くだをまくひと



「それで?」

「⋯帰ってきたわ。あいつと女の尻に熱湯ぶっかけてね」

「うわーよくやるよね君も」


なぜこんなことになっているのか。

誰とも会いたくない。今日は一人で呑んだくれようと入った店に馴染みの顔があった所為で、今となっては元彼氏の浮気現場での顛末を赤裸々に吐露する羽目になっているのだ。

「だから浮気なんてされるんだよ。駄目駄目。そういう男を引っかけたいんだったら、もっとしおらしくならなきゃさ。君に普通の男との恋愛は無理」

「⋯⋯⋯」

すべて吐き出せば少しは気持ちが晴れるかもしれないと一片の希望でもって始めた話は、ナマエの出来たての生傷にはあまりにも染みる。

なおかつ、今日ばかりは話す相手を間違えた。この明け透けに物を言う男、イルミは仕事相手としては申し分無いが、人の悩み事を聞く才能は絶望的に無かった。

傷口に塩を塗られるどころの騒ぎではない。


「確か一緒に住んでなかった?君の稼ぎで」

「あいつの商売道具全部売り払って鍵変えてきたわよ当たり前でしょ」

「ハハ、徹底してるね」

充血した両目でもって睨んでやるけれど、どこ吹く風で笑っている。

「だからオレにしとけって言ったのに」

「うるさい。今冗談聞ける心境じゃない」

「冗談じゃないんだけどな」


面白半分に人の心を抉ってくる彼に、ナマエの反抗の火がちりちり燻り出す。

つい先刻、ナマエは格好の攻め具を見つけてしまっていたのだ。

イルミのプライドと彼女の延命のためにも黙っておいてやろうと思っていたけれど、今のナマエにそんな慈悲を施す心の余裕はなかった。


どうせなら同じ穴に落ちて来い。


「君も余裕ぶってたら痛い目みるよ」

「残念。オレはナマエみたいなことされないから」

「ふーん」


「じゃああれ何」とナマエが指差した方向には一組の男女。


あの女の顔はナマエも知っている。

少し前に彼の携帯で写真を見せられたことがあった。そうやってこれまで数多く女の写真は見たけれど、同じ顔を見た事は一度も無かったっけ。

此方に気づかずに男に撓垂れ掛かるようにして店を出て行く女。その後ろ姿をイルミとナマエの二人が無言で目で追う。

「あはは、どうする?傷の舐め合いでもしようか?」

どんな顔になってるのかと怖いもの見たさでイルミの横顔を見ると、その口元は僅かに綻んでいた。ナマエの予想とは真逆の表情で拍子抜けする。

「参ったなあ。あ、ナマエは少し待っててくれる?」
そう言い残して戸口に向かって行った彼は、やっぱり何故だか嬉しそうだった。


「また殺ったでしょ」


5分と時間を置かずにカウンターに戻ってきたイルミに言葉を投げる。

「うん。もういらなくなったからね」事も無げに肯定された。

ナマエもナマエで女に対する哀れみといった感情は全く無かった。

この男と付き合った以上別れと死は同義であり、それが遅いか早いかの違いしかないのだ。
だが、下手を打たなければ彼女はもう少し長く生きられただろう。

「今回は特に不運な子だったなあ」

「さて、お互い相手が居なくなったことだし、ねえナマエ」

「え、さっきの話本気にしてるの」

先ほど彼に言った言葉を思い出す。まあそれもいいかもしれない。こんな夜の情事は傷の舐め合いなんて生優しいものになんかならないだろうけど。


「まさか。そんな間に合わせの愛が欲しいわけじゃない」


オレと付き合わない?


「まさか。冗談でしょ」

生憎まだ死ぬ気はないよって言ったら、ナマエが普通の恋愛を諦める時までオレは待つ事にするよ、とイルミは冷たく笑って言った。

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