折紙サイクロンことイワン・カレリンは困惑していた。
目の前で展開されているのは完全に想定外の事態で、と逃避しかけた思考が先ほどのやりとりを思い出す。
そもそもは強盗立て籠り事件解決のために現場の状況を確認するよう指示が来たところからだ。
人質の安全が第一で、このままヒーローたちが突入しても人質を盾に取られてしまっては解決どころか悪化してしまう。そのため、能力的にイワンが目立たないものに擬態、潜入して内部の情報を得ることになった。見切れるための技術を駆使して、犯人にバレないように動くのは問題なくて。犯人や人質の人数、だいたいの居場所、武器、そのほか必要と思われるものを集めてアニエスに伝えたまではよかったのだ。
「タイガーさんに?」
[ええ。今もらった情報とほぼ同じ内容を彼に伝えた人間がいるって。どうやら人質の一人らしいんだけど]
どうやって、とか、いつのまに、とかそういう言葉が頭の中を過ぎる。
もしかしたらテレパスとかそういう能力のNEXTかもしれないけれど、ワイルドタイガーにピンポイントで伝えたというのはどういうことなのだろうか。
「その人質の人って」
[どうもワイルドタイガーの知り合いみたいなんだけど……ってちょっとタイガー! いま折紙サイクロンと話してるんだから少し黙って!]
画面の向こうでアニエスが明後日の方向に怒鳴った。モニターに映るワイルドタイガーを相手にしているらしい。
[そんな個人的なこと言ってる場合じゃないでしょ!]
「……あの、タイガーさんはなんて?」
[折紙! 人質の中に日本人の女の子がいただろ?!]
タイガーの音声が割り込んできて、え、なんで、と思う。どうやら面倒になったアニエスがタイガーとの回線を繋いだらしい。
[髪の長い日本人の女の子で、こう、なんとかですわ、とかそういう喋り方すんだけど]
言われて人質になっていた人たちを思い浮かべる。
確か、日系の少女がいた。日本人形みたいだと思ったので、印象に残っている。さすがに話すところは見ていないので喋り方まではわからないが。他に日系でタイガーの言う特徴に合う人はいなかった。
「えっと、いました、けど」
[そいつ春希ってんだけど、春希にあったら『必ず助けにいくから絶対に無茶すんな』って伝えてくんねぇか?!]
絶対に、という部分を強調するタイガーに「はぁ」と気のない返事をしてしまい[はぁ、じゃなくて!]と叫ばれてしまった。
[折紙サイクロン。タイガーの言ったことはもし出来たら、でいいわ。これから他のヒーローたちを突入させるけど、貴方はこのままそこで何かあったら人質の安全を最優先にして]
額に手を当てて言うアニエスに、イワンは「分かりました」と答えた。
それからこっそりと中に戻って、人質の一人として紛れたまでは問題なかった。
人質の中にいた赤ん坊が大泣きに泣き出すまでは。
母親が慌ててあやすものの、赤ん坊は泣き止まずぐずり続ける。
「あああうるせぇっ」
犯人の一人が赤ん坊の泣き声に苛立ちを募らせたのか、手近にあった椅子を蹴りつけて。
「そのガキをはやく黙らせろ!」
と怒鳴った。
焦る母親が泣きそうに顔を歪めて必死に泣き止まそうとあやす。それでも泣き止もうとしない赤ん坊に、焦れた犯人が母子に歩み寄りハンドガンを持ったままの腕を振り上げる。
まずい、とイワンが飛び出すよりも先に鈍い打撃音。
一瞬、時間が止まる。
ぱたた、と赤いものが床に落ちた。我に返った人質たちの悲鳴と犯人の怒声が上がる。
「テメエ、なんのつもりだっ」
「子供と女性に暴力を奮うものではありませんわ」
怒る犯人に答える声は、殴られたとは思えないほどしっかりきっぱりしていた。ただ異様に温度が低い、ブルーローズの氷を遥に下回る冷たい声色で。
「……なんで」
赤ん坊と母親を庇ったのは。
イワンが日本人形みたいだと思った女の子。タイガーが伝言を伝えたかった少女。あの壊し屋と呼ばれるヒーローが『絶対に無茶をしない』ようにと釘を刺したかった人物。
東雲春希、その人だった。
20110831