一年目八月【休み明け】



あれは学校主催の夏期講習に参加した帰りのことだった。

昨日から降り続いている生暖かい雨で、駅の構内も湿気を含んだ空気で充満していた。
家が反対方向のイルミと別れ、駅から少し離れたバス停まで歩いていた時。交差点の先のビジネスビルの中からヒソカが出てくるのが見えた。

夏期講習なんて存在自体知らないだろうから、今頃どこぞで遊びほうけているとは思っていたが。
娯楽施設もないこんな場所に一体何の用かとナナミは首を捻る。

歩行者信号が青になってナナミは彼に向かって歩き出す。
横断歩道の真ん中まで来た時にぎょっと目を見張った。

ヒソカが女を連れている。

玄関口から彼によって翳された傘の下に入った女性は、そのままエスコートされて目の前のタクシーに乗り込んだ。ヒソカもその後に続きドアが閉まる。
目の前をぶうんと勢い良く走り去ったタクシーのテールライトを、ナナミはぽかんと惚けた顔で見守るしかなかった。

「まさかヒソカに彼女がいたとは⋯⋯でも、あれって」

さっきの女性の見た目はどうみても同い年では無かった。
おそらくは二十代後半から三十代前半。腰まである長い巻き髪をハーフアップにした、黒のパンプスにスーツが似合う所謂“大人の”女性である。

ヒソカのストライクゾーンが広いのだと言ってしまえばそれまでだが、それにしても高校生風情がお付き合いできる相手とは思えなかった。
ならびに、引っかかるのはヒソカの女性に対する所作だ。恭しく手を差し伸べる彼の姿を思い返す。とてもじゃないが自分の彼女に対する接し方には見えない。

「まさか」

逆援交。そんな文字が脳裏に浮かんでくる。
友人の衝撃的な場面を見てしまったナナミは、くわんくわん鳴る頭でよろめきながら帰路についたのだ。



それから三日後。

二学期始業式の日である。朝の教室にヒソカの姿は無かった。
体育館で学長の講話を流し聞きながら、ナナミはそうっと後ろを振り返る。
次列の最後方にイルミがいる。視線に気づいた彼が、前を向いたままで目だけを此方に向けてくる。身長順に並んでいるから、普段ならばヒソカが彼の後ろに並ぶ筈がやはり居ない。

「ヒソカどこいったんだろうね」「サボりじゃないの?」
クラスメイトのひそひそ声を横耳で聞きながら、ナナミは彼女達よりも幾分深刻な気持ちでいた。
なんてったって自分は見てしまったから。三日前の出来事が頭から離れない。

教室への帰り、ナナミは廊下の途中で立ち止まる。
そして、遅れてやってきたイルミの制服を掴んで柱の陰に引っ張り込んだ。

「ヒソカ」

「いえ、人違いです」
顔の前でいやいやと手を振って、さっさと立ち去ろうとするイルミの腕をナナミはがっしり掴んで離さない。
彼の能天気な言動を無視してナナミは話を続ける。

「ヒソカのことなんだけどさ」

「ああ、なんだ。そういえばさっきから気にしてたよね。なんかあったわけ?」

イルミが自ら積極的にヒソカに関わる事は無い。
ましてや彼がヒソカの乱れた女性関係を知っているとは思えなかったが、一応イルミもナナミと同じ彼の友達枠に分類される。何かしらの事情を知っているかもしれない。

「ヒソカってさ、お金に困ってたりするのかな」

「え。何で?」

援交といえばお金。マージンである。
ナナミにはわからないあんなことやこんなことをした見返りとして、お金を受け渡す行為だということは知識で知っていた。

「前に母子家庭だって言ってたし。今は一人暮らしできっとお金がないんじゃないかと思うんだ。うん。だからあんなことになったんじゃないかと」

ぶつぶつと呪文のように一人で喋り出したナナミを、イルミは不思議そうに見下ろして言葉をかける。

「ナナミが何の話してるかわからないけど。あいつが金に困ることはないと思うよ」

「⋯うん?」

「だってヒソカは⋯⋯あ、噂をすれば。ほら、本人に直接聞いてみなよ」

イルミに両手で頭を持たれて、ぐきっと右90度の方向へ向けられる。そのままの体勢で再びナナミは衝撃を受ける。

ヒソカが職員室から出てきたのだ。前方に教頭、後方に担任教師に挟まれて。

ナナミはいよいよ確信した。やはりあれは援交なのだと。

イルミの手から解放されて、ナナミは一人悶々と考える。
あの様子では例の援交がばれたに違いない。いくら寛容なこの学園でも法律に違反する有事は認められていない。よくて厳重注意、悪ければ停学処分だ。
只でさえ、絡み辛くて友達が少ない彼だ。そうでもなれば孤立することは必須。

あんなのでも折角出来た友人なのだ。奴が補導されようと停学になろうと、自分はこれからも変わらぬ関係を続けて行こうとナナミが心に決めた時だった。

「いやー、ほんとうに素晴らしい!」
難しい顔をしていた教頭が、彼に振り返ったかと思うと、一瞬で破顔する。

「これからもこの才能を生かしてくれたまえよ。学生がどうのなんて下らない事は言うつもりはないさ。なんたってここはTS学園だからね。はっはっは!」

どういうことだ?
てっきり停学を言い渡されるものと思っていたのに。

はっはっは!と大変愉快そうに笑いながら、彼らは職員室へと踵を返し、ヒソカが廊下を此方へと歩いてきた。

「や。久しぶり」

右手を上げて挨拶をされる。未だ困惑覚めやらない顔でナナミは尋ねる。

「⋯ヒソカ、援交してるんじゃないの?」

「援交? なんのことだい?」

「オレもよくわかんないけど、さっきからこんな感じなんだよ」


「どういうこと?」と彼らに向き直られて、ようやくナナミは三日前に見た光景と、それを援交だと思ったという旨の事を話した。

「なんだ。見てたの。彼女は一緒に仕事をしてるプランナーなんだ」

「プランナー? 何の?」

「ボク、趣味で株取引やってるんだよね。デイトレードってやつ」

衝撃的事実だ。
勉強はからきしの癖に。ヒソカにそんな頭があったなんて。

「学生のうちはお金があっても特にやりたいこともないし。新しい競技館と格技場を新設してもらおうと思って学園に寄付したんだ」

何て事だ。たいていこういう奴が将来大成したりするんだろう。

「イルミは知ってたの?」

「うん。ナナミは知らなかったんだね」

「彼にも何かにつけてぼったくられるからね。ホラ、この間のテスト勉強の時の報酬とかさ」

「⋯まさか。あの時言ってた代価って」

「そ。金だよ」

「ばかやろう〜」

こいつらは学生の友達同士で金銭の報酬の受け渡しをしてるということか。
こっちの方が何倍も不純だろ、なんて思って脱力したナナミだった。




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