一年目五月【宿泊研修】
ナナミを含む新入生総員はある山奥の林間学校を訪れていた。
イベント名は宿泊研修。
何ゆえ入学早々の時節にこのカリキュラムが組まれているかというと。要するにこれは宿泊研修という名の親睦会なのである。
日中に講義と野外実習を終え、今は夕食後の自由時間。
この就寝までの自由時間を、生徒達は自室で読書をしたりトレーニングルームに篭ったり風呂に入ったりとめいめい好きに過ごしていた。
ナナミはというと一人体育館の壁に凭れて、ヒソカを含むクラスメイト達の球技を眺めていた。彼にナナミも一緒にやろうよと誘われたまでは良かったが、長年の運動不足が祟ってゲーム開始早々に足が攣った。
「ここ半年間は勉強漬けだったからなあ」
今やってるのはハンドボールと言うものらしい。
身体能力は人一倍あるヒソカは、その強脚と強肩でもって他の生徒を圧倒していた。凄まじい早さでボールがネットに突き刺さる。
楽しそうな彼の様子ではまだ暫くは止めるつもりはないだろう。
脚も痛いし部屋に帰ろうかヒソカを待とうか迷っていると、隣の壁に誰かが凭れて来た。
おおよそクラスメイトの誰かだろうと踏んで、引き続き球技の形勢を目で追う。
「参加しないの?」
「うーん。足攣っちゃってさー」
「オレも誘われたんだけどさ好きじゃないんだよね。こういう無駄な体力消費」
「そうなんだよねえ」
そこまで話してようやく声の主の方を見る。
「あ」
総代くんだ。名前は、ええと。自宅でもヒソカとの会話の中でもそう呼んでいるせいで、何度覚えてもすぐ忘れる。
「イルミだよ」
「そうだった」
顔に書いてあったらしい。答え合わせをしてもらって一心地着く。
「君、ナナミでしょ」
大きな目がナナミを見下ろす。
「うん。そう」
ヒソカも背が高いが、間近で見るとイルミも十分長身である。見上げるこの首の角度には慣れているものの、相手が違う事でやや違和感を覚える。
「ヒソカから色々聞いてる」
「そうなの?なんか変な事話されてない」
「いいや。ただ、仲良い女子ができたって喜んでたよ」
そんな普通の反応をされているとは知らなかった。あの強気な見た目とは裏腹に純朴な所があるのかもしれない。
そんなナナミの思考を読んだのか、イルミは「あいつ案外ピュアな所あるからね」とひとこと言って声だけで笑った。
びゅん、と何かが飛んで来て、イルミがそれを捕えた。その音に驚いてナナミは身を竦める。
ヒソカが此方に歩いて来た事で、彼が此方にボールを投げて寄越したのだと分った。イルミがボールをヒソカに投げ返して、眉根を寄せる。
「お前の腕力で物投げるの危ないから止めて」
「謙遜するなよ。キミなら楽に捕れるだろ?」
「痛いんだよ」
片手で受け取ったボールをコートに居る生徒に投げ渡して、ヒソカはナナミに向き直る。
「ボクのいない所でもうイルミと仲良くなったのかい? 昨日まで総代くんって何考えてるかわからないから近寄りがたいよねなんて話してたのに」
「なんでいらん事まで言うかなあ⋯」
「別にオレは気にしないけど?」
わざとだから、とイルミは涼しい顔で言っている。
前々から感じていた他を寄せ付けない彼の雰囲気は、その容姿と物腰からこちら側が勝手に感じていると思っていたが敢えて自分で作っていたらしい。
確かに、学年でもイルミに話しかけるのはヒソカくらいしか見た事が無い。
「でもヒソカとは仲良いよね」
「⋯なんでそうなるの。勝手に付き纏われてるだけ」
そんな事を言って、昼休みも放課後も一緒じゃないか。ヒソカを見遣ればどうやらナナミと同じような事を思っているらしく気分良さげにニヤニヤしている。
「正直じゃないんだから」
「ヒソカ程じゃないよ」
憮然として答えるイルミを見て、ヒソカはまた嬉しそうに口角を上げていた。
体育館を出た三人は、宿泊棟のロビーのベンチに腰掛ける。
異色の面子である事は重々承知の上だ。少しだけ話すようになったクラスメイトがこの様子を遠巻きに眺めながら通り過ぎて行くのを、後ろ髪を引かれる思いで見つつ会話に戻る。
「そういえば、入部届け提出した?」
イルミに言われて思い出す。そうか。部活動の入部期限は今月までだった。
「ヒソカは結局あの2つにするの?」
「あと美術部」
「え?」
「美術部」
ヒソカのはっきりとした物言いにイルミはそれ以上追求はしないこそすれ、何か奇怪なものを見るような目で彼を流し見る。
「ねえキモチ悪いんだけど。どうなってるのナナミ」
「すぐ飽きて辞めるよ。ていうかヒソカ、言っておくけど私まだ美術部に入るって決めた訳じゃないんだから」
「違うよ。こう見えて美術は得意なんだ」
そのやり取りを見て察したのか、イルミがやれやれと息を吐く。
「そうか。ナナミも粘着されてるのか」
「粘着なんてヒドいなあ」
ヒソカの軽口を無視して、お互い挫けずに頑張ろうねなんて全然似合わない台詞を言う彼が面白くてナナミはあははと笑ったのだった。