それだけは駄目
仕事が終わったのは深夜だった。
起こすと悪いと思ったので玄関扉をそっと開けてリビングに入ると、いつもは暗い部屋に明かりが灯っていた。
「あ、おかえりなさあい」
ソファにへたり込んだまま、にへらっと悪気のない笑みを向けるナマエ。その膝の上にはノートサイズのPCが置いてあるのが見える。
「ただいま」
まだ起きてたのかと聞くと「始めたらなかなか止められなくって」と返ってくる。
熱心に何を見ているのかと思えばどうやらこれはオンラインゲームというものらしい。
疲れていたから今夜はすぐに横になりたい気分だったけれど、ナマエが起きているなら話は別。昨日一日会えなかった分、少し話がしたくて誘われるようにナマエに近づく。
「これが全部キャラなの?」
ナマエの隣に腰掛けて覗いた画面の中は所狭しとアイコンが並んでいて、二頭身のキャラクターが木の斧や鎌を片手に動き回っている。虫みたいだと率直な感想を述べると「アバターっていうの」と返された。ナマエが動かしている一体の他にもうじゃうじゃいる。このキャラクターひとつひとつに実物の中の人がいるのだという。
「みんなで育てた果物を収穫したりするの」
「ふうん」
しばらく横から見ていても何が楽しいのか分からない、というよりまるで興味が沸かない。
「そんな生産性の無いものが面白いなんてナマエの趣味も大概変わってるね。オレにはさっぱり」
「変わってる、は余計なお世話」
ゲームフリークの次男や三男とは違ってイルミがこうした方面には疎い反面、インドア派のナマエは俄然得意だった。
退屈だし、気を引こうと髪に触れてみたけれど画面に夢中で全然相手にしてくれない。
「ねえ暇なんだけど」
「一緒にやろうよ、イルミだってやってみれば案外はまるかもよ?」
「狩りなら仕事で散々やってる」
「イルミが狩るのは人間でしょ」
たしかにそうだ。なかなか鋭い切り返しに素直に感心して肯定すると、ナマエは御し難いといった風に嘆息してみせた。
「ほら、私たちって現実でバイオレンスな話ばっかりじゃない。たまにはこういうバーチャルな空間で癒されたいのよ、わかる?」
他にも、花を栽培したり猫を飼ってみたりとこのゲームの面白みを力説するナマエの話を聞いてもやっぱりイルミには理解ができなかった。
そもそも自分であれば日常の癒しなんてナマエ一人が居れば十分足りる。
「そうそう。オンラインだから遠くにいる人とも交流できるんだよ」
ほらこの人、とナマエの人差し指が一体のアバターを指した。彼女の隣に鎮座しているそいつは全身ピンク一色でひときわ目立つ。「実はイルミの知り合いだったり」というナマエの一言に首をかしげる。
「知り合い?」
そんなのいたかな。
ナマエ以外にこんなしょうもないゲームをやりそうな人間なんて。
「これヒソカ」
なにそれ知らないんだけど。
瞬時に頭の中に駆け巡った困惑と不快感が顰めた顔に出ていたみたいでナマエに窘められる。
「あ。またそうやって嫌な顔する」
いつの間にナマエと接触をしていたのか知らないがこういう所は抜け目がない。
まだナマエが仕事仲間だった頃、あまりにも紹介しろと煩かったから一度会わせたのが悪かった。ヒソカはすぐに彼女の事を気に入ったようで度々ちょっかいをかけてくるようになり、それが恋人同士になった今も続いている。
ナマエはナマエでちょっと変わった友達ができた、くらいにしか思っていなくて理解に苦しむ。
「私がお願いしてヒソカは付き合ってくれてるだけなの。それくらいはいいでしょ?」
自分を敵に回す事による弊害はヒソカも重々承知しているらしい。バレるとまずいからってこんな所でこっそりポイント稼ぎというわけか。片手にクワと収穫したてのニンジンを持っているピンクのアバターを、イルミはなんとも言えない心持ちで眺め見る。あいつも意外と努力家だ。ヒソカの旧友などがこのシュールな画を見たらどう思うだろうか。そんなもの居ないのは知っているけど。
「別にいいよゲームくらいでとやかく言わない」
こそこそと出し抜くような真似をしていたのは癪に触るし、ナマエを奪ろうなんて目論みは早々に潰しておくべきだ。
が、所詮は仮想現実の話、現実にナマエといるのは自分。いくらゲーム内で親しくなったところで直接会話できるわけでも生身の彼女に触れるわけでもないのだから、そこまで神経質になる必要はない。
「そんなことより明日だけど、ナマエも仕事入れて無かったよね」
横から手を伸ばしてそっとPCを閉じる。
「久しぶりに二人でどこかに行こうか」
「⋯⋯本当!?」
ぱあっとナマエの目が輝く。
子供のような表情になった彼女が可愛らしくて頭の上に手を置くと、くすぐったそうに身を捩って笑っている。
お互いに最近は仕事が忙しかったぶん、こうしてゆっくり話をする暇も無かったことを今になって少し後悔する。
「さ、そうと決まればもう寝るよ。夜更かししてたら明日に響くし」
「あ⋯⋯ちょ、ちょっと待って!」
このまますんなり止めてくれるかと思いきや。取ったナマエの手にかすかな抵抗を感じた。
「このイベントだけ終わらせてからでもいい? どうしても二人一組じゃないとできなくて今ヒソカに相手になってもらってるの」
まだ優先順位は明日のデートより進行中のゲームだということか。
「ごめん! すぐ行くから」
「はいはい」
まあいい。現実逃避なんかしなくてもいいように、明日一日をナマエのために有効に使おうと決める。ヒソカに対する制裁はまた後日ゆっくりと考えることにしよう。
《条件をクリアしました!ハネムーンボーナスが付帯されます!》
寝室へ戻りかけたその時だった。
甲高いアナウンスと唐突に鳴り響いた結婚行進曲にイルミの足が止まる。
ゲームの中のBGMだということは考えなくてもわかったけれど、さっきのナマエの二人一組という言葉が気になった。このBGMとヒソカ、嫌な予感がする。
画面に夢中になっているナマエの横からずい、と体を割り込ませる。ナマエからは小さく非難の声が上がるも無視してせわしなく光り続けている液晶を覗き見た。
教会のようなステージに規則的に整列した人々。
最前列のナマエと横に並ぶヒソカのピンクのアバター。
あのさ⋯まさかとは思うけどイベントって、とイルミが話しかけた所で軽快な調子で鳴っていた曲が止んだ。
「それにしても今のシステムって凄いよね! この中で結婚とかもできちゃうんだもん。これでノルマ完了っと⋯⋯ヒソカありがとう!」
人々が好き勝手にばらけていったかと思ったら直後に、ピロン、と電子音が鳴る。唖然としているイルミの目の前で画面のなかに小さなアイコンが増える。「あ」
「子供出来た」
「⋯⋯やっぱりゲームも禁止」
「ええー」
なんでよう、とむくれたナマエの声に「禁止」とだけキッパリ言ってイルミはPCを強制終了させた。