腕を縛られたまま頬を伝うものをパーカーの袖口で拭って、春希は顔をしかめた。べったりと袖口を汚す血が思ったより多い。額などを切ると傷のわりに出血が多いものだが、それでも少し酷いと思えるレベルだ。血液というのは洗っても落ちにくいのに、数少ない服が一枚減ってしまうかもしれないと思うと、暗鬱とした気分になる。
 母子を庇ったのも、犯人に殴られたのも春希の意思だったが、洋服まで犠牲にするとは思わなかった。
(まぁ、いいですわ)
 被害者なのだから洋服の一枚くらい弁償してもらおう。ヒーローに請求するのでもいい。そのくらいは許されて然るべきだ。
 ちらりと庇った母子を振り返る。
 庇われたと気付いた母親が驚いた顔で見上げていた。春希の顔を汚す血を目にして、真っ青な顔で息を飲む。
「さあ。危ないですから少し下がっていてくださいな」
 なるべく優しく母子に声をかける。
 他の人質と一緒に外へ放りだしたいが、外がどうなっているかわからないため出来ない。警察は包囲しているけれど、だからこそ前触れなく転移させたせいで発泡などされたら堪らない。
「さて。人質くらいは守ってくださらないと、役立たずのレッテルを貼り付けますわよ」
 人質に紛れている『誰か』に向かって春希はニンマリと笑った。
 微かに動揺した空気が伝わってくる。とりあえずこれで他の人質は大丈夫だろう。
「なにわけわかんねえこと言ってやがるクソガキがっ。てめえも大人しくしてろ!」
「ぐっ」
 胸ぐらを掴み上げられて息が詰まる。
 天井を見上げて春希はここに居ない、保護者代わりの男を思い浮かべた。
「ごめんなさいおじさま。私出来るだけ待ちましたが殴られて怪我したうえ胸ぐら掴まれましたので正当防衛という名の実力行使にでます。が、私は悪くありませんので怒らないでくださいね。ということで」
 塵芥でも見るように見下して。
「大人しくなるのはそちらですわ」
 春希は腕を拘束していた縄だけ残して転移する。
 胸ぐらを掴み上げてきた男の頭上から顔面に着地して、蹴り飛ばす。突然の蹴りに男は対応する間もなく後頭部から床にダイブして悶えた。蹴りつけた反動で宙返りをしながら、春希はボールペンを楔代わりに打ち込む。犯人の服を床縫いとめ、完全に身動きできなくさせる。
「ひとり」
「なにしてやがるっ」
 人質が反撃に出るとは思わなかったのだろう。
 色めき立つ犯人たちが銃口を向けてくる。
 向けられた銃口には気を止めず、着地するとすぐさま犯人たちへ回り込むように走った。パーカーのポケットに片手を突っ込む。指先に触れたのは大量に貰ったヒーローカードだ。
 押し付けるように寄越してきた虎徹を思い出して、春希は胸中で感謝と謝罪を述べる。
 ポケットからカードを取り出し転送させた。
 一拍のち。
 犯人たちの持っていた銃が、銃身の半ばから切断され床に落ちる。これで飛び道具は使い物にならなくなる。銃が使えなければ、犯人たちを人質に近付けさせない限り、被害は及ばない。
「なっ?!」
「ネクストかっ!」
 犯人たちが口々に驚きを発する。
「違いますわ」
 犯人の一人へ肉薄する。走る勢いを殺さず目前でしゃがみこむように姿勢を落とす。姿が消えたようにみせるテクニックだが、その前に物質を転移させる能力を見ている犯人に、春希がまた移動したと思わせるには十分だった。
 最初の攻撃が上からだったからか、犯人たちが頭上を仰ぐ。
 左足を軸に右足を回転。遠心力を使って一番前にいた犯人の足首を刈り取る。バランスを崩した犯人を伸び上がり様に蹴りつけた。別の一人を巻き込んで転んだところを、二人まとめて床に張り付ける。
 これで簡単に外すことは出来ない。
「さて、残るはあなただけですわ」
「くそっ! なんなんだテメェはっ」
「私? 私は」
 スカートのベルト通しにぶら下げていた腕章を引っ張って、春希は描かれた盾の紋章を見せた。
「ジャッジメントです。痛い目を見たくなければ、これ以上の抵抗は止めて投降することですわ」
「ふざけやがって!」
 叫んで男は被っていた覆面を引き剥がして床に叩きつけた。
 あまり血色の良くない顔は、穏やかであればイケメンに分類されていいものだった。ただ、今は怒りと焦燥と諦念が入り雑じって、唇が微かに震えているせいで、残念な様相である。
「さあ、観念なさい」
 春希は摘まんでいた腕章をはなした。スカートのポケットから常に持ち歩いている結束バンドを取り出して、男へ歩み寄る。
 と、真横から感じた気配に春希は後ろへ跳躍んだ。
 直後。
 轟音がへしゃいだシャッターと砕けたガラスを纏って飛び込んでくる。犯人が轟音に巻き込まれて吹っ飛ぶ。床を転がった男は目を回して気絶した。
 春希は粉塵が舞う中、目を眇めて飛び込んできたものの正体を探る。次第に視界がクリアになっていく中で、白のカラーリングと発光する緑が浮かび上がる。
「ワイルド、タイガー?」
 正義の壊し屋と呼ばれるヒーローの派手な登場に、春希は呆けた声でその名を呟いた。





20110907


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