そうじゃなくてさ



ナマエが住む郊外にある石造りの家屋に、イルミが訪れたのは昨夜の事だった。
明日までの短い休暇中。今日は午前中からいつものように居心地の良い無言の空間を共有していた。

そのつもりでいた。少なくともイルミ自身は。


「そう、わかった」


唐突に発せられた静かな声に、イルミは手元の本から視線を上げた。

暖炉の中で焚き木がパチパチと弾ける音がしている。

今の今までナマエは気だるげにクッションに跨がって寝転がり、雑誌を眺めていたような気がしたが。
なにが、と訊ねた言葉は彼女が被せてきた言葉に遮られてイルミの耳に帰ってくる。


「そういうことなのね」


そういうこと?
どういうことだ。全く話が見えてこない。


けれど、ナマエの言葉には確かにちくりとした鋭さがあって、イルミは一瞬で彼女の不機嫌を察する。

持って回った言い方が苦手で、本音を隠せないこの性格の所為で誤解を産むのは常にある事だったが、その事でこうも感情的になるほど彼女との付き合いは短くはない。不機嫌の原因は他にある、という事だ。

今何を話していたっけ、とイルミは考える。

大して重要なことじゃなかったように記憶している。
いや違う。記憶に留める気なんて最初から無かったのだ。だから、思い出せる筈もない。

過ぎた事を考えるのは得意ではない。
しかし、面倒だからとこの件を放棄してしまうには、目の前のナマエの顔があまりにも切迫していたことで、イルミはいつになく真剣に記憶の糸を手繰り始めた。そして。

ぱちんと指を弾く。

思い出した。依頼を受けるって話だ。確か直前の話の内容はそんな感じだった。

誰からの依頼だったっけ。
また考える。

そもそも、覚えていなくて当然なのだ。
ナマエと一緒に居る時くらいは仕事の事は忘れる。それがイルミの信条だった。

ナマエと恋人同士になってからというもの、休みの日は常に彼女と過ごすようにしているし、第一選択はいつも彼女だ。過去を見たとてこんなに大切に扱っていた人間は居ないだろう。

一体何に引っかかっているのだろう。

そうやって彼にとっては至極丁寧に思考を巡らせるイルミの横顔をナマエが泣きそうな顔で見つめていたが、しばらくしてぶるっと頭を振ったかと思えばその場にふらりと立ち上がった。

「⋯⋯もういい」


必然、目がいく。


「そうやって」

顔を上げたイルミの前に立つナマエの拳は震えている。

「そうやって一生変態ピエロの尻でも追っかけ回していればいいんだわ!
 私なんかよりヒソカの方が好きなんでしょ! イルミのバカ! 男たらし! 好きもの!」

「え。ちょっとナマエ何言って」

「もう知らない! 嫌い!」


ばん! ばたばたばた。


ヒソカ? 何でそこでヒソカが出てくるのかわからない。

あんなのとナマエを天秤にかけるわけが無い。
今の今まで二の句が告げなかったのもあり得なさすぎてその選択肢すら浮かばなかったからだ。

まだナマエの体温が残るクッションを踏みつけて、イルミは今しがた彼女が飛び出て行った扉へ走った。

とにかく、今は遁走した彼女を捕まえねば。話はそれからだ。





ナマエはすぐに見つかった。


幸いなことに、とは言えナマエの居場所はおおよそ見当がついていたから、探し出すのは容易だった。
彼女はいつも、こうして暗くて狭い所に入りたがる。


「見つけた」


家から左程離れていない場所、大きな老木に開いた洞の中にナマエは居た。
洞の入り口に手をついてイルミは彼女を覗き込む。

「来ないで」

夜露で濡れた草の上に、ぽつんと膝を抱えてうずくまっている。

そうと言われてもイルミはナマエに会いに来ているのだから、彼女の居ない家に独りでいる意味も道理も無い。
来るなと言われてのこのこ引き下がるほどオレは素直じゃないよ、と言いながらイルミがするりと体を滑らせて隣に収まると、顔を膝に埋めたままでナマエがぼそっと文句をたれた。

「狭い」

「ほんとだね。ナマエちょっと太ったんじゃない」

「死ね」

「ああ、またそれか。甘いよねナマエは。最低でも殺す、くらい言ってもらわないと張り合いが無いっていうかさ」

「⋯⋯⋯」

馬鹿じゃないの⋯と消え入りそうな声で言ったナマエは、もはや残っていた最後の気勢も削がれたようでイルミが横で何を言っても反応すらせず黙りこくってしまった。


(やっぱり駄目か)


こうなったら長いこともイルミはよくよく知っていた。
さすがのイルミでもナマエが傷つく発言かそうではないかの線引きは出来る。わざと挑発して負けん気が強い彼女が反発してくれれば、何に対して怒っているのかを勢いにまかせて聞き出せるかもしれないと、一か八かに賭けてみたが、どうやら逆効果だったようだ。


「あのさ、ヒソカがどうとかっていうのはよく分からないけど」


よく分からない、の一言にぴくりと一瞬耳をたてたナマエは丸めた背中から再び不穏な空気を放つ。
ふう、と息をついて、イルミは横に並ぶナマエの体を引き寄せる。


「オレが好きなのは男じゃなくて女、ていうかナマエなんだよ」


説くように話しかけると、ナマエの尖りきった気配が少し和らいだ。
そのまま言葉を続ける。

「今もこれからもオレが好きになるのなんてナマエだけで充分」

「⋯⋯⋯」

「それにどうせ追いかけるのならナマエの尻がいい」

「⋯⋯なに真剣な顔で阿呆なこと言ってんのよ。ほんと肝心な所で抜けてるっていうか惜しいっていうか。
 そーゆーところヒソカと変わんないわよ」


(⋯結構真面目に言ったつもりなんだけどな)

自分にしては精一杯愛情を言葉にして伝えたのに、何故かヒソカとひとくくりにされてしまったのは少々腑に落ちなかったが、多少の元気を取り戻したナマエが口を開く気になってくれたのは大きい。
尻とか言ったのが駄目だったのかな、と明後日の方向に考えを巡らせる彼に見かねたナマエが声を上げた。

「もう!そうじゃなくて!」

涙目のナマエがきっとイルミを振り向く。

「ご飯を食べにいけばいつの間にか同席されてるし、電話をすれば3回に1回はヒソカが出るし。いつもいつも⋯⋯!私はもっとイルミと居たいし過ごしたいのに、いつもいつもそうじゃない!」

「今日だって夜までは一緒に居れると思ったのに」

そこまで言って、ナマエはぐすっと鼻をすすった。

「私が付き合ってるのはイルミなの⋯、好きなのはイルミだけなの!」





その日の夜。
一通の着信がヒソカのもとに入った。

「もしもし、イルミかい? どうし、」

『あ、ヒソカ? 例の依頼の話なんだけど、あれキャンセルするよ』

「え?」

『で、今日からお前の依頼は一切受けないしオレからもしない。飲みにも行かない。
 ⋯これでいい? ⋯うん、オレも好きだよナマエ。あ。じゃヒソカ、そういう事でよろしく』

とイルミから一方的な解雇通告と絶縁宣言をされて通話を切られたヒソカが目を点にして立ち尽くしたのだった。

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