「……嘘だろぉ」
 あまりの衝撃に俺はその場にへたり込んだ。
 なんでこんなことになったんだ。
 トリップだなんて。
 そんなことは物語の中だけだと思っていた。
 まさか、本当にこんなことが起こるなんて思わなかった。しかもそれが自分の身に降りかかるなんて。ああ……なんで俺なんだ。俺はこんなサプライズいらなかったのに。こういうのは体験したいヤツがすればいい。
 たとえば、俺の姉とか。オタクな俺の姉とか。自称ドリーマーな俺の姉とかっ!!
 つねづね姉が呟いてた「トリップしたい」が望んでた姉ではなく、なにゆえ俺にくるのか。ニアミスか。まさかニアミスなのか。こういう事象に関しての姉から聞いた無駄オタク知識を全力で引っ張り出してみる。
 トリップにはおおまかなパターンがあるらしい。
 そのいち。神様的なものに呼ばれる。
 これは無しだ。俺は神様的なものに呼ばれた覚えはない。こういうのはしばらくしてから登場するパターンもあるらしいので、断言できないが。
 そのに。どこからか落ちる。
 ビルの屋上からだったり、学生なら学校の窓からだったり。道を歩いていてマンホールや水溜りや、いきなり何もないところで落下するというが、実際は違ったのでこれもなし。
 そのさん。死にかける。
 事件でも事故でも。自らの生命が脅かされる事態が発生する。これはありがたいことに該当しない。どんなものであれ『死』なんて体験したくない。この世界では今後、実際に身に降りかかりそうで怖ろしいが。
 ああああああ……と地面に縋りつく自分がとてつもなく可哀相に思えてくる。
「うわっ!?」
 地面とお友達になっていたら、いきなり両脇に手を差し込まれ、ぐいっと持ち上げられた。驚いて顔を上げれば、眼前に兜で顔の半分を覆った風の悪魔こと風魔小太郎がいた。
 あれ、なんで?
 しかも、持ち上げ方がこう……ワンコとかニャンコとかを抱き上げるような感じなんだが。足が地面についてません。ぷらーん、とか擬音がつくようなんだけどっ!
「えぇっと、ふうまさん?」
 対応に困るのですが、と視線で問いかければコテンと首を傾げられた。
 いやいやいや。そこは俺が首傾げるところだろ。なんでお前が首を傾げているんだよ。しかし、図体がでかいくせになんでこいつがやると可愛く見えるんだ。視覚のマジック?
「ふぉっふぉっふぉ。風魔もボウズが気に入ったようぢゃな」
「なんでっ!?」
 にこやかに言う北条の爺さんに思わず勢いのまま突っ込んでしまう。
 抱き上げられたままなので、下の方にいる爺さんを見下ろすことになる。これが首に結構な負担だ。
 風魔が現れてから俺との絡みは皆無。これのどこに風魔が俺を気に入る要素があるというのか。いやない。思わず反語で否定するくらいにない。
 北条の爺さんから風魔に視線を戻したら、変わらずに風魔が俺を見つめていました。
 兜で隠れているが、ガン見されているのが分かる。まだ、持ち上げられたままなので、風魔の視線を受け止めるしかない。
「……」
「……」
 受け止めるしかない…んだけど。すごい居た堪れない。仔犬とか仔猫とかも、こういうことされてるときに居たたまれないとか思うんだろうか。だから顔とか舐めてくるのかもしれない。
 俺もどうしていいか分からないんだ。
 だから、ついつい自分を持ち上げている相手の顔のに手を伸ばした。避けられるか、とも思ったけど風魔は俺の手を避けなかった。頬に触れて撫でてみる。艶やかなとは言い難いそれでも肌理は細かいんだろう男の頬は、変なさわり心地のよさがあった。
 やばい。これクセになりそうだ。
 なおも風魔の頬を撫でていると、下から咳払いが聞こえてきた。
「……すいません」
 気まずい顔をしている北条の爺さんに謝る。
 そして、風魔の赤みの強い髪をつんつんと軽く引っ張った。
「こた……風魔さん、降ろしてくれませんか?」
 地文でも風魔と呼んでいるのに、本人を前にして危うくいつも呼んでいる『小太郎』呼びをするところだった。
「……」
 喋らないのは知っているけど、だからなんでいちいち仕種が可愛いんだよ。この忍は。フルフルと頭を横に振られて、何かを否定している仕種が大型犬のようだ。
 しかし、俺は超能力者でもなければ読心術も使えないので、風魔が何を伝えたいのか分からない。
「えっと、降ろしてくれないのか?」
「……」
 再び、フルフルと頭を振られる。
 降ろしてくれないわけじゃないようだが、未だに俺を降ろす気はないのか持ち上げられたままだ。できれば謎解きは降ろしてから解きたいのだが、正解しないと降ろしてくれないらしい。
「風魔さん」
 ふるふる、三度目。
「ふうま」
 ふるふるふる。四度目。
「ふ」
 ふるふるふるふる。五度目。
 しかも俺の言葉をぶった切っての首振りに、流石の俺も風魔が何を言いたいのか分かった。
「……さん付けがまずいんですかね。それとも風魔――」
 ふるふるふる。六度目。
「風魔呼びですか。名字で呼ぶのを拒否されたら、じゃあ俺はあなたのことをなんて呼べばいいんですか」
「…………」
 声は発しないものの、風魔の唇がゆっくりと形を刻む。
「ごめん。俺、読唇術もできない」
 唇の形から母音の予想くらいは出来るかもしれないが、きちんとした言葉で伝わらないから無理だ。それにこれでもし風魔の言いたいことが当たったら、今後もずっと読唇術を使って会話する羽目になりそうだ。会話を試みるたびに解読しなけりゃいけないなんて非常に面倒くさい。だから無理。ごめんな。と謝れば途端にしょんもりとした空気を纏った風魔に、慌てて「でも頑張って分かるようにするから」と墓穴に近いフォローを入れた俺は悪くない。
 だって散歩をお預けされた犬のようだったんだよ!
 ワンモアプリーズ、とばかりに風魔の口元に注目すればもう一度さっきよりもゆっくりと刻まれる音のない言葉。
 何回かくり返されて読み解けたそれは。
「…こ、た、ろ、う。こたろう、ね。風魔さんの名前?」
「……」
 刻まれたものを続けて読めば、風魔の名前だった。予想したとおりだったけどな。
 呼んでほしいの? と問えばこくん、と心なしか嬉しそうに頷かれた。
「小太郎さん、でいいですか」
「………」
また頭を振られた!
「オーケー、わかった。小太郎、でいいんですよね」
「…………」
 こくん、と頷いてくれたのはいいが、なんだかすごく間があった。
 今度はどれが納得いかないんだ。この我侭っ子は。
「……北条さん」
 これ以上は無理。意思疎通出来ない。出来るだろうけど時間が掛かりすぎる。持ち上げられたままの状態でいつまでもこんなやりとりを続けるのは俺的にパスだったので、情けなくも小太郎の飼い主……もとい、雇い主である爺さんへと助けを求めた。
 一昔前のチワワなCMよろしく北条の爺さんを見上げるのは体勢的に無理なので、上目遣いで見下ろすという技術を駆使してアピールする。お願いです。北条の爺さん。俺はブリーダーにはなれません。
「風魔は敬語では嫌ぢゃと言うておるわい」
「まあ、敬語って慣れてないから普段どおりに話していいなら、そのほうが楽でいいんだけどさ」
 そういうと小太郎はとても満足そうに口元をにぃと上げて頷いた。
 満足したようで上々だ。だからもう降ろしてくれていいだろ。そろそろこの犬猫か幼児のような抱き上げから解放してくれ。ほんとに。
 そんな心境のまま小太郎を見やったのに、俺の体は下ろされることなく、何故か小太郎にしっかりと抱きかかえられてしまった。
「ちょ、小太郎! なんで抱えてんの?! さっきから降ろしてって言ってんじゃん」
「……」
 ふるふるとまた頭を横に振られて、俺は抱えられたまま地団駄を踏んだ。
「爺ちゃんっ」
 アンタのとこの御孫さん何とかして! とまでは言わなかったが、それに近い気持ちで北条の爺さんに話を振る。
 が、爺さんはいつの間にか馬(どこから持ってきたんだ)に跨っていて、おいおい爺さんアンタさっきまで腰痛めてたじゃん乗馬とか止めとけって危ないから、などと俺の意識が爺さんに向いた隙に小太郎が俺のトランクを軽々を持ち上げていた。
 このパターンは嫌な予感がする。むしろ嫌な予感しかしない。あれ、これ数ページ前にも同じこと考えなかったか? いやでも今度のコレはなんつーか俺終了のお知らせっぽいんですけど。
 しっか、と小太郎に抱え込まれて冷や汗だらだらな俺。腰の痛みはどこへやら元気な爺さんが一声こういった。
「風魔よ、城に戻るぞい」
「……」
 こくん、と無言でひとつ頷いて。
 伝説の忍者は空高く飛び上がる。
「ぎゃあああああああやっぱりいいぃぃ!」
 盛大に上げた絶叫が青い空へと吸い込まれて。俺の記憶はそこでぷつんと切れた。





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