CHAIN RECORDS #3




太陽はやや南の方角へ傾き始めていた。

いまだ窓に掛かるブラインドは締め切られ、針のような光は入るもののまるで世界からこの部屋だけを孤立させているようにも見えた。

ハルはブラインドの金板に指をねじ込み、できた隙間から窓下を覗いた。
ビルとビルの間から、蟻ほど小さくなった人が辛うじて見える。隣のビルの屋上で清掃員が貯水槽を磨いている。



クローゼットの前に立つハルの風体は少し変わっていた。



濃緑色のジャケットと、下は黒い7分丈のパンツといった実にシンプルないでたちである。
ジャケットの胸部分には機能重視の、大きめのポケットが左右に一つずつ付いていた。薬莢やナイフが収まるにはちょうど良いサイズにみえた。


クロロが言うにはこれはハルが普段クロロの傍にいるとき着用している制服のようなものなのだという。

少しばかり色の落ち着いた服、というだけで一般的でフォーマルなものでは無いだろうが、動きやすさとしては申し分無い。
なににしても全裸よりはましだろうと思い、ハルは見慣れないその服に袖を通したのだった。


ボタンを留めていると、こん、と何かが爪先に当たって、足元を見る。爪先に金色のボタンが転がっていた。

ハルは左袖口のボタンがほつれて取れているのに気付き、それを拾い上げてポケットに入れる。取れてしまったのだろうか。


あ、それと、と後ろから声が聞こえてハルは振り返る。


「なんですか?」


「これも制服」


「どれですか?」


ハルが聞き返すと、クロロからぽんと紐の様な物を投げ渡される。

ハルが飛んできたものを何気なくキャッチして見る。わりと重さがある。それは一見チョーカーのようなものであった。が、



「これは⋯」

チョーカーのその形状がある種問題だった。少なからず、これには見覚えがある。



「くっ⋯⋯首輪!!」



クロロから投げ渡されたもの。それはまごうことなきほどに首輪だった。明らかに往来を主人と共に歩く犬がリールと同じくしてつけられているものである。

真っ赤に光るエナメル質が目に痛い。



「オレと居る時は外すな。てか特殊なオートロックになってて閉まると自動的に外れなくなるけど」


「私は犬か!」



首輪を装着させられて逃げないようにされてしまう程、以前の私はクロロに対して深き罪を犯したのであろうかとも思ったが、すぐもうひとつの可能性が浮かんだ。



「制服の一環だから」


「⋯ルシルフルさんにこんな趣味があったとは思いませんでした」



多かれ少なかれこの男にはサド的な嗜好がありそうだ。何考えてるか、さっぱり解んないし、とハルは一人ごちた。



やおらクロロが黙って立ち上がり、慣れない手つきで、チョーカーの金具部分を弄くる彼女の背後に近づいた。


「一人で付けられないのなら、付けてやるよ」


そして自ら投げ渡したにもかかわらず、ハルの持っていた首輪をさっと奪い、何の断りもなく背後から彼女の首に両腕を回す。

クロロの両腕がハルの首筋を掠めて、ひゃあと間抜けな声を上げて咄嗟にハルは身を硬くする。


いきなりなんのことかと身構えたが、なんのことはない先ほどの首輪を装着させられているのだと気付き、「それくらい自分でも出来ますからっ!」と真っ赤になって身を引こうとする。

しかし首にレザーのひんやりとした感覚を感じ、すぐに顎の下でかちゃりと硬質な金属音を聞いて彼女は、再度背すじを硬直させた。


微動だにしない華奢な肩が緊張して震えるのを眺め、クロロは自らの心拍が速まるのを覚える。衝動に動かされ、彼女の背中に身体を寄せて耳に唇を寄せた。ハルの全神経が其処に集中されたのが肌で易々と感じ取れる。
それだけでもハルがどう反応するのか、クロロは重々判っているのだ。クロロは内心で面白い、と思う。

記憶は失っていても身体は元のままに感じ、動くのだ。なんとも現金なものだと呆れ、自分勝手にホイホイ記憶を失ったこの娘に、クロロは微かな嫉妬心も芽生えた。



「おわり」



と、自分らしくもなく当てつけにも似た感情に動かされ、耳元で囁いてやると、うあっと彼女は小さな声を漏らす。

クロロは一向にハルを開放しようとしないばかりか、彼女を引き寄せて一層身体を密着させる。やられている側としては気が気ではない。

二人の身体の何処かがぶつかる度に、僅かにその白く細い首を震わせている。


こうしたハルの処女的で過剰な反応は、クロロのサディスティックな嗜欲に容易に火をつけるのだ。
彼女の予想はあながち間違ってはいなかった。ただ、自分の反応が彼の嗜虐心をじわじわと煽ることになっているとはこれっぽっちも思ってはいまい。


こういうとこの反応はまるで変わってない、とクロロはすこし感心して、そのままやんわりと彼女の耳に口付ける。

身体を緊張させてクロロの執拗な悪戯を甘んじて受け入れる様子は、紛うことなしにハルのものだ。



「⋯やっ、ちょっ、止めてくださ」



時を同じくして身体を震わせて、クロロに気付かれぬよう声を漏らすまいとして浅く吐息を吐くハルは、ぐちゃぐちゃになった頭の中で今までの状況を整理しようと躍起になっていた。



(なんだこれ⋯⋯!!)


朝目が覚めて、自分に話しかける男が居て。男はお前は記憶喪失だと言ったかと思えば、今度はその男にセクハラまがいな悪戯を受けている。



(⋯だめだ⋯!やっぱり意味不明⋯!!)



こんな訳の解らない所で貞操の危機に陥るなんてことなんてこれっぽっちも、雀の涙ほども考えていなかった。

もしかして此れは記憶喪失に仕立て上げられ、意味不明のうちに犯されるといった新手の猥褻犯罪の手口なのだろうか、と頭の片隅で思ってもみたが、どうにもこんなことをされていては頭も上手く回らない。
それどころかこうして身体を好き勝手に蹂躙されているのにも関わらず、なぜか少しも不快感は起こらず、寧ろこの男におのずと身体を預けている自分に気がつく。


暫くそうしてクロロは力の入らなくなったハルの身体を素早く後ろから攫って、ベッドに横たえる。



ハルの視界が一回転して、再び目を開くと霞んだ視界にクロロが至近距離で映った。


ハルの右腕は彼の右手で拘束され、左腕はシーツの上に投げ出されている。


自分が彼に組み敷かれている事をハルはようやく理解するが、抵抗できるだけの気力は全てクロロに奪われてしまった。
条件反射的に左手だけが力なくクロロのワイシャツの肩を掴む。


それを見てクロロがハルの耳元に顔を寄せる。



「このままヤってみるか」



「⋯へ?」



「ほら、よく同じような刺激で治ったりするだろ。テレビとか」



「な⋯なにを言っ⋯⋯んっ」



「もう喋るな」



また急に眉を顰めるクロロの口調が、一転して棘を含んだものに変わる。

しかし彼の態度の豹変ぶりを気にしている余裕などハルにはもう無い。


ハルの言葉はクロロが彼女の首筋に唇を這わせた所為で途中で途切れて、彼女の脳裏に分散した。





「だめです⋯だめ⋯ルシル」


「そのルシルフルさんってやめてくれ。クロロでいい」


「クロロさん、だめ⋯もう」


「⋯⋯⋯」




「ハル⋯」と彼が囁いてハルのジャケットを脱がしワイシャツのボタンに手を掛けた、その時だった。






「⋯⋯もう⋯⋯だめですってばああ!!」




ごん!と尋常でない打撲音がしてクロロがハルの上に突っ伏した。



「だめです!もう、これ以上のおいたはなりません!!こんなところで処女を奪われてなるもんですか!」



顔面をこれ以上ないほど真っ赤にさせたハルが奇声を上げてクロロに頭突きを食らわしたのだった。




「ルシ、クロロさんのあほ!一生枕と添い寝でもしてなさい!」




ビシイッ!と効果音の付きそうな程指を突きつけてハルが叫ぶ。

その後すぐにバスルームへと駆け込んだハルは戸を壊れんばかりの勢いで閉め、大きく開いた胸元を握りしめて空の浴槽に力無く座り込んだ。

まだ胸が鳴るのが収まらない。




(これも仕事の一部なのか!? いや、まさか! パシリの延長でなんて事してたんですか以前の私っ⋯!)





彼女がそう心の内で叫んでみても答える声は当然、無かった。


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