一年目九月【芸術の秋】



休み明けの2学期より始まる選択教養科目。

生徒たちは夏期休暇に入る前に音楽、芸術、家庭科、工芸の5つの科目の中より一つを選択しなければならない。

ナナミの選択はやっぱり芸術だった。
というかそれしか無難にこなせそうな科目がない。幸いな事にナナミは黙って目の前の静物と向き合ったり、ひたすら絵の具を調色したりすることはあながち嫌いではない。

画材はすべて現地で支給されると言われたので、メモ紙すら持たずにナナミは身一つでアトリエへと向かう。がらりと立て付けの悪い戸を引く。

アトリエの中にはイーゼルが所狭しと並び、その隙間から生徒の姿が見える。
知り合いはいるかな、ときょろきょろと見回すナナミの目はこの場におよそそぐわない顔を見つける。

「や、遅かったね」

そうそう。まあ、イルミはいいんだ。
彼の事だ、消費エネルギーの少ない科目を選択しようとした結果、全編座ってできる芸術科目を選択したのだろうということは容易に分かる。
しかし、目の前でにっこり笑顔を向けてくるこいつ。ヒソカは分からない。

「だって全部つまらないんだもの。だったらトモダチと一緒がいいかと思って」

例に漏れず“トモダチ”の部分をやたらに強調して言う。もう一々訂正するのも煩わしいのかイルミは聞こえない風を装い鉛筆を回している。
ナナミも彼らの後ろに置かれたイーゼルの前にすとんと腰を下ろした。

「どうせならもっと家庭科とか意外性のあるヤツにしたらいいのに。ヒソカがエプロンつけて包丁持つとこ見てみたいもん」

「それなら今度ウチ来なよ。ボク一人暮らしだし。手料理でも御馳走するから」





美術科目の最初の課題はクロッキーだった。
近くの生徒と向かい合い、互いの全体像を時間内に素描するというものだ。

終了を告げるタイマーが鳴り、ナナミは鉛筆を置く。
視覚情報を高速で描画処理するこの練習では、対象のパースや大まかな骨格を捉えることを目的としている。中学の部活の時間で散々練習してきたナナミにとっては慣れたものである。

ナナミからは右前に座っているヒソカのスケッチブックが見える。
絵を描くのは好きだと広言していただけあって、想像していたよりずっとまともだ。独特のセンスがある彼のことだ。案外、美的感覚は鋭いのかもしれない。

感心したままナナミは左前のイルミを何気なく見た。

で、衝撃を受けた。

「⋯ちょっと何て言うのか⋯これは⋯なかなか⋯」

勉学、体技ともに非の打ち所がなく、教師陣から全幅の信頼を置かれている彼。

芸術に上手下手はないのだという確固たる理念を掲げ、生徒のどんな作品も手放しで褒める美術教師も彼の手元を見て苦虫を噛み潰したような顔になっている事で、彼の並々ならぬ実力が伺えるというものだ。

イルミの両脇から、ナナミとヒソカが彼の作品を至近距離で覗き見る。

「⋯あんなに何でも出来る癖に」

「これはヒドい」

「そう?」

彼は抽象画の才能があるかもしれません、なんて真顔で言い残して美術教師は逃げるように教壇に上がって行って授業を進めた。

「キミ、画伯って言われた事無い?」

「ないけど」

イルミの唯一の欠点を見つけたような気がした。






「おかえりなさい」

玄関の格子戸をガラガラと開けると、廊下の奥に母と一番下の弟の姿が見えた。

「おかえりなさい、兄さま」

「ただいま」
いつものように短く声を掛けて、イルミは土間から框に上がる。
制服のネクタイを緩めてジャケットを脱ぐ。今日はなんだか疲れた。あの授業から何故だかナナミはよそよそしいし、ヒソカはいつも以上に鬱陶しかった。

「兄さま、今日は学校どうだった?」

弟が走り寄ってきて、自分が今しがた置いた鞄を持ち上げた。
来年、小学部に上がる弟は今から学校が待ち遠しいようで、こうして帰ってくるとキラキラした顔で今日あったことを事細かく聞いてくる。

「今日は初めて美術科目の授業を受けたよ」

鞄からスケッチブックを取り出して、ぱらぱらと捲った。
「見せて頂戴」と、母はイルミからそれを受け取って例のページを見た。

そして、雷が打たれたように髪の毛を逆立て、屋敷中に聞こえる声で叫んだ。

「まー!あなた!またイルミがブッ飛んだ作品を持ってきたわよ!」

そして軽い家族内審議にかけられるスケッチブック。
親父はナナミと同じように難しい顔をして腕を組んでそれを眺めている。
母は恍惚とした表情でそれに見入っていた。

「このセンスは一体誰に似たのか⋯キキョウ、お前か?」

「神ね」

次の日。
母の部屋にはイルミ作のヒソカの似顔絵もとい抽象画が飾られていた。




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