嵐の前の


 四時五十五分。
 時計を見て立花蓮は、机の上に広がっていた書類を片付け始めた。
 今日中に片付けなければいけないものはすでに終わっているので、後は休暇中に他の人に頼んでおくものを分類するだけだ。
 休み明けに回して大丈夫なものを別のトレイに分けておき、来週中に処理しなければいけないものを、依頼する相手別に分けてダブルクリップで止めて、これまたトレイに分けておく。
 あとはこの書類を渡せば、本日の勤務は終了である。
「立花先輩」
「ゆんちゃん、どうしたの?」
 一息ついたところで後輩のユカリが、声を掛けてきた。
 職場の大抵の人間が“ゆんちゃん”とあだ名で呼ぶ彼女は蓮の直属の部下でもある。
「先輩、明日から夏休みでしたよね? どこかに出かけたりするんですか」
「んー、いまのところ出かける予定はないんだけど、気が向いたらプチ旅行くらいは行きたいわね。お盆も外してるし、帰省ラッシュも終わってるから予約しなくても切符も買えるでしょうし」
「いいですよね、旅行! 私も休みに入ったら旅行行こうかなぁ」
「ゆんちゃんは海外旅行でしょう?」
「わかります?」
「わかるわよ。あれだけスペインかぶれなんだから」
「だって、可愛いじゃないですか、ふそそそそ」
「可愛いけどね。私は連合王国が好きだわ」
「じゃあ、私が夏休みに旅行に行ったら。そっちにも足伸ばしてお土産買ってきましょうか」
「いいわよ、スペイン土産で。スペインもワインとか美味しいじゃない?」
「わかりました! じゃあ、スペインでいいもの探してきますね」
 胸の前で小さくガッツポーズをしたユカリに、楽しみにしてると告げる。
「私の方は期待しないでちょうだいね。行けるか分からないし」
「そうですねぇ。先輩が行きたがってた仙台七夕祭りはとうに終わっちゃいましたからね」
「そうね。ああ、ゆんちゃん。この書類どものことお願いね」
 机の脇に分けておいたトレイをユカリへと渡す。ちょっとした量になっているため、受け取った瞬間にユカリが僅かによろけた。
「大丈夫?」
「大丈夫です。任せてくださいっ」
 トレイを両手で抱えたまま胸を張るユカリに、頼んだわよ、と言い置いてパソコンの電源を落とす。
「それじゃあ、来週はよろしく頼んだわよ」
「はいっ! お疲れさまでした!」
 夕方でも元気な後輩に見送られて、会社を出る。エントランスを出て最初に思ったのは、雨が降りそう、というものだった。
 空気が百物語に絶好のシチュエーションの色合いをしている。
 携帯電話で天気予報を確認すれば、雷雨になる確率が八十パーセントを越えていた。
「これは確実に降るわね」
 はぁ、と短く息を吐いて、この後予定していたスケジュールを頭の中ですべてキャンセルする。
 休暇の皮切りにひとりでカラオケに行こうと思っていたが、交通に影響がでる可能性もある、などと言われてしまったら、ごり押ししてまで行く気はない。落雷注意の文字が浮かぶ携帯の画面を待ち受けに戻して、折りたたむとポケットへ押し込んだ。



20090823 初出し
20141211 修正更新



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