嵐、到来 1
カッ、と雷が光って薄暗い部屋の中を青白く浮かび上がらせる。空は黒々とした雲が渦巻き、雲間を稲妻が這い、大粒の雨が窓を叩きつけている。
家路についている間はなんとか保っていた空も、玄関を開けるときにはどしゃぶりになっていた。
そして。
つい先程、雷が落ちた。
ついでに電気も落ちた。
と思ったら、次の瞬間には蓮は身動きが出来なくなっていた。顎の下、喉元に冷たい感触がある。その感触はまさしく鉄の冷ややかさでもって、体温を奪っていく。
――ええっと、これはどうなってるのかしら?
その鉄を伝っていった視線の先には、眼光鋭い隻眼の男がいた。
「hey,girl! 此処は何処だ?」
目の前の隻眼が、声を荒げる。
少しだけ切っ先が動き、喉を晒すように刃の背で顎が上げられる。
怒気とも覇気とも殺気ともつかない、それでもヨロシクはないと平和ボケした現代人でも分かる気配を背後から立ち上らせている男には見覚えがあった。
全体的に蒼い。手にしているのは一振りだが、腰に下げているものは五振り。計六振りの刀。弦月の前立て。鍔で出来た眼帯。見覚えがあるどころか、日々ゲーム画面で見ている顔だ。
「……伊達政宗」
目の前の男の名前を呟いた途端、喉に掛かる圧迫感が増した。それでも切れた感触はしなかったから、力の入れ具合が絶妙なのだろう。息苦しさも絶妙だった。
「政宗殿っ」
政宗の後ろで、やたらと赤いのが非難がましい声を上げた。
こちらもまた見知った顔だった。
全体的に紅。額に巻いた鉢金。両手に持った二槍。首から下げた6文銭。ズボンにあしらわれたファイヤーパターン。
武田の若虎、真田幸村だ。
どちらもゲームのムービーで見ているそのままの顔で、当然のように声もあのまま。
一瞬、なんのサプライズかと思ったが、サプライズなら出てくるのはコレじゃなくて中身だろう、と自分自身に突っ込みを入れる。
それが、外身……といってはなんだが、キャラクターが発生しているという異常事態。
蓮の認識が正しければ、この二人は落雷の直後に今の場所へ出現した。
発現した。
発生した。
そう、発生したのだ。
有り得ないことが起こった。
――違うわね。有り得ないなんてことは有り得ない、のだから。
不可思議以上の確率で起こりえないコトであろうとも、起こったからには信じるだけだ。いままで妄想という非現実世界でのみ起こっていた、いわゆる『逆トリップ』といわれるもの。
刃を向けられているといるのに、口元が、頬が、にんまりと緩んでいくのを止められない。
ぞくりと悦びに身体が震える。
今後の展開に胸が躍っていた。
「……アンタ何者だ?」
忌々しい感情を隠そうともせず政宗が、地を這うような声で訊ねる。隻眼を眇めて窺う政宗に、ちらりと喉に押し付けられている刀を見下ろす。
「まずは、これを退かしなさい。話はそれからよ」
声を出すたびに切っ先が喉を圧迫するが、構わず政宗に向かって命令した。
ピクリ、と政宗の顔が引き攣る。
「アンタ、何様のつもりだ」
「ここの主よ」
「主、だぁ」
眉が不機嫌に跳ね上げられる。
語尾を上げる喋り方は、いかにもどこかのチンピラか不良に見えた。
実際、伊達軍という暴走族もどきを束ねているヘッドなのだから間違ってはいない。
「某たちを拐かしたのは貴殿であろうか?」
「これを退かさない限り、答えないわ」
「テメェ……俺が誰か知っているくせにその態度とは、いい度胸じゃねぇか」
「そっちこそね」
押し殺した声で脅されても、蓮は刃を退けないかぎり何も言うつもりなどなかった。緩んでいた顔を真剣なものに変えて、まっすぐに隻眼の男を見つめる。
どれだけそうしていただろうか。
数十分のようにも、数秒のようにも感じる時間が過ぎて、先に動いたのは政宗の方だった。
ゆっくりと切っ先が外される。
「OKey」
一言呟いて政宗は刀を鞘へと納め、ついでに垂れ流していた危険な気配も若干納めた。
「これで文句はねぇだろ。俺の問いに答えな」
「貴方の問いには答えたわよ。ここの主だって」
蓮は半眼で政宗を睨め付けながら、刀を突きつけられた喉をさする。とりあえず何ともなっていないようだ。これで傷物にされていたら、逆トリップ体験の希少さと萌えを差し引いてもマイナスになっていたところである。
「で、幸村の質問に対する答えだけど」
「なんと! 某のことも知っておられたとはっ」
「それについては後で。まずは幸村の貴方たちを拐わかしたのは私かという質問だけど、答えは否、よ」
「じゃあ、此処は何処だ」
「私の家」
即答。
「No! そうじゃねぇっ! 此処は何処の国だ。甲斐か、奥州か、それとも」
「東京」
「what?」
「東京、よ。甲斐でも奥州でもないわ」
「何処だそりゃ。聞いたことねぇ。南蛮……にしちゃあ言葉が通じてるしな」
「某も聞き覚えがありませぬ」
「それはそうよ。ここは貴方たちが生きている世界ではないもの」
告げた蓮の言葉に、その場が凍りついた。
政宗が眉間の皺を更に深くし、幸村は目を見開いて蓮を凝視する。
信じられないというより、胡乱なものを見るような目だった。
仕方ない、と蓮は思う。逆トリップやトリップといった物語を知っているのは、この場に蓮だけなのだから。政宗と幸村が理解できるかどうかはともかく、現状を説明しなければならない。そしてそれは当然のように蓮の役目だ。
「とりあえず落ち着いて。何もしないから座ったら?」
着座を勧めてみるが、二人は腰を下ろさなかった。蓮は座ろうが、立ったままだろうが、どちらでもよかったのでそれ以上は何も言わずに話しを進めることにする。
「異次元世界といって通じるかしら。此処は本来なら貴方たちの生きていた世界と交わることのない世界。時間も空間も違えた場所」
「時間と、空間を違えた場所……だと?」
眉間に深い皺を刻んだままで政宗が蓮の言葉を反芻する。
わざと解りにくい言い回しをしたが、政宗はそれを何とか理解しようとしているようだった。
一方、幸村のほうは眉を下げて困った顔になっている。難しい話が理解できないのか、彼の上司のような話運びでないと理解に至れないのか。最初から幸村に対しては理解することを期待していない。同じくらいの年齢でも政宗と幸村ではその立場の違いから、物事に対する見方が違うのだ。様々な――それこそ今後の利害についてまで考えているだろう政宗と同等のことを、幸村に判れというのはある意味で酷というものだ。
ただ、あの世界と違う世界なのだということを判ってもらえればそれで構わない。
「つまりanotherworldってことか」
「あなざ……某、いまいち分からぬのでござるが」
案の定、政宗はおおまかに理解したらしく、幸村は言葉どおり理解しきれず、くりんと首を傾げた。
――可愛い。
「OKey. 此処が俺たちのいた場所じゃないってのは分かった。それでアンタは何者なんだ」
「あら。この家の主、そう言ったはずよ」
「アンタの名前は?」
「人に名を尋ねる前にまず自分が名乗りなさい、といいたいところだけど」
「アンタ、俺たちの名前は知ってるだろうが」
「そうね。でも直接聞いたわけじゃないわ」
ニンマリと笑って見せれば、政宗は何故か疲れたような息を吐き出した。
「奥州筆頭、伊達政宗」
「武田軍が将、真田幸村と申す」
政宗に続いて幸村も名乗った。
「私は立花蓮よ」
名乗った二人に裏のない笑顔でもって蓮も名乗り。
見知った顔の来訪者たちに笑顔でこういってやった。
「異世界へようこそ。歓迎するわ」
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