とある休日の朝のこと。
 平日よりは遅めの、しかし朝と呼ぶに十分な時間。いつものように朝食の準備をする俺に、やはりいつものように新聞を読みながら朝食を待つ姉がこう言った。
「ほんと人生、有り得ないことなんて有り得ないわね」
「それなんのマンガだっけ」
「賢者の石を求めて旅をする錬金術師兄弟の物語よ。生き残った魔法使い少年の児童ファンタジーじゃないわ」
「姉さんそれ分かりにくい。普通に鋼の錬金術師って言えばいいだろ」
「あら」
 心底『心外だ』といった様子で姉が新聞から顔を上げた。心外だと思われるのが心外だが、とりあえず姉の言い分を聞いてやろうと姉へと視線を向ける。
「世界にはストレートで言ったほうがいいときと回りくどく言ったほうがいいときがあるのよ。行間とタイミングは重要な要素のひとつなのだから」
「姉さん的には回りくどいタイミングでも俺的にはストレートに言って欲しかった」
「葵くん的にはストレートタイムでも私的には回り道タイムだったんだから仕方ないわ。それに兄弟物語で通じたんだから問題ないでしょ?」
「兄弟物語って略し方のほうが問題だっての。なんかほのぼの家族ドラマみたいになってるじゃん」
 当の物語は結構バトルあり、シリアスありで題材的に重い話だったはずだ。それが姉にかかれば兄弟物語。北の国のホームドラマな話かよ。そして頭に『禁断の』とか付けたら、途端に怪しい(いかがわしい、かもしれない)空気が醸し出されるタイトルだ。
「禁断の兄弟物語でもあるわね」
「ねぇよ! なんだよ、『禁断の』とか付けんなっ。いや、いままさしく姉さんなら付けそうとか思ったけどドンピシャかよ!」
「葵くんがそう思っていると思ったからこそ言ったのよ。予想が当たってよかったわね」
 クスクスと、さも可笑しいと言った体で笑われた。口元に指先を当てているあたり、なんかだとてつもなく可愛い子ぶりっこしているように思える。どうせ何を言っても姉にやり込められるだけなので、俺は投げやりに姉の言葉に同意した。
「……そうだね」
 むしょうに疲れた。
 朝食を作っているだけなのに、何故こんなにも疲れなきゃいけないんだ。がっくりと肩を落とす俺に、それはともかく、と話を元のレールに戻した姉が読んでいた新聞をこちらへ向けた。
「世界初。ついに実現、青い薔薇。ですって。自然界で発生しない色の花を人工的に作り出すことに成功するなんて偉業よ。白薔薇を染色でもすれば十分でしょうに、自然界で存在しない色を無理矢理作ったところで何がいいのか私には理解出来ないけれど、昔は青い薔薇なんて不可能の象徴、絶対的な憧れだったのに技術の進歩は目覚ましいと思わない?」
 どこか皮肉った口調で新聞の見出しを読み、そのまま自身を感想やら意見やらを連ねられても、俺には話の意図がさっぱり見えない。別に研究者が長年の夢を叶えて青い薔薇を作ろうと俺の人生に何か大きく関わることもないのだ。強いて言うなら誰かに薔薇の花束をプレゼントするときの色チョイスに一色加わったくらいだろう。むしろすげぇな研究者。くらいの感想しか抱かないのだが。
「そりゃあ研究者が叶えた夢というのは、大半がそのうち日常生活に還元されるものだけれどね。あの手塚大先生が描いたアトムを造りたいという一身で研究者になってしかも……あれは実現したのだっけ? ちょっと忘れたわ。とにかく、そういう技術はいずれ生活に溶け込むようなものだけど、青い薔薇ってどう活用するのかしら。世の中の男どもが花束を買うときに選ぶ色が増えただけじゃない。薔薇の花束を貰うなら紅い方が愛されてる気がするわ」
「姉さんは緋色の薔薇を愛してるもんな」
「当然よ。別に他の色が嫌いというわけではないし、黄色も白もピンクも斑も好きよ。だけど赤は私にとって格別な色と言えるわね」
「そうか。でさ、姉さん」
「なにかしら?」
「結局、何が言いたかったの」
 途端に部屋の空気が凍りついた。フライパンの上で焼かれているハムと卵の立てる音が、妙に耳障りだった。
 無音ではないが無言の時間が数十秒ほど続いて。それを打ち破ったのは重く吐き出された姉の溜息。
「そんな重苦しい溜息吐かれるようなこと言った?!」
「葵くん」
 思いっきり憐憫の目で見られた。
「最初に言ったじゃない。『有り得ないことは有り得ないのね』って」
 え、そこ? 俺は正直、そこは話しの導入部分くらいにしか思ってなかったんだが。
 姉にとっての重要部分はその一文だけだったらしい。
「青い薔薇を作ること。アトムを創ること。昔は不可能だと思われていたことが、実現する現代。かつては未知の領域だった月にすらひとっ飛びなのよ。葵くん。私たちがどんなに不可能だと思っていても。夢想で妄想で最低に滑稽なオタク話だと思っていても。現実にはそうそう起こらない希少価値の高い現象だとしても。何があるか分からないのが人生なの。だからいつそういうモノに遇ったとして、在ったとして、逢ったとして、有ったとして、遭ったとして。どうにかできるだけの準備は常日頃からしておきなさい」
 しておいたほうがいいわよ、ではなかった。
 しておきなさい、とまるでやらなければいけないことのように。俺の姉、立花蓮は。そんなわけのわからない、それこそオタクのオタクによるオタクっぽい独り言に近いものを一方的に喋りきった。そうして、こちらに向けていた新聞を元のように広げ直したかと思えば、朝の日課の続きに戻っていた。
 俺はといえば。
 フライパンの上で危うく黒こげになるところだったハムと卵を皿へ避難させて、もうひとつ姉の分を焼き直すためにフライパンへハムと卵を投下させた。





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