TRAVELLERS #2




初運転、初10トンダンプの乗り心地は最悪。
生きた心地がしなかった。

ようやく周囲の車のクラクションが鳴り止んだ頃、ハルはげっそりした表情でどでかいハンドルに顔を埋めた。

外の景色にはもう建物らしきものは見られない。


ハルの眼前には赤茶けた砂の荒野が広がっていた。太陽がコンクリートの地面を灼いて、湯気のような陽炎が地平線を這う。
道はその終わりの見えない地平線に吸い込まれるように消えていた。


サイドミラーを覗き込むが、他に車の影は見当たらない。

無人になって荒廃したガススタンドが後ろに流れていくのを横目で追って、ハルは背中を丸めた。



「い、生きてて良かった、ほんと⋯」



ハルとクロロが乗るダンプカーは結局あのまま減速せずに道を抜けて、現在は街外れの荒野の一本道をひた進んでいる。

この道が何処へ続いているのかは知らないし目的地も行き先も聞いていないが、この行き着く先が地獄以外であればもう何処でもいいと薄れゆく意識の中ハルはそれだけ思った。


時間にして半刻ほど前の出来事だった。



『ぎゃああああむぐっ!』


クロロが眉を寄せて、気怠げに片手で運転手の口を塞ぐ。


『⋯うるさい、いちいち金切り声をだすな。発情期の猫じゃあるまいし』

『⋯!⋯こんな車を用意した事といいそれを私に運転させるという紳士心がまったく無いその根性といい、この状況はいったい誰のせいだと⋯⋯!!』

『俺のせい』

『ああもう!』
いけしゃあしゃあと肯定されると余計腹が立つというものだ。


ジェットコースターさながらの加速のついた大型ダンプに隣の車線を走っていた車が次々に急ブレーキをかけて止まっていくのが見える。ハンドルに縋り付いてハルはあわあわと顔色を変えた。

背筋が凍る思いとは、この事である。


『へえ、思ったより上手いな。じゃあ俺は寝るから後よろしく』




助手席の男は涼しい顔でこの路を真っ直ぐ走らせてくれればいいと言ったきり、今はやけに表紙が古めかしい本をアイピロー代わりにして静かに寝息をたてている。


荒野に出てもしばらくは慣れないハンドル操作に悪戦苦闘していたハルだったが、ひとしきり大きい寝息が聞こえたところで彼女は半目でクロロを見やった。



(人の気も知らないでいいご身分ですこと⋯)



心の中で悪態をつくものの何とはなしにすっきりせず、ハルは隣ですうすうと気持ち良さ気に眠るクロロの額の上の分厚い本をさっと奪ってみる。

擦れた呻き声を漏らしてクロロは僅かにその整った容姿を顰めて身じろいだ。

そしてすぐ窓の方へ顔を背けてそのまま動かなくなる。肩が呼吸に合わせてすこし上下している。


そのクロロの一挙一動をハルはじっと見詰めていた。…何かに似ている。
そしてこれは幼い子供の様だと憶測して、ハルは一人声を漏らさずに笑ってしまった後、慌てて緩んだ口元を締めた。


「変なの」



その時の感情がなんなのかハルは知識では知っている。しかし敢えてこれは母性本能のようなものだろうと勝手に理由付けて自分を納得させた。

ハルがこの感情をクロロに当て嵌めるのには、まだハルは彼に対しての後ろめたさが拭えないでいた。


クロロから目を離して自分の肩幅以上あるハンドルを握りなおした。







街を出てからもう2、3時間はたった頃だろうか。

先ほどハルが前方の赤いキャデラックを追い越したら、小娘が運転するトラックに追い越されたことが悔しかったのかなんなのか再度追い越しをくらい、ハルもハルで「なにくそ」と再々追い越しをかけたことで車の持ち主のレーシング魂に火を付けてしまったらしく特に意味もなくカーチェイスよろしく追い越し合戦を繰り広げていたところだったのだ。
幕切れはキャデラックの方の燃料切れであった。

スポーツカーに乗っていた妙にテンションの高い4人組にクロロに無断で積荷にあったガソリンをドラム缶一個分、「もうあなたと私は戦友ですから!」などと言いながらカーチェイスに勝利した感動に任せて贈呈してしまった事を除けばちょっとした気晴らしもできたことでハルは幾分上機嫌で車を走らせる。



「この道路どこに続いてるんだろう」



一面、焼けた赤い赭土。行けども行けども先が見えない殺風景な無人ハイウェイロード。
もう何10キロも走らせているのに未だに分岐路さえ見えてこないこの道路。造った奴の顔が見てみたい。

けれどこのままこの道を走らせる程度なら何とか出来そうだとハルはひとまず息を吐いた。そしてふと助手席を覗く。

もう辺りは暗くなり始めているというのに、クロロは相変わらずの姿勢で窓枠に肘をついて寝入っている。
無意識に彼の陶磁のように滑らかな肌に目がいってしまう。

病的なほど静謐なそれは仄暗い車内でひどく青白く見える。


同じ姿勢で寝るのも身体に悪いように思われて、ハルは「ねえ」、と小声で彼を呼んだ。



「クロロさん」



肩を軽く小突いてみるが、クロロは軽く身じろぎしてまた元の体勢に戻ってしまう。
これでは堂々巡りだ。



「もう2時間も⋯⋯床ずれできても知りませんよ」




やはり彼の反応は薄い。

うわ、この人きっとというか絶対寝起き機嫌悪いタイプだ、と頭痛を覚えつ、しょうがないなあと言ってハルは前方を気にしながらそっと彼の耳元に手を添える。



「くろ、」


何回目かになる彼の名を囁きかけた、その時だった。



「ハル⋯」と掠れた声でクロロが呟いた。


思ってもいなかった不意打ちにハルがびくんと身体を緊張させる。
クロロが身じろぎして頭を擡げた。

咄嗟に顔を背けようとするができなかった。そのまま平静を装うには彼の姿は余りに妖艶すぎた。瞬き一つできずにハルはその場に固まる。

そのまま眼が合った。

クロロは気怠げに黒髪を掻き上げ、薄ら開いた瞼でこちらを一瞥する。これだけの動作をするだけで妙に色気のある人だ。毒気と謂う表現の方が正しいのかもしれない。


「なんだ⋯お前か」


「なんだとはなんですか⋯⋯同じ姿勢で寝ると体に良くないから、起こしたんですよ」


お前か、とぞんざいに言われてむっとして言い返す。



「いらない。寝させてくれ、頭が痛いんだ」


「⋯⋯そんな格好で寝るからでしょうが」



んーと生返事だけをこちらに返して、クロロは再度目を閉じた。

ハルが「子どもみたいなんだから⋯」、と呟いた言葉はもう彼の耳には届いていなかった。


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