飛行機を降りると日本特有のじっとりとした空気が纏わりついてきて、俺はじんわりと祖国に帰ってきたことを実感する。
 建物内は冷房が掛かっているはずなのにこの空気に含まれる水分はいくらも改善されていないとは何事か。てのひらを団扇がわりに顔や首元に風を送っても改善されないどころか自分が動くことによる運動で熱量が勝っている気がする。実際暑い。暦の上ではもう秋だというのに。これも地球温暖化の影響ってやつなのかね。それともそれなりにあった留学期間で体は向こうの気候に慣れてしまったのか。向こうもそれなりに暑かったが、暑さの種類が違う気がする。
 ちなみにどこに行ったかというとフランス・イタリア中心にヨーロッパ諸国。目的は服飾の勉強のためだ。主な目的は勉強だが、年の離れた姉による密命で各地の美味しいものとネタも仕入れている。主にフランスで。
 まあそんなどうでもよくないが日本に帰ってきた今となってはどうでもいいことをぐだぐたと考えながらベルトコンベアの前で自分の荷物が流れてくるのを待つ。フロアにぼんやりと流れる到着便の案内や荷物の受取り状況のアナウンスを聞き流しつつ目の前を通過するベルトコンベアの荷物に注視。国内移動なら心配も問題もないが、海外移動の時は無事に荷物が貨物室に積まれたか心配しなきゃいけないとはどうも理不尽な気がする。各国の治安によるんだろうけど。とはいえ、これは今回が海外初だった俺の感想とか偏見だ。実際がどうなのかはわからないので俺の意見を鵜呑みにしないようにしてほしいものである。
 そういえば携帯電話の電源を消したままだった。
 飛行機から降りたのだからもう電源を入れてもいいはずだ。
 というか電源の入っていない携帯電話なんて携帯していない携帯電話に等しいわけだから携帯電話禁止エリアから出た俺は携帯電話の電源を入れるべきだろう。つらつらとくだらない事を考えて携帯電話に電源を入れる。一連の起動動作を経て待ち受け画面になる。そして間髪入れずに着信のお知らせが来た。
 ええっと…
「うあ」
 メルマガにダイレクトメールが大量。
 それから学校の友人。これは当然ながら日本の学校の友人だ。
 カーソルを動かしていって、ある一点で手と目が留まる。『ミレディ』と書かれた宛名が続けて数件。姉からだった。
 年の離れた俺の姉は俺の携帯電話であるにも関わらず、アドレス張に登録している自分の名前に注文をつけてくる。因みに『ミレディ』とはとある小説の主人公である警察庁官僚の女王様の呼び名の一つである。その女王様のメイドが彼女をそう呼んでいるのだが、それを自分の登録名にさせたのだ。この名前は度々変更させられる。間隔は完全に姉の気まぐれと姉がその時はまっているアニメや漫画や小説による。ちなみに『ミレディ』の前は『お館様』『神子姫様』などとにかく様がついたり偉そうな肩書きだったりする。とにかくその姉からのメールには「迎えに行けないけど無事に帰ってきなさい」「今日は仕事で遅くなるわ」「夕飯は適当に作って冷蔵庫に入っているから適当に食べてちょうだい」と一通ごとにそれぞれ書かれていた。
 この内容は分けてメールを送る必要なんかあるのだろうか。
 姉らしいといえば姉らしいけど。
 苦笑いをしてとりあえず「無事に日本に到着したよ」と簡潔に返信して携帯電話をポケットにしまう。
 それからようやくベルトコンベアに乗っかって流れてきた自分のトランクを掴んでコンベアから降ろす。同じトランクがさっき一回流れていった気がするが、それはきっと気のせいだろう。市販のトランクなんだから同じ色形のものがあっても可笑しくない。目印につけている俺の手製タグも同じだったのは、やっぱり気のせいである。
 トランクを引いて出口に向かうところで違和感があった。
 違和感の原因はこの場に流れている音。
 先程までアナウンスだの、行き交う人だの、カートを引く音だのが充満していたはずなのに、今は無音だ。急に消えた音に逆に耳の奥でキーンと耳鳴りのような音がして痛い。
 だがその痛さも吹き飛ぶ音が耳に届く。
 空港という場所柄、絶対に有り得ないし相応しくない。
「なんで馬の嘶き?」
 例え空港の付近に厩舎があったとしても可笑しくないが、そこの馬の鳴き声が聞こえるのは不自然極まりない。それとも飛行機で馬を運んだのか? 英国あたりから競走馬の種馬を落札して日本に……というのはある話だが、だからって人間が降りるロビーと同じロビーに降りるなんていうのは初耳だぞ。
「今度はなんだ?!」
 馬の嘶きに続いて、今度は馬が歩く音。それに被って大量の人間が歩く、ざっ、ざっ、ざっ、という音。なぜか目の前を馬に乗った武将(大河ドラマとかでよく見る甲冑を着込んでいた)や歩兵(こちらも武将よりは劣るが甲冑姿だ)がゾロゾロと進んでいく。これからちょっとバトって来ますと言わんばかりに現代人の俺にも気迫が伝わってくる。気がする。気がするのはいいが俺の気は360度回って動転している。動転しているのに目の前の行軍は鬨の声が上がる合戦へと移行されて、もう本当にどうしたもんかと思った。
 どうしたもんかと思った時には、打ち合う兵士たちの向こうに騎馬隊がずらりと陣形を組んで並んでいた。
 まさか。
 この一連の流れからこの後の展開を読むとしたら。
「うわあっ!」
 予想通りというかなんというか騎馬隊集団が俺に向かって突っ込んできた。
 ただし予想は出来ても避けられるわけじゃなかった。
 躊躇いも無くまっすぐに槍まで構えて駈けてくる騎馬に、身動き取れず頭だけは守らないといけないと本能が反応したのか、片腕を顔の前に掲げて(本当は両手を使いたかったがトランクと引いていたせいで無理だった)目を閉じる。
 かなりの衝撃を覚悟して体を固くしていた俺の横を風がいくつも通り過ぎていく。
 というのに衝撃がない。ひょっとしたら俺を轢かないように避けてくれたのだろうか。
 そろりと反射的に閉じていた目を開けて腕を少しだけ下げる。
 後悔した。
 後悔っていうのは後から悔やむから後悔であって、前持って悔やめるのならばそうしたい。
 腕を下げた俺の目の前に、本当に避ける猶予など時間的にも気分的にも無いほど眼前に馬の胸と前脚があった。
 蹴り殺される!
「………………………」
 もはやこれまでかと思ったのに、騎馬は俺の体をすり抜けていた。
「ってなんだよ驚き損じゃない……か?!」
 グチは途中で驚きに変わった。
 すり抜けた幻影につられて振り向いた先は、空港内とは程遠い、遠く、遮るものがないせいで消失点が分かるんじゃないかというくらい遠くまで見渡せる平地だった。平野、といえるか分からないがとにかくだだっ広い。
 まさか!
 脳裏の過ぎった嫌な感じに元の方向、つまりさっきまで俺が向いていた、騎馬が来た方へ頭を廻らす。
 そんな、嘘だろ!?
 さっきまでは確かに空港の背景であったそこは、俺の背後に広がる風景と同じものに変わっていた。
 空港だった名残など一切ない。
 案内放送も聞こえない。
 人のざわめきも聞こえない。
 さっきまで見えていた、聞こえていた訳の分からない幻影だか幻想だかも、跡形もなく消えている。
 ただ風が大地の草木を揺らす音が耳に痛い。
 ぞくり。
 となにかもわからない震えが背筋を奔る。
 急激に喉が渇いていく。
 有り得ない出来事が起こった。
 それだけは理解できたが、だからといって自分の身に起こった出来事がなんなのかは理解出来ない。空港に降り立ってからまだ一時間も経っていないのに(もしかしたら三十分も経過してないかもしれない)、なにがどうなってるんだ。飛行機から降りてからの一連の行動や出来事など数行で説明できるだろうに、そこに非日常的なものが混ざったと思ったら俺自身が非日常になったとでもいうのか。トランクを持ったままなのが唯一の救いかもしれない。
「なん、だよコレは。どうなってるんだ」
「あいたたた」
「ひっ」
 誰に問いかけたわけでもない勝手に口から出た呟きに、返事ではないが自分以外の誰かの声が聞こえて、情けない引き攣った声が出た。
 くそうちょっと恥ずかしいじゃないか。
「ん? 誰かおるのか?」
「え、あ、いや……はい」
 声からして爺さんだろう誰かは、俺の声(絶対に上げかけた悲鳴のほうだ)に気付いたのだろう。誰か居ないのかと問いかけてきた。誰も居ないのに声がしたらホラーだと思うんだが。これで相手の方がホラー現象の源だったりしたら俺は泣くかもしれない。
 うっかり答えてしまったのでこのまま無視するわけにもいかないだろうし、はてさてどうしたものか。いざとなったら逃げればいいだろうが逃げれるかどうかは怪しいところだ。
 とはいえ俺としてもこのまま何処かも分からない場所に放置されても困るわけで。
 だとしたら現状を打破できる選択肢としては、この声の主を探したほうがいい。選択肢がもう一つあってくれたほうが俺的には嬉しいんだけど。
 たぶん声がしたんじゃないかと思う方へ足を進める。
 平野だといっても茂みやちょっとした段差なんかはあるので、きっとそんな見えにくい場所にいるのだろうと踏んでみたのだが、これが大当たりだった。
 だけど見つけた瞬間、当たってくれなくてよかったのにと残念になった。
「おお、誰か知らんがちょっと頼まれてくれんかのぉ」
 飛び降りられないこともない、ちょっとした段差を覗いた先、段差の下に甲冑を着けた爺さんが座っていた。その傍らにはでっかい槍っぽいものが転がっている。
 いやいやいやナイだろこれは絶対にないって!
「なんぢゃ聞こえておらんのか?」
 いやいやマジでないよコレ。有り得ないっていうか冗談でもキツイって。
 白髪白髭の老人は俺が反応しないせいで不思議そうな顔をしている。
 が俺はその老人の顔と声に反応はしたものの、どうリアクションすればいいのかわからないだけだ。
 どうしよう。
 どうしよう。どうしよう。
 どうしよう。どうしよう。どうしよう。
 どうしたらいいんだ!
 なんでこんな事になっているんだ。
 現状を打破するどころか現状に更なる混乱を加味してくれる要素を見つけるなんて、俺は本当にどうすればいいんだ。
 老人の顔がどこかで見たことのある顔だった。老人の声がどこかで聞いたことのある声だった。





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