ゴールデンハンマー!!




順風満帆とまではいかないけれど、ベターなシンプルライフ。
一般的な教育を受けて適度な収入と生活。友人も幾人か。同じような暮らしぶりをする人間はこの世の中に何千何万といるに違いない。
唯一、ナマエが他人と違うのは不思議な力を持っている点だった。


「ナマエ」

行く手を阻むように目の前に立った長身の男。
街道を一定のスピードで流れる人混みの列に紛れて、規則的に進めていたナマエの足が止まった。

「?」

一瞬、知り合いにでも遭遇したのかと思うも、数少ない親しい友人が大陸をまたいだこの街に居るという話は聞いていないし、ナマエ自身旅先のこの街にはつい一週間前に訪れたばかりである。気のせいか、と思い直して先を行くのに邪魔な男の傍を迂回しようとした時だった。男の筋肉質な腕がナマエの腕を捕まえた。
ぎょっとしている間もなく、腕を引かれ元の位置へ戻される。固まるナマエの顔を覗き込んだ男は。

「いい一撃だったよ」

そう言って、薄らと笑みを浮かべた。

「よくわかりませんがどなたかとお間違えで⋯⋯」

「いいや間違いなくキミさ、ナマエ」

男の言葉に身が震えた。名前を呼ばれたのは気のせいじゃない。逃げ出すつもりで背けた顔を、ナマエは恐る恐る男に向ける。
そこでようやく思い出した。奇抜なメイクを施してはいるが、この男、この間の。


何日か前の夜のことだ。

連泊している市外の安ホテルの部屋に戻ってくると、誰もいないはずの室内にシャワーの水音が響いていた。
隣の部屋に入ってしまったのかと思い、手の中のルームキーを見るが彫字されている部屋番号はここ何日かで見慣れたそれだったし、そもそも自分が開けるまで鍵はしっかりと締まっていたのだから部屋を取り違えているという事はなかった。

「⋯⋯なに?」

この街の治安はそこそこ良いとはいえ、100パーセント安全ではない。しかもこの日に限って部屋に財布を置いて出てしまっていたのだった。
少しばかり不安を覚えながらも、手探りで壁に手を這わせ、電灯のスイッチを押した。ジジ⋯とフィラメントに電流が流れた音に遅れて部屋が明かりで照らされる。

ナマエの目の前。部屋のど真ん中に人がいた。
そしてその人物は、たった今シャワー室から出てきたばかりの格好で。

「やあ、ここってキミの部屋?」


そう言った。

初対面の全裸の男からにこやかに話しかけられる体験はそうそうあることじゃない。

一瞬でパニックに陥ったのも無理はなかった。そして悲鳴をあげるより早くナマエは能力を発動したのだった。
斜め下から突き上げるように現れた巨大な拳、正義の鉄拳は目の前の男を吹き飛ばした。天井に開いた大きな穴からぱらぱらと剥がれた建材が顔に降ってきて、ハッと気が付いた。

「ああ! ご、ごめんなさっ⋯⋯!」

あまりにも男が堂々としていたために一瞬謝りかけた。
が、不審者には違いない。けれど何かをされたということでもない。
過剰防衛に問われれば面倒ごとになる。ナマエは慌てて部屋を出た。視界の端に奥にもう一人誰かが倒れているような気もしたが、なにしろ必死だったのではっきりとは見えなかった。

そうして謎の爆音に首をかしげるフロントで残りの日程をキャンセルしたナマエは、急いでその場をとんずらしたのだった。


「―――あれ、もう一回ヤってよ」

白昼堂々のセンター街。頬骨と右腕についた痛々しい打撲痕、それをナマエに見せつける男はやけに嬉しそうだった。

「あの、要件って、それですか?」

ナマエは思わずそう聞き返した。殴られた報復に来たと言われればまだ納得できたものを男の要求は意外なものだった。

あの日、ナマエの部屋の隣でブラックリストハンターの密会が行われていた事。男がそこに乗り込んで参加していた全員を殺害した犯人、あのヒソカ=モロウであるということは後々知った事だった。
逃げたハンターの一人がベランダからナマエの部屋に逃げ込んだらしい。ハンターの男をその場で片付けたヒソカは、部屋主が不在なのをいいことに勝手にシャワーを使用して悠々と汗を流していたのだ。次の日にネットニュースを見て血の気が引いた。

「そ。一瞬だったからキミの顔は正直よく覚えてなかったんだけど。ホテルの帳簿に名前が残っててね」

(⋯⋯あれか⋯⋯!)

フロントの帳簿に本名をそのまま残してきていたことを思い出す。
そこから素性を調べられたらしい。

「また会えて嬉しいよ」

うぐっ、と青ざめた顔で後ずさったナマエの様子を見て、ヒソカは自己紹介の必要はないと踏んだようで、意味ありげな笑みを浮かべた。

「ご挨拶じゃないか。無抵抗の善良な市民に暴力を振るっといて」

ナマエの経験則上、悪びれもせず若い女の前で全裸を披露する善良な市民はいない。
というか。

「善りょ⋯⋯そもそも貴方ものすごいフダ付きじゃないですか!」

知ってるんですからね!とヒソカの目の前に携帯端末の液晶画面をずい、と突き出した。公安のお尋ね者コーナーのページに遠目から写されたヒソカの画像。人混みに紛れた写真ではあるが、その奇抜なメイクと大柄な体格ですぐに分かる。その下には危険人物!一般人は近づくな!と赤いフォントで表示されている。

鼻先に突き出された画面の中の自分を一瞥して、ヒソカはそれがどうかしたのかと言わんばかりに片手で端末を払いのけた。

「うん。彼らがあまりにも手ごたえがなさすぎて失望してたところだったの」

ヒソカの冷めた笑顔を見てナマエの背中にぞわっと鳥肌がたった。
中身の外見も世間の悪評どおりの人物だ。ヒソカについては公安すらも持て余しているらしく、彼が関わった殺人や傷害事件はハンター協会に対応を丸投げしていると聞いた。しかし。
その結果はあの夜の皆殺しだった。

「いやっ、あの! 待ってください!
何を勘違いしてるか知りませんが私はハンターですら無いですし⋯⋯この変な力もよくわからないうちに使えるようになってたっていうか」

手ごたえがないとヒソカは言うものの、彼らはナマエとは違いライセンスを所持する正式なハンター。自分なんかの能力を買い被られても困惑するしかないのだ。彼らの評価がその程度なら、なおさらだ。

ナマエの能力は偶然できたようなものだった。

きっかけは学生時代の嫌な思い出。毎週にように通学列車の中で遭遇する痴漢に嫌気がさし、ある日堪りかねて声を張り上げて拒否したところ相手が真後ろに吹っ飛んだ。強く念じることで能力を使えると分かったのはそれからだった。
そうして偶然にも自分に備わったこの力だったが、ナマエは存外これを気に入っていた。
コントロールできるようになってからは、自分と似た境遇の場合だと怒りの感情を誘発しやすかったのもあり、のぞきや痴漢、婦女子に対する分かり易い悪を見つけた時が能力を発動するタイミングだった。自分の念能力に正義の名を付けたのにもそういった理由がある。
つまるところこの能力の使い道はナマエ自身の天秤で計れる範囲でのてっとり早い私的制裁なのだ。そうして彼女はこの不思議な能力でちょっとした人助けを楽しんでいたのである。
かなり痛いが殺傷能力はゼロ。相手を少し懲らしめる程度のものになっているのはごく普通の人生を送ってきたナマエの一般人としてのモラルが働いている所為だろう。

要するにナマエの能力は精神力だけで発動して純粋に打撃のみを与える物理攻撃。これといって特徴の無いものだ。
どう頑張ってもヒソカが期待するような結果にはならないだろうと思われたのだが。

「素人でしょ、知ってるよ」

なんだそうなのつまらない、となるかと思いきやヒソカはナマエの言葉を聞いて「いいね」と嬉しそうに口角を持ち上げた。
ナマエの顔がさあっと青ざめていく。

「今のところキミは非常にボク好みの育ち方をしている。一期一会もキライじゃないんだけど、もう一回くらいキミと遊んでみたくて」

「い⋯⋯」

だからこの間のように全力でボクを殴ってみてよ、とヒソカはこれ以上ないくらいの笑顔で意気揚々と語る。

「嫌ですよそんな」

顔色をさらに悪くしながらもナマエはぶるぶると首を振った。
彼の言う「遊び」の解釈がナマエには全く理解ができない。
あの時は思わず過剰反応してしまったけれど、ナマエだって本来なら無駄な暴力は振るいたくない。
それに、なんとなくではあるが能力も発動しない気がした。ヒソカがナマエには想像もできないほどの重犯罪者とはいえ、今リアルタイムにおいては無害な彼に対して能力を使用することはナマエの中の正義に反する行為なのだ。実際、やっつけたい!という強い感情が伴わなければ能力は発動しない。

「殴っちゃったことは謝りますけど、いまは貴方を殴んなきゃならない理由もないし」

それに素性を知った今では、彼に危害を加えるなんてことは考えただけでも恐ろしかった。

「理由が必要? それが制約なのかい?」

「せいやく⋯⋯? 何の話ですか」

「ああ知らないんだっけ」

「とにかく、これ以上私なんかに構ってても時間の無駄ですから。そういうことでここはひとつ穏便に⋯⋯」

「それじゃキミが要求を呑んでくれるまで待ち続けることにするよ。ボク、ヒマだし」

ナマエの喉からひっと引きつった声が出た。冗談じゃない。

(駄目だ、これ以上この人と関わったら⋯⋯!)

こうなると運が良かったのか悪かったのかわからない。
まさか隣の部屋を借りていただけの無関係のナマエが念能力者だとは思わなかったとはいえ。ヒソカが少なからず油断してたとはいえ。素人同然の実戦とは掛け離れた能力のナマエが、あのヒソカと一対一の状況で一発でも当てられたのは奇跡だったと言える。

ただの不審者だと思って殴り倒してしまった結果、相手が不審者以上に奇妙な性格をしていたお陰で命が助かっただけまだましなのか、と思う反面、なにしろ相手は戦闘狂の殺人鬼だ。
さきに死体を見つけて悲鳴を上げていればあっさり殺されていたかもしれないと思うけれど。何もわからずに即死するのと、生きながらえて頭のおかしな殺人鬼に付き纏われるのとではQOLは確実に後者の方が低い。

「ううっ⋯⋯ええと、ええと」

狼狽えるナマエの様子をヒソカは愉快そうに眺めている。
このまま見逃してくれる線は薄そうだ。

仮にヒソカの要求通りに動いたとして興味が失せてもう用済みだと始末されてしまう可能性もあるかもしれないし、それで満足して解放してくれるというのも希望的観測でしかない。
天空闘技場にフロアを持っているような好戦的な人間だ。今度は戦ってくれと言われたらそれこそ死亡宣告ものである。

どうにかしてヒソカの注意を逸らせる方法はないものかと考えた結果。


「あ、そうだ! 体に化学物質が付着している人が相手だと能力をうまく使えなくて! えっと⋯⋯カラーコンタクトとかアクセサリーとかお化粧とか。なんていうか、その、私、金属アレルギーなので!」

金属アレルギーなんて持ってないしそれがどう能力に影響するのかも考えていなかった。今思いついたことがそれしか無かったのだ。
アハハ!と笑って誤魔化しを試みるナマエだが、額には冷や汗が玉になっている。恐る恐るヒソカを見ると、ヒソカは先までとは違う彼らしくないきょとんとした表情で首を傾げていた。

「金属アレルギー?」

「そ、そうです。ほら、この間だってそうだったじゃないですか」

「今の外見では駄目ってこと?」

「⋯⋯はい、だから」

「へえ」

「⋯⋯⋯」

しばらく流れた沈黙のあと、宙に浮いてしまった間に耐えかねたナマエが口火を切るのとヒソカが喋り出したのは同時だった。
彼は「そう、変わってるね」とすんなり納得してくれたのである。

「そ!そりゃそうですよね! すみま⋯⋯⋯は?」

「じゃあ着替えてくるから待ってて」

そう言い残したヒソカはどこか近くにホテルでも取ってあるのだろうか、あっさりと人混みに消えて行った。今度こそ殺されると思って頭をかばった姿勢のまま立ち尽くすナマエを残して。

「うそお⋯⋯」

多少の事は気にしないのが強者の余裕とでもいうのだろうか。少しでも逃げられる隙ができればいい方だと思っていたのに。

とっさに出たでまかせを信じてくれるとは思ってなかったナマエは少々うろたえつつも考えた。あのヒソカといっても超人ではない。道を選んで車を飛ばせばすぐには追いついては来れないだろうし、空路を使えばその確率はもっと高くなるはず。
おぼろげに逃走の算段を固めるとナマエは一目散に道を走り出した。


それが1ヶ月前の話だった。


「久しぶり」

少量の日用品と保存のきく食料を買い込んで潜伏先のモーテルに帰着したナマエは、部屋に入ってすぐに抱えていた紙袋を床に落下させた。
袋からこぼれた缶詰が床に転がって眼前の人物の足先に当たる。

「お久しぶりですう⋯⋯」

稀代の殺人鬼はよほど暇のようだ。

念には念を入れて空路と海路を駆使して行き着いた先の街に1ヶ月のあいだ身を潜めた。前回の教訓を生かして偽名を使い分け、外出は最低限、なるべく人目につかない時間帯に。情報には最大限に気を使った。
できる限りの手は尽くして、ようやく逃げ切れたと安心していたのに。

「酷いなァ逃げるなんて」

ヒソカの発言にナマエはひきつり気味の笑顔で応じる。

「ボク、何かしたっけ?」

「これでわからないって凄いですよ、逆に」

わざとらしくとぼけてみせたヒソカを見て確信した。
ヒソカはナマエの嘘をそのまま信じていたのではない。彼にとってはどちらでもいい事だったのだ。あそこでナマエが逃げても追う楽しみができて面白い、くらいに考えていたに違いない。まんまとその通りになってしまった。
この1ヶ月の苦労はすべて無駄だったという事だ。

げっそりと憔悴した顔でどうやってここを探り当てたのかというナマエの問いに、ヒソカはしたり気な顔で内緒とだけ答えた。

「だけどナマエがもう少し念の勉強をしていれば逃げ切れたかも」

「ねん? なんですかそれ」

くすくす笑いながらヒソカが覗き込むようにナマエに近づく。体格差の所為でナマエの体はほとんどがヒソカの影に覆われた。ぎくりと緊張するナマエをよそに、湿ったるい物腰で話しかけてくる。

「聞きたい?」

「やっぱいいです」

「ねえ、どうしたらその気になってくれるのかボクなりに考えてみたんだけど」

「聞きませんしなりません」

言葉だけでの拒絶をしたところで、嬉しそうにくすくす笑っているヒソカには毛ほどの効果もなかった。

「ナマエの言っていた通り、この間と同じシチュエーションを作ってみようかとね」

「はあ⋯⋯同じ?」

こちらの意見を聞くつもりはないらしい。結局はナマエが折れる形でヒソカの言葉を聞き返した。同じシチュエーション、前回の苦し紛れについた嘘を思い出す。
あらためてヒソカを見てみると、たしかに素顔で髪を下ろしたスタイルの彼は以前とはかなり変わっていた。やはりナマエのセリフを嘘か本当かは深く考えずとりあえずといったところで彼なりに実行してきたらしい。
薄ら寒い笑い方は顔に張り付いているままだが、外見だけは好青年然としている。まじまじと全身を眺めるナマエにヒソカは「でしょ?」と満足そうに笑ってみせた。

「いや、あのもう分かってると思いますけどあれは」

そこまで言ってナマエはぎょっと閉口した。

「そういえばもう一つあったっけ」
そう言ってヒソカがシャツをおもむろに脱ぎ始めていた。
ベルトに手をかけたところで絶句しているナマエと目が合うと「状況の再現」と語尾にハートマークがつくような茶目っ気溢れる顔で返された。

「何してんですか! やめてくださいこんな所で!」

「こんな所? ここは街外れのモーテルでボクとキミは男と女だ。状況的には何一つ間違ってないよ」

「だから嫌なんですよ⋯⋯ってそうじゃなくって!」

「大丈夫。ボクが興味あるのはキミじゃなくてキミの能力だからさ」

例の夜のトラウマに背を押される形でナマエは精一杯の抗議をしてものらりくらりと躱されてしまう。じつは今度こそ分かりやすくおちょくられているのだが二重の意味で身の危険を感じている真っ最中のナマエはそれに気がついていない。

「警察呼びますよ!」

「もう呼んじゃうの? せっかく二人きりになれたってのに」

ナマエが後ずさって開いた距離をヒソカはじりじりと詰めてくる。

「こ、こ、来ないでくださっ⋯、電話、電話は⋯⋯っ!」

顔面蒼白で自分に背を向けたナマエにヒソカの口角がにやりと上がった。
そして必死にポーチをまさぐるナマエを背後から力づくで抱き込んで、あろうことか状況について行けずに硬直しているナマエの耳を噛んだ。

「ヒッ⋯⋯」
この世の終わりのような表情のナマエの喉が細く鳴り、肺に空気を溜め込んだ直後。彼の思惑通りに叫ばれた例の台詞は、鈍い衝撃音とともに真夜中のモーテルに響き渡った。

世の中にはこの不思議な力を使える人間がナマエの想像よりもいるのかもしれない。そして世の中にはナマエのちっちゃい天秤では計りきれないほどの悪人、変人がごまんといるのだ。
念。そしてこの能力についてより知らなければならない時がきている。自分自身の身を守るためにも。

いつかと同じように空いた天井の穴。
その穴をナマエは絶望の眼差しで見つめていた。


企画サイトMarker Maker様へ《案:犬川様》



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