…!あたしのせいなんです!」

「某の心配などは無用でございまする!!決して巴殿のせいなどでは!!それより巴殿の体の方が…!!」

「いやいやあたしの体なんて全然平気です!問題無いです!それより従者さんにまでご迷惑をおかけして…!!」

「いや!!某の腹が軟弱な為に佐助を止められなかったのだ…!!巴殿は謝らないで下され!!」

「いやいやいや謝る必要がないのは真田さんの方ですって!」

「いいや巴殿でござる!!それに、結果おなごの肌に傷まで付けてしまい…!!」

「この程度気にしてなくて大丈夫です!こちらこそ本当に申し訳…」

「ねえ、ちょっとキリがないからその辺りで止めとかない?」



俺様が止めるのもおかしい気がするけどさあ、と一応断ってみるけれど、旦那の視線は痛い。理不尽じゃない?

一方、件の彼女は旦那に肩を掴まれたまま眉をハの字顰ませて、さっきまで俺様と互角に張り合っていた姿が嘘のように情けなく縮こまっていた。…ちなみに言うと、今旦那が言った通り、彼女の肌はあちこち大小の切り傷が刻まれている。言うまでもなく、俺様が付けたんだけどね。

それにしても、旦那の行動に疑問が湧き上がる。話を聞く分には、彼女の大福が原因ということは分かっているようだけど、毒を盛った相手に「自分の腹が弱いから」って…。



「説明してよ、旦那。それともその子が毒盛ったって解ってないの?ならさっさと離れ…」

「巴殿は毒など盛ってはおらぬ!!」

「じゃあ何で鉄の胃袋の旦那が腹痛で倒れるのさ。」

「そ、それは……そ、某が悪いのだ。」

「は?どういうこと?」

「真田さん、あの、逃がして頂ければそれは言わなくても…。」

「聞こえてるよ巴ちゃん。納得するまで俺様逃がさないから。」

「す、すみません…。」



急に勢いのなくなった旦那と彼女は、どちらともなく気まずそうに目を合わせる。…何、そのお互いを庇う感じ。ていうかこれじゃまるで俺様、悪戯をした兄妹を叱る母親みたいじゃ…



「…そ、某が、包んで頂いたぷりん大福を一つくすねて、今朝食べたのだ。」

「…………は?」

「と、巴殿は、悪くなりやすいから昨日のうちに食べろと、仰って下さっていただろう。それを破って、今朝佐助が、大福に毒は見つからなかったという報告に来た後に、食べて…」

「は?」

「わ…悪くなっている、ような、感じは、微かに、したのだが、」

「 は ? 」

「さ、猿飛さん…。」

「巴ちゃんは黙ってて。…旦那?」

「っ…某が悪かったのだすまぬううぅうう!!!!」

「俺様じゃなくて?」

「巴殿おおぉおお!!!!申し訳ござらんんんん!!!!」

「いやあたしは全然…!ていうか、くすねてたんですか…。」

「給料減らされたとしても言わせてもらうけど…旦那ばっかじゃないの!!?はあ…信じらんねー…。」

「うぅ…。」



あーそう、成る程ねそういうわけね。旦那が俺に気付かれずに大福くすねた、一日経って悪くなった、腹下した、と。何だよこの単純明快。

ここでまだ彼女を疑うのなら、旦那がくすねた大福にだけ毒を盛ったとも考えられるけど、俺にも予想できなかった旦那のくすねるという行動を果たしてこの子が予想できただろうか。俺達が食べないであろうということが前提で、俺が忍と分かっていながらそんな博打を打つか?それならその日の内に逃げて、昨日の夜の内に武田の領地から逃げていてもおかしくない筈……。



「…ああもういいや。先に戻って手当てするから、はい。」

「え。え?…っと…?」

「申し訳ございませぬううぅう…!!!」

「いいからこっち来て。担いでいくから。いくら麻痺毒に耐性あるって言っても、まるっきり平気なわけじゃないだろ。」

「い、いやいいですよ!というか、誤解が解けたならあたしここから出発させて頂きたい…」

「馬鹿言うなよ、まだ疑ってる。だから連れて帰るから。」

「えええ…さ、真田さん…!」

「某はっ…某はとんでもないことをおおぉ…!!!」

「旦那うるさい。この子の荷物持ってきてよ。」

「ぅ、わっ。」



渋る彼女と動かない旦那がほとほと面倒に感じて、さっさと動くことにする。困惑している隙に間合いを詰めれば、さっきまでの攻防の反射か拒否の動きを見せた。しかし驚く程に呆気なく、武器を持たずに伸ばした両手は彼女の細い体を腕に収める。

あまりに単純で、酷く毒気を抜かれてしまった。敵意が無ければ避けもしないなんて。そしてどうやらそれは無意識のようだから、理解に苦しむ。



「さ、猿飛さん!?ちょっ…は、速…!」

「無駄口叩くと舌噛むよ。」

「そうなる前に下ろして下さい!動く口は要るんでしょう!?」

「アンタの持ってる答えは全部話したんだろ。」

「そうですけど…って何か台詞がひっくり返ってる!」

「うるさいなあ。」



あっさり抱き上げられた癖に、口では激しく抗議するものだから、これもまた面倒になって走りながら首筋に手刀を落とした。微かに荷物の重みが増す。

俺様も短気になったもんだよねー。うっかり舌噛んでないといいけど。まあ、それは多分大丈夫だってことにして、




「結局、紛らわしいアンタは一体何者なのさ?」





あと、とりあえず旦那はひと月お八つ抜き。



.



人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -