HIDE AND SEEKS #3




男は名前だけの自己紹介をした。


条件反射的にハルも名乗ろうとしたところで止められた。知っているからいい、と。たしかにそうだ。
その名前にやはり聞き覚えは無かったものの、すでにそのことに関して悠長に思案できるようなエネルギーは残っていないハルだった。


「やっと戻れる⋯⋯クロロさん、怒ってるかなあ」

「何だい君たち、喧嘩でもしてたの」

「はあ、なんていうか」


ヒソカの背後は不思議な安心感がある。
それは一時的に紛れた孤独感のせいなのか、この男がやけに自信ありげな飄々とした雰囲気を纏わせているせいなのかはわからない。

怪しげな人物に先導されて見知らぬ場所に向かっている。冷静に考えればこれほど危ういシチュエーションなんて無い。しかしながら今のハルにとってはこの彼の存在が心強くもあったのである。


「どことなくピリピリしてるっていうか」

「そうだねえ」


ひとり、得心いったというように笑うヒソカはふわふわと軽い相槌を打つ。


「今回ばかりはボクもクロロに同情するよ」









俯いていた顔を上げたのは、視界の端に見慣れない靴の先を捉えたからだった。

さっきまで前を歩いていたヒソカがいつのまにやら隣に移動している。目の前の人物がハルを見つけやすいように都合した結果のようだ。



「あ」



気が付いたのはほぼ同時。声を発したのは彼のほうが早かった。

青い目の青年。つい何十分か前にハルをパニックに陥れた人物、その人である。ハルを確認するや、振り向きざまに奥にいる誰かに向かって声を張った。


「おーい、だんちょー。居たよー」


(団長?)


また新たな手合いが出てくるのかと一瞬、身構える。

身構えた所で気がつく。この状況で自分を探している人間なんて一人しかいないことに。



「⋯⋯ヒソカと一緒に」

そうして、シャルナークが誰のことを呼んだのか薄々ながら理解したハルであったが、彼が渋い顔で付け足した一言には気がつかなかった。


「う。クロロさん」

「動くなと、言ったはずなんだが」


二人を見るなりその眉がこれでもかと顰められる。
不機嫌極まりないクロロの表情と、それに違わぬ声を聞いて一気に気が萎えるハル。


「ヒソカ」


待てを遂行出来なかった飼い犬よろしく項垂れる彼女を無視して、クロロは瓦礫の死角になる位置で佇む影に低い声を投じる。

はたから見ても収拾しきれない苛立ちを向けているのは明らかで、この場にいるハル以外の全員はクロロの苛立ちの理由を知っているのだが、ハルだけはくすくすと肩を微動させているヒソカを怪訝そうに眺めていた。


「この女に余計な接触はするな」

「彼女が一人で居るのは珍しくてつい、ね」

「ちょ」


それを聞いて小さく声を漏らしたのはハルである。

いくら怪しい見てくれの人物とはいえ、ヒソカがあの場に居てくれなければ自分はいまだに廃墟を彷徨っていただろう。少なくとも合流できたのは彼のお陰だと言っていいのだ。


「いやあのですね。ヒソカさんはここまで案内してくれたんですってば。むしろ恩人というか」

とっさにハルが両者の会話に割って入ると、じわりとクロロの不穏なオーラがさらに増す。


「黙れ。俺の言うことはまるで守らない癖して知らない奴にはのこのこついて行くんだな、お前は」

「んな⋯⋯」


普通の人間であればすくみ上がるほどの空気の重さであるが、普通の人間のくせをして意に介さず我を貫ける鈍感さは彼女の生まれ持っての性質だった。

彼女にとってはクロロが苛立っている理由がわからない。
ヒソカがなにやら自分のせいで不当な立場に置かれていると感じ、妙な正義感に背中を押された結果、よく通る声できいー!と言い向かっていく。


「私がどれだけ心細かったと思ってるんですか!
だんだん真っ暗になるわ馴れ馴れしい兄ちゃんには話しかけられるわで大変だったんですから!だいたいこんな場所に連れて来といて何時間も放置なんて勝手が過ぎます!!」


くそ、勝手なのはどっちだよ。

そう思ったクロロはおおむね正しい。


口には出さなかったが思い切り顔に出ていたようで、その苦虫を噛んだような顔を見たシャルナークが盛大に吹き出して呑気にけらけら笑った。ひとしきり笑ったその後で軽い謝罪を口にする。


「ごめんごめん。痴話喧嘩の内容はまるで変わってないじゃん、団長。これなら焦って記憶を取り戻す必要も無いんじゃないの?」



青年の笑い声によって急に弛緩した空気の中。頭上から「何にせよ、やられたのがハルで良かったな」と、あくび混じりの声が聞こえた。
はた、と我に返ったハルが声の方向を振り向くが、窓からの月の光が逆光になり判別ができない。


「そうでもないよ。あたしたちだって既に攻撃をうけてるかもしれない。油断しないほうがいい」

「はいはい」


知らない男と女の声が飛び交っている。

しばらくしてこの明度の低い空間に目が慣れてくると、この場所にいる人物がハルが認知しているよりも多いことに気がつく。三人、四人? いや、隅に座っている小柄な人物を合わせれば五人だ。



「ああ⋯なんだ。結局招集ってこの事だったの」



ヒソカがつまらなそうに言った。


「成り行きに興味が無いわけじゃないが。ボクが力になれそうな案件でもないようだ」

「むしろてめーが来たことが驚きだよ」

「たまたま近くに居たんでね」


姿が見えぬ男の悪態にも動ぜず、ヒソカは一言「失礼するよ」と言い残しさっさと帰途につこうとする。
やはり、当初の印象以上に自由な男である。

ハルとしてはクロロ以外にやっと面識ができた彼が居なくなるのが少し惜しくもあった。

ここに連れてきてもらった手前、クロロと衝突させてしまったことに(彼はさほど気にしていないように見えたが)よくわからない負い目を感じてもいた。「あっ」と漏らした声にヒソカが振り返る。


「あの、ヒソカさん。すみません、なんか⋯ええと」

言い淀んだところで目が合う。


「別に。ボクとしては知りたい事が知れたから」


「ね」ハルに向かって意味深な笑みを浮かべ、ヒソカは自らの首元をつんと突ついた。
「?」つられてハルも首に嵌められた首輪に触れる。


「感じやすいんだね。首」

「!?」


一瞬クロロが目を細めてヒソカを睨み見た。直後に冷ややかな笑みを作る。「ああ」


「首だけじゃないけどな」

「ちょ、いったいなんの話をしてるんですか!? なんですかこれ!どこからそんな話になったんですか!?」


去り際、唐突に落とされた爆弾発言にハルは思うさま慌てふためく。なんだこれは。一体なんの辱めなんだ。
うろたえまくるハルを横目に、やれやれと首を振る金髪の青年は何回と見てきた二人のお約束のやり取りを既視感たっぷりに眺めていたのだった。









ようやくハルが心の落ち着きを取り戻した頃、彼女の周りには幾人かの人物がいた。

皆一様に半信半疑であったがハルの記憶喪失が嘘偽りではないと理解すると、フィンクスはしぶしぶ、マチは特に感情を示さず、シャルナークは好奇心丸出しといった調子で名乗った。


(シャルナークか、⋯⋯やっぱり違う)

脳裏に浮かんだ家族の面影とは重ならずに消えていった。



「一度街に戻る。何か変化があれば知らせてくれ」


手がかりを探しに行くと言い、ハルに一瞥もくれずクロロはマチを連れ立って姿を消し、残りのメンバーは彼女のお守役をかって出た。
急に静まり返った廃墟の中。残されたハルは大きく息を吐き出した。


どっと疲れが襲ってくる。

わざわざ隠れるような真似をして体力と精神力を消耗した。いや、クロロは隠したかったのかもしれない。
以前の自分と今の自分。あまりにギャップが大きすぎて仲間の前に出すのは恥ずかしいとか案外、そんな理由で。プライドの高そうな彼の事だ。その可能性もありそうだ。

この状況に自分なりに対処する方法はなんだろうかと逡巡する。今のハルができることいえば、前の自分とのギャップを他者からの情報によって埋めていくしかないように思えた。仮にもボディーガードを任されていた自分だ。クロロはああ言っていたが、少なからず彼に随行できるだけの実力はあったのだろう。


「あの」

ちょうどいい位置にあった服の裾をぐい、と引く。
隣にいるこの男、フィンクスと言ったか。一見すれば強面の大男だが、それゆえに正反対の特徴をもつシャルナークよりは真面目に自分の話を聞いてくれそうな気がした。


「あ?」

「前の私のこと教えて欲しいんです」

「団長に聞きゃあいいだろうがそんなもん」


それができたら苦労はないのだ。
今のクロロにそんなことを聞けば、また不機嫌そうにあしらわれることは目に見えている。

むう、と口をつぐんだハルを見てフィンクスが決まり悪そうに眉を顰めた。


「ち、面倒くせえな」


曖昧なハルの態度に業を煮やしているというよりは、目の前で辛気臭い顔をされていることに収まりの悪さを感じている様子だった。ハルの予測に違わず外見よりはいくらか寛容な彼は、荒っぽい口調ながら彼女の主張を聞いてやろうとポケットに入れっぱなしだった手を胸の前で組む。


「前のお前のことって言われてもな」

「なんでもいいんです! その、ちょっとでも前の自分に合わせられれば」

「はあ? 合わせる?」


フィンクスの素っ頓狂な声でハルは顔を上げた。


「何勘違いしてんだ?」


漂うキョトンとした空気にハルが「あれ?」とイヤな違和感を感じたのもつかの間。


「いやいや、基本的に変わってねーよお前は。前からちょくちょく厄介事に巻き込まれてはパニックになるせいであの団長がえらく手ぇ焼いてたんだから。
おおかた今回もまた油断してくだらねー念能力にやられたんだろ。記憶があっても無くてもたいして変わらねえし俺らは正直どうでもいいんだけどよ。団長はそうは思ってないらしいからなんとかするつもりなんだろ」


⋯⋯散々な言われようである。

てっきり記憶を失う以前の自分とのギャップはかなり大きいものと信じていたけれど。そんな事実はないらしい。その上、おそらくある程度親交があったであろうフィンクスの“どうでもいい”発言に、以前より彼らからもかなりぞんざいな扱いを受けていた事を思い知らされ二重にショックを受けるハル。


「今も前もお前がどうこうした所で事態が悪化するだけだ」


そこはかとない脱力感に抗えず、地べたにへたりこむハルをフィンクスが呆れ顔で見下ろした。


「まあ。大人しく待ってろってこった」

「ぐう」


ぐうの音って本当に出るんだ。とりとめない事に思考をシフトしてみたものの、現実逃避の手段としては弱かった。
疲弊しきったこの状況に全責任を以前の自分のせいにして片付けてしまいたい。そんな心境。


「もしかして私、ほんとのほんとにお荷物⋯⋯?」

「今頃気付いたのか。相変わらずポンコツだな」

「あーもう!じゃあクロロさんがポンコツを連れ歩いてる意味って何なんですか!? 趣味!?」

「知らねえよ!団長に直接聞けっつうの! 俺の真下ででかい声出すんじゃねえ!」

「無理ですう!」

「やかましい!」


フィンクスの怒号が飛び、ハルが応戦する。
野良犬の喧嘩のような剣幕で交わされる二人の会話は、間に入ったシャルナークの手によって一時的に制された。


「ちょっと待って。二人とも喋るのやめて」


シャルナークが割って入らなければ、小さな彼の言葉はおろかその存在にすら気がつかなかっただろう。シャルナークの視線を追う。隅でちょこんと座っている人物がいた。
そういえばまだ彼の名前は知らない。


「何? コルトピ」


コルトピと呼ばれた背の低い見た目愛玩動物のような外見の人物は、まっすぐ窓の向こうの暗闇を指した。「この先」



「侵入者がいるね」


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