CHAIN RECORDS #1




「ハル。俺のワイシャツ、腰の下に敷いてるだろ、取ってくれないか。そう、それ」



瞼を透かして刺さる眩しい陽光に、ハルはうらうら目を開けた。斜光が顔面に差しつけている。
おぼつかないハルの視線が、斜光の先を辿る。窓際に黒いシルエット。それは大きな欠伸をしたかと思うと、ハルに腕を伸ばしてきた。


「⋯⋯」

「早く、寒い」

「じぶんで⋯」

「取れない」

「⋯⋯」


しきりにシャツを要求してくる。うるさいな。
こんなんいくらでも取れるでしょーがと彼の態度に微妙に憤慨しつつ、まだ意識は半分夢の中という夢遊病者さながらの精神状況を呈しながらも、ハルはうつ伏せになっていた腹の下を闇雲にまさぐる。
しばらくごそごそやっていると、布の端がハルの指に触れる。布端を掴み引っ張り出そうと試みるものの、自重のせいで中々どうして抜け出てくれない。


「むり⋯、これ抜けないです⋯」

「もう、だめ⋯おやすみなさい」そう一言言い置いて、ハルは再度、意識を睡魔に手放した。







ぺしぺしぺし。
⋯頬にゆるい刺激を感じる。


「⋯⋯⋯い、⋯おい、起きろ」

「んむぅ、起きたらなんかいいものでもくれるんですか⋯」

「凄まじい物欲だな。なんだそれ。寝ぼけてないでさっさと起きろよ」


うーんと唸るような生返事だけして、うつ伏せだった身体を180度反転させると真っ白いシーツを頭から引っかぶる。「どこかにお出かけでもするんですかあ⋯? こんな早くに」
間延びした口調で言う。

「そうだな、けどまず」


「着るものを着させてくれ」、トーンの低い声がそう言ったのを聞いてすぐ、シーツをがばりと引き剥がされた。



目の前に年齢不詳の一人の青年。


 「⋯⋯下か」

くしゃくしゃに乱れた艶のある黒髪を整えようとするでもなくただそのままに、低いひどく擦れた声で彼は、若干眠たそうな目つきでハルを覗き込んでそう言った。
光を通さない吸い込まれそうな程の漆黒の瞳。


どうやら自分はベッドらしきものの上にいる。朝。午前だ。


そこまで思考して、ハルはこうちんたらと脳ミソを動かすのをやめた。
パステルグリーンのブラインドカーテンの隙間から幾本も差し込む光が、部屋の天井と白壁を白と灰色のストライプに照らし出している。

今朝は目覚ましのアラームは鳴らなかったらしい、頭の片隅で考えてみたがそれもすぐやめた。


ハルは意思通りに動かない瞼をそのまま閉じる。

無理はしないのがハルのスタンスでありモットーなのだ。伊達にこの座右の銘で20年とちょっと生きていない。

さて、先程からどうも絶対的な矛盾を見逃している様な気もするのだが。

どうも意識はまだ九割方ドリームワールドの中にあるらしい。愛しい森のお友達が手招きしているのが見える。


(⋯⋯うさぎさん⋯⋯もぐらさん⋯ぶたさん⋯⋯)


寝起きというのは誰でも思考力が低下する。

これはどうにもしょうがないことだ。

ハルの経験からして、身体の気の済むまでたっぷり寝ればおのずと目は開き、頭はすっきりするのだ。今は寝るべし。そうに決まっている。

自分自身で勝手に結論納得した。たぶん彼女はいつでもゴーイングマイウェイ、我が道をゆくのである。


そうして、少しばかり残っていた意識もぷっつりあさっての方向へフライングしようとしたそのとき。
脇腹の辺りから細かい布擦れの音と何かがしゅるりと滑り抜けていく感覚がした。




うさぎさんが手を振ながら遠のいていった。



(⋯⋯さっ寒い⋯⋯)



辺りの空気に体温が急速に逃げていく。
どうやら、ハルが腰の下に敷いていたシャツらしき布を引き抜かれたらしい。


粟立つ二の腕を擦ってハルは思わず身体を縮込める。

何故だろう自分は肌着を身につけている。けれどその割にはやけに肌寒いと感じた。


「やっぱり⋯あー⋯酷い皺だなこれ」


こんなん治んのかなとハルは男がそうぐちるのをかたわらに耳で認識すると同時に、その感覚がリアルだったのと、先ほどから気になる不可解な肌寒さに無意識に自分の身体に目をやる。


ハルの首から下は大部分が空気に晒されている。


世の中には全裸で床につく人もいるにはいるのは知っているが、ハルは持ち前の低血圧の所為であろうかむしろ寒がりで、当然着衣派である。寝相も悪いほうではないはずだ。

自分がこんな格好で寝てしまうのはそうないことなのだが。

本来普通に衣服をまとっていれば見えるべきではないものが全て見えている。


肌寒いわけである。


そして欠伸を噛み殺しながら、皺だらけのシャツを広げている目の前の男にゆっくりと目線をシフトさせた。



見知らぬ男が当たり前のようにそこにいる。


ブラインドから差し込む光がちり、と焦げ付くような音を立てて明るさを増した。ような気がした。



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