月の聖杯戦争から、裏側へ落とされて。
記憶を失くしても生きるために戦った。
そうして、月の裏側から表側へ戻った白野は、家財の九割を落としながらも表側まで追いかけてきたギルガメッシュと共に聖杯戦争を勝ち残り。
最終的にムーンセルに分解されるのを待つばかりだった白野は、最後の最後でギルガメッシュに掬われた。
まったくもって無茶苦茶だが、英雄王様らしいといえばそれまでだ。こんなサーヴァントに付き合えるマスターは自分くらいなものだろう。それだけは自信がある。
手に手を取って、白野とギルガメッシュは月の呪縛を引き千切り、地球から1500光年離れたオリオン手前まで飛び出した。
他天体の霊子虚構世界。
文字通りの新天地。
新たな人生と愉悦の幕開けに、白野は心躍った。
そして心から堪能した。
きっとひとりだったら、ここまで楽しくなかっただろう。
そんな文字通り新天地での生活は、充足したものだった。
見も知らぬ文化と文明に驚き、感嘆し、遊び回り、安寧とした時間を過ごしたかと思えば身銭と経験を稼ぐためにダンジョンへ繰り出す。そうして稼いだ金でまた遊び回り、安寧の時間を過ごす。
そんなサイクルが定着するくらいには、この観測域にきて時間が経っていた。
カツカツとローファーが立てる軽い足音の少し後ろから、ガシャガシャと重い金属の足音が続く。
「飽いたな」
「そうだね」
同意の言葉を吐きながら、白野は足を進める。
背後でAUOの機嫌が下がった。
最後に敵性プログラムを倒してから三十分以上、なにも起きていない。トラップが発動することもなく、エネミーが出現することもなく、いたって平和なのだ。
かといって、レア度の高いアイテムが手に入ったわけでもない。
白野ですらただ歩くことに飽き始めていたのだ。ギルガメッシュがここまで黙っていたのが奇跡に近い。
「我は歩き飽きたぞ」
「じゃあ帰る?」
帰還用のアイテムをさりげなく見せて問えば、形の良い眉がぎゅうと寄せられる。
あ、これ選択肢間違えたな、と思うが英雄王の刃が白野に向けられることはなかった。
ただ、常人には凶悪に見える渋い顔で白野が持つアイテムを睨めつける。
「ここまで進んでおきながら、大した成果もなく踵を返すほうがつまらん」
ふん、と鼻を鳴らしたギルガメッシュに白野は「じゃあ、もうちょっと進もう」と促した。
そこからしばらく歩き、ようやく階段を見つけた二人は下層へと降りた。
「……ほぅ」
階段の先、辿り着いたのは何も無い空間だった。
いや、それでは語弊がある。
ぐるりと見渡す限り、背景と呼べる景色と床は視認出来ている。
そして、中空にはそれらと一線を画す力が渦を巻いていた。
「時空の歪みか」
ニヤリ、と悪どい顔で笑うギルガメッシュに、白野は無表情のまま眉をしかめた。
これはロクでもないことを思いついたときの顔だ。
それなりに長くなった付き合いの中で、この我様な金ピカ王を少しは知ったおかげで、なんとなく察することができるようになった。
時間と空間を捻じ曲げてどこに繋がってるかも分からない歪みに、愉悦大好き我様が素通りするわけがない。
「どこに繋がっているかはわからぬが、なかなかに面白そうだぞ雑種」
歪みの先を見据えたギルガメッシュが口端をにやりと釣り上げた。
喜色を前面に押し出した声は、子供のように弾んでいる。
「まさかと思うけど」
まさか、と言いつつも何をする気かなんて確定している。
けれども、何処に繋がっているかすら怪しい歪みに、できればそれは遠慮したいと思う。思うだけで口にしなかったのは、言うだけ無駄だと悟ったからだ。
「絶好の機会をフイにするつもりか? ここまで来たのだ、行くぞマスター!」
「ちょっ! こんなときばっかりマスター呼びかっ」
がっちりと腰を抱き寄せられて、跳躍ひとつ。
白野はギルガメッシュによって強制的に時空の歪みへ飛び込む羽目になった。