嵐、到来 2


 そんな一連のやり取りを終えた後、ようやく室内の電気が復活した。
 いままで薄暗い中にいたためにいつも以上に感じた眩しさに目を細める。が、白色電灯の下に晒された目前の人間たちの格好に、眉を顰めた。
 薄暗さに紛れて気付かなかったが、幸村と政宗はあちこち泥に汚れていた。なおかつ、ところどころ泥じゃない赤錆色に汚れていて、その上びしょ濡れだった。ぼたぼたと重力に従って滴が落ち、敷かれていた真っ白いラグに茶色と錆色の染みを広げている。
 先ほどまでは蓮も色々と興奮していて気付かなかったが、錆びた鉄に近い臭いに顔が歪む。
「立花殿。某、少しお尋ねしたいことがござりまする」
「ちょっと待って」
 てのひらを二人に向けて蓮は幸村の言葉を制止する。
「Ah−、何だ?」
 びしぃと効果音がつく勢いで蓮は二人に、正確には幸村と政宗の足元へ指を突きつけた。
「この有様を見て何か言うことはなくて?」
 言われて、幸村と政宗は蓮の指差した先、自分たちの足下を見下ろした。
 そのままバツの悪い顔でラグと自分たちの姿を見直し、もう一度ラグを見た幸村と政宗は指を突きつけたままの蓮へ向き直る。
「oh……sorry」
「も、申し訳ございませぬっ!」
「ちょっ、幸村ストップ! 土下座なんてしないでちょうだい! 余計に汚れるわっ」
 制止の声を虚しく、がばあっ、と擬音の書き文字が見える勢いで幸村は床に額を叩きつけた。ものすごく痛そうな音をさせていたのだが、幸村本人にはさしてダメージはないらしい。日々、上司と『殴り愛』をしている賜物だろう。
 それよりも幸村が床に与えたダメージの方が気になったし、彼が土下座したせいでラグの染みは半端なく広がってしまっていた。
 戦装束の二人は格好良いが、今は堪能するどころではない。さっさと着替えさせてしまわなければ、被害はラグだけに留まらないだろう。
「……そういや、アンタ」
「なに、政宗」
「異国語がわかるのか」
「異国語……ああ、英語のことね。国際化のご時世、この国の人間なら大半が知っているわ。必修科目だもの」
 蓮の時代では中学からの科目だったが、今では小学校から必修科目に組み込まれているらしい。早いところでは幼稚園から英語教育をしているところもあると聞く。
「というか、今更それを言うとは思わなかったわ。結構最初から話していたわよ?」
「それは気付いてたけどな」
「まあ、おしゃべりは後にして、まずはその格好をなんとかするわよ」
 ため息をついてソファから立ち上がると、土下座したままの幸村を引っ張り上げる。
「なっ」
 瞬時に顔を赤くした幸村に、叫んだらベランダから放り出すと脅しをかけて黙らせる。それから政宗の腕を取るとバスルームへと向かった。
 蓮の家のバスルームは、通常のマンションなどと比べるとかなり広い造りになっている。
 ゆったりと足を伸ばせる広々バスタブと大人二人が優に入れる洗い場は、蓮の癒し空間でもある。とはいえ、そこに大人三人が入るには、さすがに少しばかり窮屈だった。しかもそのうちの二人は体格の良い戦国武将ときたものだ。
「些か窮屈でござるな」
「hey! こんな狭い場所に押し込んで、どうするつもりだ?」
「汚れを落とすに決まってるでしょう。湯浴みといえば分かるかしら?」
「ここは湯殿か」
「ゆ、湯殿ッ」
「叫んだら湯船に顔面から浸からせるわよ、幸村」
「ぐ」
「本当は一人ずつ入らせて使い方を伝授したいところだけど、今回はそうも言ってられないからまとめて説明するわよ。なるべく一度で覚えなさい」
 会社で後輩指導をするときのような口調で言うと、蓮は事態が飲み込めていない二人の脇に腕を伸ばしてシャワーヘッドを掴む。そして、予告もなしにコックを捻った。
「ぶっ!」
「ぬおっ!」
 シャワーに驚く幸村と、シャワーの水を顔面に受けて間抜けな感じになった政宗に、蓮は思わず笑い声をあげてしまう。
「……何を笑ってやがる」
「ごめん、ごめん。でも、わざとじゃないわよ」
 シャワーヘッドを二人から遠ざけて、しばらく手をかざして水が適温に変わるのを待つ。
「さて、と。目は閉じておいたほうがいいわよ」
 シャワーから出てくるお湯がちょうど良い温度になったところで、再びシャワーを幸村と政宗に向けた。
 途端に泥と血の臭いがバスルームに充満する。
 職業が医者とか救急隊とかいうのではない限り、諸事情で男より女の方が血に慣れているものだが、あまりに濃い臭いに気分が悪くなりそうだ。
「おいっ…顔に向けるな!」
「目に入ったでござるっ」
 慣れないシャワーに翻弄される二人に、
「だから目は閉じたほうがいいって言ったでしょう」
 と、蓮は容赦なく頭からシャワーを浴びせかけていく。
 しばらくシャワーをかけ続けて流れ落ちる水が濁らなくなったところで、いったんシャワーを止めた。
「それじゃあ二人とも。着てるもの脱いでちょうだい」
 その言葉に武将二人が音を立てて固まった。
 幸村は顔だけじゃなく耳や首まで真っ赤にさせて、口をぱくぱくさせている。
「おいおい、本気か?」
「本気と書いてマジと読むくらいには本気ね」
「な! ぜ、全部で御座るか?」
「当然。身体を洗うのに着たままじゃ出来ないでしょう。兵(つわもの)なら兵らしく真っ裸になりなさい」
「は、破廉恥なっ!」
「別に裸は見ないわよ。見てほしいなら別だけど」
「ぅうおやかたさばああっ!」
「お黙り」
 先程の脅しも功を奏さないくらい、我慢の限界だったのだろう。
 バスルームに響くお館様コールに、蓮は幸村の額を洗面器で殴って黙らせた。
 上半身だけとか水着姿ならば嘗めるように堪能させてもらうが、蓮とて全裸を見るほど恥じらいは捨ててはいない。いくらなんでもそこまではゴメンである。乙女としての最後の一線を越える気もない。今のところは。
「鎧とか兜とかの金属物は扉の外に置いて、脱いだ布ものは白いカゴに入れること。それから体洗うのはこのスポンジとボディーソープで。スポンジにボディーソープをつけて、こうして何度か揉むと泡立つから、このまま身体を隅々まで綺麗にすること。洗顔はこっちのやつを泡立てて使ってちょうだい。頭はこっちのシャンプーのここを一押しすると身体洗うのと同じような液体がでてくるからそれで洗って、泡を流したらこっちのコンディショナーをシャンプーと同じ要領で。身体を拭くのは脱衣所にある……そのタオルを使ってちょうだい。着替えは出しておくから、上がったらさっきの部屋に来ること。わかった?」
「ああ、大体は」
「某もなんとなく」
「それならいいわ。着替えの準備とか片付けがあるから、ゆっくり温まってから出てきてちょうだい」
 ざっと指示を出した蓮に、政宗と幸村は頷き返す。それを確認してから蓮は二人を残して浴室から退出した。
 浴室に近い、けれど邪魔にならない場所に汚れた服を入れるためのカゴを用意し、バスタオルも多めに出しておく。
 そうこうしている間に浴室の二人は、感嘆の声をあげつつ入浴を開始したようだった。
 この調子なら風呂場を壊される心配はなさそうなので、蓮はほっと一息つくと彼らの着替えを用意すべく脱衣所を出る。旅館ではないのでお客様用の寝巻きはないが、何時ぞやに買った甚平を出せばいいだろう。デザインに惹かれて衝動買いをしたものだったけれど、確か男女兼用のフリーサイズだったはずだ。それなら幸村と政宗でも着られるだろう。下着は弟の未使用品を使ってもらえばいい。
 ――ああでも、今日は甚平で良いとして明日からの着替えや下着がないわね。
 今晩は凌げてもずっと甚平を着せ続けるわけにもいかない。洗濯だってしなければならないし、洗濯している間に裸のままというのはよろしくない。かといって、この家には残念ながらあの二人に合うサイズの洋服は存在しない。蓮のものではデザイン的な問題があるし、女としては長身であるので丈は足りるかもしれないが、横幅があるわけではから細身といえ体格の良い武将には着れないだろう。今は海外に留学中の弟の服は、蓮の服以上に着れない。何せ弟のほうが蓮よりもサイズが小さいのだ。
「これは、明日買い物に行かなくちゃならないわねぇ」
 きっと大荷物になるだろうから、明日までには天気が回復してくれないと困る。
 買い物自体はきっと楽しいものになるだろうけれど。
 そんなことを考えながら衣裳部屋へと向かった。
 衣裳部屋とは正しく衣裳部屋で、四畳ほどの広さのウォークインクローゼットになっている。そこにはライブ用からコスプレ衣装といった普段は着ないような服から、自分は着ないもののデザインが気に入った観賞用に買ったもの、そして弟が製作したものまで、立花家の衣装の殆どを収納していた。そんな衣装部屋の夏用着物系のコーナーから、目的の甚平を引っ張りだす。
「これって、すごいぴったりよね」
 まるで狙ったかのような色と柄に、にんまりと蓮の顔に笑みが浮かぶ。まあ、だからこそ衝動買いをしたわけなのだが。
 ついでに客用の座布団と代わりのラグを廊下へ出してから脱衣所へと戻る。
 扉に人影が映っていないのを確認してから中へと入れば、僅かに湯気が漂う脱衣所の端に鎧兜が寄せられていた。キチンと言いつけを守っていることに、よしよし、と頷いて着替えを籠へと置く。
「着替え、置いておくわ」
 浴室の戸を軽く叩いて声を掛ければ、
「Thank you」
「かたじけのうございます」
 と、扉越しにくぐもった返事が返ってきた。
「ゆっくり浸かっててちょうだい」
 そう言って蓮は洗面台の下から掃除用の雑巾とバケツを取り出して、リビングへと戻る。
 リビングに戻った途端、蓮はふう、と疲れた息を吐き出した。
 リビングの惨状は二人をバスルームに追いやった時から変わらずに、お気に入りのラグはすっかり泥とそれ以外のものでどろどろの斑模様になっていた。雑巾で軽く拭いてみたが、毛足の長いラグは奥の方まで泥を抱えこんでしまい汚れが落ちる気配はない。クリーニングに出せば泥汚れは落ちるかもしれないが、血痕は落ちにくいから跡が残ってしまうだろう。それ以前にこんな血痕付きの泥だらけなラグをクリーニングに持っていったりしたら事件性を疑われる気がした。そんな事態はさすがに遠慮したいし、仮に汚れが落ちたとしても誰のものかも分からない血を吸ったラグなど、怖くて使う気など起きない。
「高かったんだけどねぇ」
 がくり、と肩と共に落とした呟きは少しばかり恨みを含んでいた。
 このラグは本当に高かったのだ。同じものをもう一度買おうと思えば、財布から諭吉が数枚消えてしまう。幸村と政宗がいつまでこの世界で生活するのか分からない以上、最低限の日用品や衣料品を購入しなくてはならない。それから、おそらく現代の成人男性以上に食べるだろう彼らの食費を考えれば買い直しは無理だった。
 ――ああ、本当に泣きたいわ。
 あの二人……伊達政宗と真田幸村がいきなり現れたのはまあ良い。
 蓮はオタクで腐女子でドリーマーなヲトメの一員だ。トリップや逆トリップは、むしろ諸手を上げて大歓迎であるし、蒼紅セットというのも文句はない。当人たちにも歓迎すると言ったのだし。あの二人が蓮のところに来たのだって、必然なのだろうから、本当に来たこと自体は文句はないのだけれど。
「よりにもよって戦中。血塗れで泥塗れ。嬉しいけど嬉しくないってのよ」
 複雑な胸の内に声を荒げて、神様ももうすこしタイミングというものを考慮してほしいわ、などとぶつぶつ呟く姿ははたから見れば目が据わっていただろう。
 そうこうしながらも汚れたラグを引っぺがし、フローリングの汚れを雑巾でふき取り、衣裳部屋から出していた代わりのラグを敷き直す。座布団をテーブルを挟んでソファの向かい側に置けば、とりあえず掃除は終了である。
 剥がしたラグは汚れが落ちないように丸めて部屋の隅に転がしておくことにする。明日の朝一番で粗大ゴミ行きを決定して、ちらりと見上げた時計は夕飯時を示していた。
 さてと、夕飯はどうしようかしら。
「Hey. 上がったぜ」
 声を掛けられリビングから廊下へ続くドアを振り返れば、ほかほかと湯気を上げた政宗と幸村がいた。
 用意した甚平は臙脂色に虎の刺繍と藍色に龍の刺繍のもので、当然のように幸村が臙脂色、政宗が藍色を使用している。
 しっとりと濡れた髪に用意しておいた甚平を着た姿は、萌えの具現化というくらい見事に嵌っていた。
「やっぱり似合うわ。さすが私、ナイスチョイス。うん、サイズも大丈夫みたいね」
 フリーサイズさまさまである。
「よきお湯でござった」
「それは良かったわ。それにしても思ったより早かったわね。まだ夕飯……夕餉? の準備出来てないんだけど、二人とも食べるでしょう?」
 戦場から現代に飛んできたのならば、食事をしていたとは思えないし、きっとおなかも空いているだろうと思い聞いたのだが、政宗と幸村は一瞬なんともいえない表情を浮かべた。
「もしかして、毒とかを警戒してるの?」
「いや、そういうわけじゃ、ないんだが」
「しかし湯ばかりでなく食事まで頂くなど」
 歯切れの悪い政宗に、遠慮しているのか幸村はモジモジとし始めた。
「遠慮しなくていいわよ? 食べたくないなら別だけど」
「うっ……頂きとうございます」
「素直でよろしい。政宗は?」
「貰う」
「じゃあ、そこで座って待っててちょうだい。今から作るから」
 そういってエプロンを手に蓮はキッチンに向かう。冷蔵庫を開ける。材料は帰りに買い込んできているし、作り置きもいくつかあるので夕飯には困らなそうだ。
「二人とも好き嫌いないわよね?」
「某、あまり苦い野菜は苦手でして」
「俺はないぜ」
「よしよし。政宗はいい子ね。幸村はもうちょい頑張りなさい」
 くすくすと笑って、冷蔵庫から適当に肉や野菜を出していく。メニューはボリュームを持たせつつ、手っ取り早く出来る野菜炒めにすることにする。ついでに作り置きしてあった肉じゃがと切り干し大根の煮付けと厚揚げを出せば、そこそこ足りるだろう。
「俺も手伝う」
 いつの間にかキッチンへ回ってきた政宗が手伝いを申し出てきた。
「そうね。折角だから手伝ってもらおうかしら」
 伊達政宗といえば料理好きでも知られているし、現代キッチンでも対応できそうなので遠慮なく手伝ってもらうことにする。
 気にしていないようなことを言っていたが、毒見だなんだという問題も、政宗自身が作ることでクリアできる。幸村と政宗が帰れるまでの共同生活のためにも、家事分担は必須なので一石二鳥だ。毒物など所持していないし、毒を混入させるつもりも蓮にはないけれど、そういう世界で生きてきたのだからいきなり信用しろというのも無理だろう。だったら実際にやらせたほうがお互いに楽というものだ。
「バケツと雑巾を片付けてくるから、ちょっと待ってて」
「某もお手伝いいたしまする!」
 政宗の手伝う発言を聞いた幸村が元気いっぱいに挙手をして手伝いにエントリーしてきた。
 思わず隣に立つ政宗をチラ見すれば、ひょいと肩を竦められた。
「あー、じゃあ、そこのバケツ……桶をさっきの脱衣所に置いてきてもらえるかしら」
「お任せくだされっ」
 まるで上司に対するような態度でもって幸村は蓮の手から雑巾の入ったバケツを受け取って、小走りでリビングから出て行った。
「蓮、さっきから気になってたんだが、それはなんだ?」
「切り干し大根の煮付け」
「違ぇ。そっちの箱だ」
「ああ。これは冷蔵庫といって食物を傷みにくく長持ちさせるための電化製品。政宗たちの世界でいう『からくり』よ」
 煮付けはレンジにいれて、温めなおす。
「ちなみにこれは電子レンジ。冷えた食物を温めなおしたりできるわ」
「これも異世界のからくりか。便利だな」
「でしょう」
 どこか噛み締めるように呟いた政宗に蓮は軽く相槌をうち、他に食べられるものを探して冷蔵庫を漁る。作り置きしていた肉じゃがは鍋ごと突っ込まれていたので、そっちは火にかけて温め直すことにした。ついでに見つけた塩鮭をグリルに突っ込み、厚焼き玉子も焼くことにする。
「そうだ、政宗」
「なんだ?」
「幸村はキッチン……調理場? 厨? に入れて大丈夫だと思う?」
 脱衣所の方でガタガタと音を立てている犬っころは、キッチンに入れた日には大惨事になりそうで蓮としてはご遠慮願いたい。願いたいのだが、あのワンコ顔負けな瞳で見つめられると根負けしそうな気もする。
「大丈夫、じゃねぇな。アレは」
「やっぱり」
「やっぱりっていうからには、大丈夫じゃねぇって思ってたんだな」
「そりゃあ、まあ。あの子、どうみても落ち着きないもの。ガラスとか割りそうじゃない?」
「割るな」
「幸村はキッチン以外の手伝いに決定ね」
「そうした方がいいだろうな」
 政宗とも意見が一致したところで、やはりバタバタと音を立てて脱衣所から幸村が戻ってきた。
「立花殿! 桶を片付けて参りましたっ!」
「ん、いい子ね。ありがとう」
 お礼を言った途端に、照れているのか不満なのか微妙な顔をした幸村に、蓮は小首を傾げた。







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