北条さんちの小田原城に居候を始めて、はや一週間。
 俺は実に快適かつ、平和に生活を送れている。そこには多少のトラブルや葛藤やストレスなんかが含まれていて、そのうえでの快適さだ。
 爺さんはとってもよくしてくれているし、小太郎に至っては本気でアニマルセラピーのために雇われているんじゃないか、と思うくらいに癒しを提供してくれている。
 爺さんのご先祖様話が延々とループを重ねて数時間に及んだとしても、些細な事項として捉えられるくらいには癒しだった。
 どんなに長くても爺さんの話は嫌いじゃない。
 だが、どんなに周りが良くしてくれても、どうしようもない事もある。
「暇だ」
 俺用にと割り当てられた部屋で、畳の上を転がる。
 いくら氏政の爺さんが話し相手をしてくれるからといって、小太郎がちょくちょく構ってくれるからといって、ずっと一緒にいるかと言えばそういうわけにはいかない。
 俺自身も一人の時間が少しは欲しいと思うのも理由だが、なにより爺さんは国主で城主で一番偉いのだ。当然のように政をしなきゃいけない。内政も外交も情勢も爺さんやこの国の偉い人たちが頑張ってる。小太郎も爺さんの警護が最優先だし、他の忍たちを統括している立場だから、部下に任務を下したり報告を受けたりしなきゃいけないので、つまりそうそう俺の遊び相手をするほど手が空いているわけではないのだ。
 そうなると必然的に一人で過ごすことになるわけで。一人の時間も度が過ぎれば退屈なのだ。
「ひーまーだー。超暇。暇すぎて死ねる。仕事の手伝いしたくてもさせてくんないしなぁ」
 爺さんが俺のことを客として迎えるとか孫扱いしているおかげで、俺はこの世界で異端のはずなのに超VIP扱いをされている。イコール、雑用とか用事を頼むのとかを女中さんが遠慮しているのだ。むしろ暇なので遣らせてくれ、と頼みこんでも「申し訳ありません」と笑顔で却下されてしまう。
 最初は自由万歳! だったのだが、よくよく考えれば自由どころか不自由。これじゃあ城をちょくちょく抜け出したくもなる。青いのとか赤いのが何かと抜け出すはずだ。ついでに従者に説教されるわけだけども。
 本当にこの世界の蒼紅が城を抜け出しているのかは知らないが、姉からの無駄情報ではそういうことになっている。
「……そういや、俺の荷物ってどうしたんだろ」
 姉のことを考えたおかげで、ふと、今まで気にもしていなかったことが、気になった。
 確か小太郎が俺と一緒に運んできたはずだ。
 どう見ても時代にそぐわないトランクだったし、危険物扱いされて検分に回されてるんだと思っていたんだが、どうなったんだろう。あのトランク、そもそもダイヤル式の鍵でロックしてるから普通にやっても開かないんだよな。小太郎ならダイヤルの使用頻度とか割り出して開けてそうだけど。壊されて……ないよな?
 やべぇ。ちょっと心配になってきた。
 トランクもそうだけど、あの中身は俺の商売道具が入ってる。ハンディミシンとか壊されてたらマジ泣くぞ。
 誰か分かる人いないかなぁ。
 もぞもぞと匍匐前進で障子までにじり寄って、顔が覗くぐらいの幅だけを開ける。開けた隙間に顔を突っ込んで、誰か通り掛からないかと様子を窺うこと十数分。
「……あの、葵様」
 真後ろから戸惑いまくった調子の可愛らしい声が聞こえた。
 この場合の真後ろというのは、体の後ろではなく顔の正面ではない方、という意味合いで真後ろだ。向いていた方とは反対側からの問いかけだ。
 障子に首を挟んだまま、顔だけをくるりとそちらを向ける。
「どうなさいましたか?」
 俺付きの女中をしている千代さんが眉尻をへにょんと下げて俺を見下ろしていた。
「あははは」
 やべぇ。超気まずい。
 乾いた笑いと一緒に部屋の中へ引っ込むと、千代さんも「失礼します」と部屋に入ってくる。手にしたお盆にはお茶と茶請けが乗っていて、ああ、今日も二人は忙しいんだな、と思った。
 部屋の真ん中まで戻って、腰を落ち着ければ千代さんが俺の前にお盆を置いてくれる。
「ありがとう」
「どういたしまして」
 お礼を言えば、千代さんは何の事は無い、という感じで返してくれた。
 これが他の女中さんだと変に畏まったりするんだけど、千代さんはそんなことはしなかった。俺がお客で孫扱いでも、特別改まったり畏まったりしないで普通に接してくれる。
 直接訊いたことはないが俺より年上だろう彼女は、この城に長く勤めているらしく大抵のことでは動じないんだそうだ。小太郎が任務でいない間に爺さんの介護も勤めているとのことで。そんな人が俺付きの女中なんかやっていていいんだろうか、と思う。
 いや、俺の現在の肩書き考えると妥当……なのか?
 ずずっ、と千代さんが持ってきたお茶を啜る。気まずさもお茶と一緒に飲み込んで。うん、千代さんの淹れたお茶はやっぱり美味い。
「ところで先程は何をされていたのです?」
 ほう、と息をついたところで千代さんがにこやかに訊ねてきた。
「あ、いや、俺が持ってた荷物って今どうなってんのかなって思って」
 ついさっきまで考えていたことを伝えれば、ああ、と千代さんはにこやかな笑みを浮かべた。
「それならば風魔殿が保管しておられますよ。後でお持ちいたしますね」
「あ、じゃあお願いします」
 あっさりとトランクの所在が判明したうえに千代さんが持ってきてくれるらしい。
 んん? 小太郎が保管してるトランクを千代さんが持ってくるのか。それって出来るのだろうか。ああ、でも小太郎に伝えれば持ってきてもらえるか。いやでも、アレを小太郎が完全攻略できるとも思えないから返してくれるかどうか。分からなかったら聞く、というのも忍のプライドが許さないだろうし。
 そもそも忙しいだろう小太郎に「暇だから自分の荷物返して」なんて悪いんじゃなかろうか。自分が暇だからって忙しい小太郎に頼むにはちょっと自分勝手すぎるか。でもやっぱり暇だし。ミシンとか心配だし。油注したいし。簡単なものでいいから縫い物もしたい。ううーん。
「葵様」
「え、あ、はい?」
「もうすぐ風魔殿もいらっしゃるでしょうから、そのときにでも荷物のことをお尋ねになればよいと思いますよ」
「え?」
「あら?」
 どうしました? なんて、笑顔を崩さないで言う千代さん。
「今、風魔殿のこと考えていませんでした?」
「まぁそれなりには」
 なんでこの人は分かるんだ。いやいや、今の話の流れならそれなりに小太郎のこと考えるだろう。それよりも小太郎が来るって?
「今日、小太郎ってずっと仕事じゃなかったっけ」
「んふふ」
 なにが可笑しいのか着物の袂で口元を隠して、くすくすと笑う千代さん。俺ってば笑われるような面白いこと言いましたっけ。
「大丈夫ですよ。葵様に呼ばれれば重要な任務でもない限り風魔殿はいらっしゃいますから」
「なにがどう大丈夫なのかわかりません」
 それは大丈夫って言わないぞ。俺に呼ばれて来ちゃうって、風魔の長としても北条の忍としてもダメだろ。ここにお世話になり始めてからちょいちょい思ってるんだけど、北条の忍の扱いってなんか変だよな。甲斐武田の忍扱いもおかしいけど。
「ほら。そう言っている間にいらっしゃいましたよ」
「いらっしゃっちゃったの?!」
 ビックリしている間にもシュタ、と黒い塊が何処からか降りてきて。その手というか、小脇に俺のトランクとショルダーバックを抱えていた。今までの会話筒抜けかよっ。
「……」
 おーあーるぜっとになりそうだった俺に、どこからか出てきた小太郎がこてんと首を傾げる。え、なんでそんな感じになってんの? みたいな顔しないでくれ。小太郎の表情は一ミクロンも変わってないのかもしれないけど、俺が読み取った台詞はそんなんだった。
 千代さんも微笑ましい顔しないでください。
 持ってきた荷物を俺の前に静かに置いて、小太郎は俺の横に正座する。見えない視線がトランクを開けて欲しいと言っているみたいで、仕方ないなぁと口元に笑みを浮かべてトランクのロックに手を伸ばす。
「……あー。小太郎さん?」
 普段より若干低い声で傍らの伝説を呼べば、目は見えないけど頭がツイ、と明後日の方へ僅かにずれた。
 トランクのロックは壊れてはいないものの、開けるのに悪戦苦闘したんだろう。金具に傷が付いてて、努力の跡が大量だ。こういうことになってるとは予想していたけど、これはちょっと酷い。ダイヤルが回るか心配だ。
「はぁ。まあ、仕方ないけどな」
 こちらの様子を窺ってくる小太郎の頬をぺちぺちと撫でてから、傷だらけのダイヤルに指を伸ばす。
 それをガン見してくる小太郎に苦笑いして、何度かすべてのダイヤルを回してみる。うん、大丈夫。ちゃんと動く。
 回ることを確認したので数字をあわせてロックを外す。一見いつもと変わらないように見えるががっつり興味津々な小太郎と、これまた未知なるものにテンション上がってるっぽい千代さんが覗き込んでくる前で、ゆっくりとトランクを開けてみせた。
 おお良かった! 中身がぐちゃぐちゃになっていたらちょっと悲しくなるところだ。
 トランクの中身をひとつずつ出して確認していく。着替え数着(下着込み)、お菓子多数、ミネラルウォーター、ハンディミシン、留学のお供日常会話辞典、数種類の布が大量、俺の商売道具な裁縫セット、雑誌、常備薬。
「葵様、こちらの袋はなんでございますか?」
 撥水加工のポーチを指差して千代さんが聞いてくる。
「ああ、それは洗顔フォームとか……ええっと顔を洗うための石鹸とか、肌の調子を整えるための化粧水とか、香水とか歯ブラシとか髭剃りとか、まあそういう日々のお手入れ道具が入ってる」
 男が化粧水、とか昔は思ったもんだけど、今じゃメンズ用のスキンケア用品だって一般的になっている。自らモデルも勤めることがあるのでその辺はやっぱり気を使うところだ。まあ滅多にステージに立つことはないんだけども。
 しかし、この時代じゃ男がスキンケアしてるってどう思われるんだろう。あんまり普通にはしないイメージがあるからなぁ。BASARA的戦国時代は、実際どうなのかね。公家麿は元々白塗りお歯黒メイクなので別として。勝手な個人的意見でいえば、瀬戸内コンビは手入れしてそうな気がする。兄貴は潮風で肌荒れそうだし、女王様は睡眠不足隠してそう。それと奥州の竜も、かな。本当になんとなくのイメージだけど。
「って。千代さーん。なにやってんすか」
 ……千代さん、千代さん。なんで俺の頬を撫で回しては溜息付いてるんだ。なにこれ肌チェック? これ、肌の状態チェックされてんのか?!
 そんなガン見されても、トランクを預かられていたおかげで、ここ数日はこの時代に則した手入れしかしていないんだが。
「千代さん、近いちかいマジで近い! 見過ぎ、見過ぎだからっ」
 これはいつの時代もスキンケアに命賭ける女性のパワーってやつか。それは分かるけど、それとこれは別問題っつーか……毛穴まで見られてる気がするんでやめてください。流石に男の俺でも毛穴見られるのは嫌すぎる。
 小太郎たすけてくれ!
 アイコンタクトで助けを求めた先は、布や辞典を手に取って眺めている小太郎。手触りを確め裏表を眺め眇め、辞典を捲っては書いてあることに小首を傾げている。
 こたろおおおおっ! 可愛いけど、その仕種はなんかすごく可愛いけどな!?
 それでいいのか伝説の忍っ。
 異世界の、しかも未来の物に興味を持ち関心を向けてくれるのはいいんだが俺のヘルプを拾ってくれない伝説は置いておいて。
「千代さん、そろそろ本気で勘弁してくれ」
 頬擦りにまで移行しそうな千代さんを止めにかかる。あらあら申し訳ございません、とすんなり離れてくれて助かった。綺麗な女性に迫られたら緊張のひとつもするってものだ。
「では、風魔殿もいらっしゃったことですし、私は御前を失礼させていただきますわ」
 好物を堪能した後の姉に似たイイ笑顔で(イベント帰りとか同人誌を読み漁った時の肉食的なアレだ)、千代さんは部屋を去っていった。
 ……俺の周りにいる女性はなんでああいう系統の人間ばっかなのかなぁ。そういう人種が集まるフェロモンでも出てると言われても頷くぞ。俺は。そして泣くぞ、俺は。
「……?」
 こてり、とようやく辞典から顔を上げた小太郎が不思議そうにこちらを見てくる。もうちょっと早くこっちに構ってほしかったよ小太郎。スルースキルも伝説級なのは分かったが、それを今発揮してくれなくてよかったのに。
「……なんでもないよ、小太郎」
 今更慰められても逆効果だからな。
 少しばかり色んなものに打ちひしがれつつも、残っている荷物を確認して。携帯電話の充電器なんかはコンセントがないので使い物にならないんだが、なにより驚いたのは携帯電話がまだ生きてたことだ。もちろん圏外なので使えるのは通信以外なんだけど。
「せっかくだしな」
 電池が切れる前にやりたいことを実行しておこう。いつ戻れるかも分からないしな。
「小太郎、ちょっと」
 辞書からお菓子の山に気を移した小太郎を手招きひとつ。森永さん家のチョコレート(ちょっと溶けかけ)を握り締めたまま小太郎が膝歩きで俺の方へ寄ってきた。まるで散歩かおやつを強請るワンコ。
 いいよ、やるよ。ワンコインで買えるチョコ一枚くらい。だからもうちょっとこっち来ような。
 首に腕を回して頬がくっつくくらいに引き寄せる。雰囲気が「え、なに? どうしたの?」と言ってくるが無視して携帯カメラを起動。フォーカス合わせてシャッターを切る。気の抜ける音と共に撮影完了だ。
「あ、ゴメン。危険物じゃないからな。それ仕舞ってくれ」
 未知の機械と間抜けな音にビックリした小太郎が片手にチョコを持ったまま、背中の刀を抜きかけていた。抜ききらなかったのは俺がすぐ隣に居たのと、携帯を持っていじっていたのも俺だからなんだろう。全身から困ったオーラを醸し出してる小太郎に少しだけ可哀相に思う。首に回した手で肩をぽふぽふ叩いて大丈夫だぞーっと、落ち着かせてみる。
「これな、カメラって言ってそっくりそのまま絵に残せるカラクリなんだ。ほら、俺と小太郎がいるだろ?」
 撮った写真を保存してから画像を小太郎に見せてやる。
 画面には笑顔の俺と、俺に首をホールドされ口がびっくり半開きな小太郎。自分撮りなわりになかなか上手く撮れたと思う。
 小さな画面の中の俺と自分の姿に不可解な表情(実際はミリ単位も変わってないんだろうけど)で、刀から手を離して画面を撫でてみる小太郎が本当に可愛い。いやだからなんでそういう思考になるんだ俺。でも小太郎は可愛いから無問題。
 ついでにデジカメの方でも撮影してもいいかな。いいともー。
 でも、どうせなら家族写真っぽくみんなで撮りたい。爺さんの仕事終わるまで待ってるか。
 そんでもって俺の本命。
 布と裁縫セットを出したまま、携帯電話とデジカメはショルダーの方へ移動させ、残りのものはもう一度キレイにトランクに仕舞いなおす。よしよし。これで暇が潰せるってもんだ。
「小太郎は、まだ仕事残ってるんだろ?」
「!?」
 …………わお。
 携帯電話は仕舞っちゃったので小太郎が手にしているのはチョコ一枚なんだけど、そのチョコをぎゅうっと握りしめてくんかくんかしてるし。いいけどチョコ溶けるぞ。
「ほら、小太郎。チョコはあっためると溶けるから、あんま握り締めんなー。溶けかけてたら氷のバサラ持ちに冷やしてもらうのがいいぞ」
 どうみても軟らかくなってしまってるチョコの対処を教えつつ、俺はもう一度小太郎に尋ねる。
「小太郎はまだ仕事残ってるんだろ?」
「………………」
 ものすごい間の後に、これまたものすっごい嫌そうな面持ちで顎を引く程度の肯定を示す小太郎。
 いつものコクンでもないあたり、どうなんだソレ。なんというか夏休み最終日の子供が嫌々宿題させられるときみたいなんだが。俺はもちろんそんな経験ないけどさ。姉のイベントに付き合わされるせいで宿題は七月中に終わらせることにしていたし。
 風魔小太郎が仕事が残ってることに嫌々頷くとか、どんだけ嫌な仕事……。
「爺ちゃんの護衛してたんじゃないのか?」
 コクンと頷かれたので、爺さんの護衛っていう仕事なのは間違いない。じゃあ、なんでその前に嫌々頷いたんだ。
「……」
 ぱくぱくと唇を動かす小太郎に、ここ最近で覚え始めた読唇術で読む。
「におい、つよい、いどころ、わかる?」
 つまりチョコの匂いでどこにいるかバレるから、爺さんの護衛に戻れないってことか。ごめん、小太郎。俺の知識不足で。
「風呂、入ってくるとか」
「……」
「わかった。俺が爺ちゃんに言うから、小太郎は待っててくれ」
 小太郎が俺のところに来てるってことは、俺が爺さんのところへ行っても多分問題ないだろう。小太郎が困っている原因は俺なわけだし、ちゃんと説明しないと可哀相だ。
 よっこいしょ、と腰を上げて小太郎を部屋に置き去りにしたまま俺は爺さんの居るだろう部屋を目指して歩き出した。





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