レモネードをひとつ、



 虎徹がバーナビーと共にトレーニングルームに顔を出すと、珍しく女子組(ネイサンは女子組に含む)がイワンを囲んでいた。
 お互いにライバルとはいえ、数少ない仕事仲間だし、特に仲が悪いこともないので談笑するというのも日常だ。
 ただし、普段は皆が話している後ろで見切れていることの多いイワンが囲まれているのは珍しいことだった。
「よ、おまえら、なにやってんだ?」
 片手を上げて挨拶代わりにしながら、四人に近付けばそれぞれが挨拶を返してくる。
 パオリンが虎徹の腕にまとわりついてきたので、頭を撫でてやった。嬉しそうに顔を綻ばせたパオリンに、聞いてよタイガー、と腕を引っ張られ、女子の輪に組み込まれる。
 後ろでバーナビーの呆れる気配がしたが、まあそれはいい。一人でマシンに向かうことなく、移動してきたので、バーナビーもいつもと違う面子の話題が気になったのだろう。
「それがね、折紙サイクロンにガールフレンドが出来たらしいんだ」
「マジで?!」
 自身は色気より食い気でも他人の恋愛事には興味があるらしい。
 楽しそうに笑顔をきらめかせるパオリンに、虎徹は二重で驚いた。
「別にガールフレンドってわけじゃ…」
「写真見せてもらったけど、日系でけっこう可愛かったわよ」
 もごもごとイワンが否定しようとするも、こういうときの女子の勢いに男が勝てるはずがない。
 タイガーさんたちにも見せてあげてよ、と言われたイワンが携帯電話を握り締めたまま視線を游がせた。もともと表立つような性格ではないので、話題の中心になることに耐性が少ないのだろう。
 しかもその話題が恋愛関係ともなれば、恥ずかしいに違いない。
 虎徹自身、こういった甘酸っぱい話題は遠い昔のことだが恥ずかしかったのを覚えている。
 懐かしさを感じながら、大人として応援してやるとともに全力でからかってやろうとパオリンの言葉尻に乗っかることにした。
「どれどれ? どんな娘かちょっとおじさんにも見せてくれよ」
「え?!」
「いいだろ。減るもんじゃなし」
「減りますっ。僕のライフ的なものが減る気がするんでやめてくださいっ」
 うりうりと肘で小突くと、物凄く全力で拒否された。
 減るのかよ。しかもライフ的なのってなんだ。あまりの拒否っぷりに思わず唇を尖らせる。
 大体、女子組には見せたのだ。もしかしたら無理矢理見られただけかもしれないが、一度見られたのならもう一度見せるくらい変わらないだろうに。
「あら。私たちには見せてタイガーにはダメなの?」
 ネイサンが厚い唇に指を添えて、イワンに聞いた。
「それは、えっと」
 タジタジという擬音がぴったりなくらい困惑した表情を浮かべて、イワンがネイサンと虎徹を見やる。
「ならおじさんには見せなくていいので、僕には見せてください」
「ああそれなら……ってなんでだよっ! バニーちゃんそういうキャラだっけ?!」
「キャラとか関係なく気になります」
 だって折紙先輩にガールフレンドですよ、とバーナビーがわかるようなわからないような主張をした。
 こういった恋愛話など「くだらない」の一言で一蹴すると思っていたバーナビーが食い付いたことで、イワンの注意がバーナビーに逸れた。
「隙ありっ」
 瞬間生まれた隙をついて、パオリンがイワンの手から携帯電話を奪った。
 虎徹の賞賛とイワンの悲鳴に近い非難が同時に上がる。
 そんな二人を横目に、パオリンは話題の写真を表示させた携帯電話をバーナビーに差し出した。
「あれ?」
「どした? バニー」
「この子……」
 微かに眉間に皴を寄せたバーナビーが携帯電話の画面を虎徹に見えるように向けてきた。
「へ?」
 先ほどバーナビーが上げたものと同じ間抜けた声がこぼれる。
「春希?」
 向けられた画面に写っていたのは虎徹のよく知った少女だった。
 いや、知り合いというレベルではない。
 春希とは、ちょっとした事情から現在ひとつ屋根の下で一緒に暮らしている間柄だ。もちろん色っぽい話ではないし、虎徹と春希の関係は『保護者と娘』的なものである。
 その少女がどこか慌てた様子で顔を赤らめたイワンの頬にくっつくくらい頬を寄せて笑顔で写っていた。すこし上目遣いになっているのが可愛らしい。
 携帯電話で自分撮りするならこうなるだろうなという客観的な感想と、なんでこんなにくっついているんだと苛立ちを含んだ感想が同時にわいてくる。
「なぁに二人とも。この子のこと知ってるの?」
 ネイサンの問いにバーナビーが頷く。
「この間の事件で人質だった子です」
「この間のって?」
「強盗立て籠り事件です。ゴールドステージであった」
「ああ、タイガーさんがシャッター壊したやつだね」
「客と職員を人質にしたアレね。犯人が人質だった女の子に伸されたって……あら」
「もしかして折紙のメル友がその人質だった子ってこと?!」
「そうなりますね」
「アドレス交換なんていつしたのよ?」
 カリーナの言葉に虎徹はハッとした。
 あの事件の時、解決してすぐに春希は怪我の治療に向かっていた。二人がアドレス交換をできるはずがない。
 あのとき二人が知り合いだったということはないはずだ。イワンの態度からそれはないと断言できる。
 だとすれば、あの事件の後で二人が会っていたことになる。
「折紙」
 滅多に出さない低い声で虎徹がイワンを呼んだ。
「は、はいっ」
 可哀想になるくらい肩を震わせ、イワンがベンチから飛び降りた。そのままトレーニングルームの床に膝を揃えて虎徹の前に正座する。
「なんで折紙と春希がメールやりとりしてんの?」
「えっと…それは、その」
「どうやって春希のアドレス知ったんだ」
 正直に言えばおじさん怒らないから、と視線に込めてイワンを見下ろす。
 途端、「ひっ」とイワンがひきつった悲鳴をあがった。
 虎徹としてはそこまで怯えさせるつもりはなかったのだが、イワンはすっかり顔色を無くして額を床に擦り付けた。流石、ジャパンオタク。土下座もマスター済みのようだ。
「ちょっとおじさん。なにやってるんですか」
 バーナビーが見かねてイワンを庇う。
 虎徹は、微妙になってしまった空気に、さすがにやり過ぎたかと慌てた。
「あー、悪ぃ。折紙、頭上げろ、な?」
 がりがりと後ろ頭を掻いて、イワンに謝った。
 土下座していたイワンの腕を引っ張って立たせ、もう一度、悪かったと謝罪の言葉をかける。
 いえ大丈夫です、すみません、としょんぼりしたイワンに謝られて虎徹は自分の大人げなさを反省する。
 いくら大事な娘(のようなものだと思っている)とイワンが虎徹に内緒でメル友になっていようと、土下座させるほどではなかった。虎徹がしろと言ったわけではないが、結果的にバーナビーより年下の子供が土下座したことに変わりない。
「俺が悪かったって。ちょっとビックリしたっていうか、カッとなったっていうか」
「こっちが吃驚したよー」
「まあ、人質だった子とメル友になってるのは私もどうかと思うけどさ」
 へらりといつもの笑顔を浮かべて顔の前で両手を会わせれば、微妙だった空気もようやく緩む。
 パオリンとカリーナがほっと息をついて、軽口をつく。
 虎徹のせいとはいえ、なんとも言えない空気が散ったことに虎徹もゆるゆると息を吐いた。
 そこに、虎徹の首にネイサンの腕が回った。ぐい、と力任せに引き寄せられる。
「それで、タイガー。あんた、彼女とどういう関係なのよ」
 頬擦りでもしそうな距離まで顔を寄せたネイサンが、にんまりと肉食の笑みを浮かべた。
「どういう関係って、なんでンな事聞くんだよ」
 せっかく場の空気が変わったのに蒸し返すようなことを言い出したネイサンに、虎徹はムッとしてみせた。
「だぁって! アンタが、そこまで、ムキになる相手、って気になるじゃない!」
 くねくねとシナをつくりながらネイサンが人差し指をリズミカルに虎徹の胸元へ突き立てる。
 虎徹の首に絡み付いた腕は、逃がすつもりはないとばかりに力を込められたままだ。心は女子でも体はきっちり男である。体格差も手伝ってガッチリホールドされてしまえば虎徹といえどそう簡単には逃げられない。
「いやいやいや! 俺のことはいいって。その話題はもうオシマイってことで」
「折紙にあそこまで詰め寄ったってことは、もしかして彼女、」
 アンタのコレ? と小指を立てられた。
「違うっつーのっ!」
 思わず叫ぶ。
 ついでとばかりに首に回っていた腕を勢いまかせに引き剥がし叩き落とした。
「もうこの話はおしまいっ。つまらないこと気にしてないでトレーニングしろって」
「いえ。僕は気になります。ついでに言えば、いつもトレーニングをサボってるのはオジサンですよ」
 しれっとした顔でバーナビーが言った。
 しかもきっちり嫌味を混ぜてくるのを忘れない。
「私も気になるっ。タイガーがどうして折紙のメル友の子、知ってるのっ?!」
 カリーナも頬を上気させて虎徹に詰め寄った。
 ちらりとパオリンを見れば、こちらも興味津々で虎徹に視線を向けている。
 イワンは先ほどの精神的ダメージからかグッタリしていたが、向けられた目は「僕も気になります」と雄弁に語っていた。
 追及していたはずが、今度は追及される側に回ったことで、ようやく自分が余計な事をしたのだと、虎徹は気がついた。
 春希のことは、いままで誰にも話していなかったし、訳ありなこともあって誰かに話すつもりもなかった。
 あそこはいくらカッとなったとしても、軽やかにスルーするべきだったのだ。イワンに聞くにしても後でこっそり聞くか、家に帰ってから春希に聞けばいいだけだ。
 自らの短慮が招いた事態に、けれど、まだどうにかなる、と思い直す。
 静かに息を吸い、吐き出して、動揺を押し込める。
「知ってるのは当然だろ。あの事件で突入したの、俺とバニーだぞ」
「そっか。人質だった人も見てるもんね」
 と、パオリンが頷いた。
 興味はあっても自身がまだ恋愛ごとから遠いパオリンは、疑問に明確な答えが返ってきたことで納得したようだ。
 恋愛ごとが身近になりつつある年頃のカリーナは、それだけでは腑に落ちないと、はっきり顔に出ている。そんなカリーナに向けて虎徹は続ける。
「俺たちはヒーローだろ。オジサンはオジサンだからさ、ヒーローが人質だった子とメル友になるなんて、って思っちゃったわけよ」
 世の中にはいろんな出会いがあると知っているが、ヒーローは多く凶悪犯罪に関わる。
 犯人や犯人の身内、助けられなかった市民の家族に逆恨みされることも少なくない。ヒーローをやっている以上それは仕方のないことだし、ヒーローが正体を隠しているのはそういった恨みから自身や周囲の人たちを守るという意味合いもある。
 だからこそ、人質だった子と、というのはそのリスクを上げそうで、正体がバレ易くなるということも考えなくてはならない。
 何かあったときに傷付くのは、折紙と彼女なのだから。
「……そう言われると、そうかもしれない」
 そういったことを言い聞かせれば、カリーナも理解してくれたようだった。
 だが、それでネイサンとバーナビーは納得するはずもなかった。
「とかなんとか、尤もらしいこといって誤魔化してなぁい?」
「素直に吐いたほうがいいですよ、おじさん。それとも何かやましいことでも?」
「だあああっ!」
 大人ふたりの無駄にしつこい追及に、とうとう虎徹も限界がきた。
 もともと虎徹は直情型で熱しやすいタイプだ。大人の部分で御しているが、その手綱が甘いのは賠償金と始末書の数が物語っている。
「しつっこいんだよお前らっ! 大体、やましいことってなんだ。やましいことって! これっぽっちもやましくなんてねぇよっ! ちょっとした事情で一緒に暮らしてるだけだっつーの! 春希に言わせりゃ『保護者と被保護者』『家主と居候』でしかないんだよ! 下世話な詮索すんなっ」
 ギリギリ掴んでいた手綱をあっさり手放した虎徹が、吼えるように怒鳴った。
 静まり返ったトレーニングルームに、虎徹の荒い息の音だけが響く。
 怒鳴ってから、虎徹は自分が口走った内容に、今度は頭に上った血が一気に下がった気がした。
 せっかく誤魔化そうと、下手な理屈までこねくりまわしたというのに、結局虎徹自身で暴露してしまった。
 ぽかんと虎徹を凝視してくる子供たちの視線が痛い。
 バーナビーとネイサンの沈黙に、背中が冷たくなってくる。
 どうしようかと思考したのは一瞬だった。どうせ何を言っても墓穴を掘るなら何も言わなければいいのだ。沈黙は金なり。そして三十六計逃げるに如かず、である。
 あとでトレーニングをサボったことをバーナビーに言われるかもしれないが、それは今更というやつだ。
「あ! 今日提出の書類があったの忘れてたわっ! 俺、ちょっと会社に戻るからっそんじゃ!」
 分かり易く逃げるための口上を早口で喚きたてて、虎徹はトレーニングルームから逃げ出した。
 だから虎徹は知らない。
 自分が出て行ったあとにトレーニングにやってきたアントニオとキースを捲き込んで、ネイサンがちょっとした計画を立てたことを。
 数日後、虎徹はこの日の言動に頭を抱える羽目になるのだが、後悔先に立たず、である。


20111125 - 20111212 初出
20131001 加筆修正


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