ふつふつと鍋が煮立つ音と漂う青草の匂いがリビングまで届いている。
 隣で「いー匂いだなぁ」と虎徹が焼酎のグラスを片手に暢気に笑う。バーナビーはワイングラスを手に、そうですね、ととりあえず同意を示す。とっておきのものがあるからと言うだけあって、出されたワインはなかなか良いものだ。ツマミにと出されたチーズも美味しい。ほかにも数種類のピクルスや干した魚を焼いたもの――ほっけの開きと言っていた――も出された。
 そのどれもが美味しかったが、いま鼻に届く匂いは美味しそうな感じがしない。なにせ草の匂いだ。あとはほんのりライスの匂い。
「できましたわ」
「おー」
 キッチンからの声に、虎徹がテーブルの上にスペースを作る。できたスペースに古い新聞紙を折り畳んだものを敷いて、準備できたぞ、と返す。
 よっ、と小さな掛け声がして春希がリビングへやってきた。小振りの土鍋を敷かれた新聞紙の上に置く。
 すぐさま虎徹が手をのばして蓋を取った。
 もわり。白い湯気が立ち上ぼり、現れたのは青草の混じったライスを煮たもの。それが『お粥』というのは知っている。以前、バーナビーが体調を崩して食欲がなかったときに、虎徹がわざわざ作りに来てくれたものだ。そのときはたっぷりのネギのほかに卵が落としてあり、それなりに色彩があったのだが。目の前にあるものは白と緑のみだ。
「……お粥、ですよね」
「七草粥ですわ」
 お椀に粥をよそいながら春希が答える。
「ナナクサ?」
 この緑の草がナナクサというものなのだろうか。聞いたこともない名前なので、もしかしたらオリエンタル特産の野菜なのかもしれない。
 どういう野菜ですか、と聞けば春希が困った顔で虎徹を見た。もともと英語が苦手だという春希は、うまい言い換えが浮かばずにいるのだろう。それを汲み取った虎徹が、バーナビーに解りやすく言い直してくれた。
「seven-herb rice porridge だったか」
 春希がよそったお椀を虎徹が受け取り、バーナビーの前に置く。
「つまり七種類の薬草を煮込んだ粥、ですか。薬膳料理?」
「似たようなもんかな。セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、スズシロって野草を入れて作るんだ。俺の故郷や日本じゃ、一月七日の朝に食べるんだよ」
 なるほど、教えられたことに頷く。
 だから余計なものが入っていないのか。
 挙げられた名前の殆どが知らないものだったが、ハーブで薬膳料理と言われれば納得できる。
「あれ、でも、七日ってとっくに過ぎてますよね」
 しかも今は夜だ。七草粥がオリエンタルの行事として食べられるのなら、今日このタイミングで食べるのはおかしい。特にクリスマスよりもニューイヤーがメインイベントだと、虎徹も言っていた。メインイベントに付随する行事ならば、正しく食べなくてはいけないのではないだろうか。
「仕方ないでしょう。日本食スーパーにも七草がなくて取り寄せしたんですもの」
 頬を膨らませて春希が言う。
「でも、まさか春希がバニーにも食べさせたいって言うのにはビックリしたなぁ」
 いただきます、と食事前の挨拶を口にした虎徹の言葉に、春希が「おじさまっ」と咎めるように言う。しかし、虎徹はなんでもないことのように笑って、続けた。
「もともと正月料理で疲れた胃を休めるために食ってたらしいんだけどさ。七草ってまあハーブなわけよ。つまり体にいい」
「ハーブですからね」
 ハーブとは、つまり薬草だ。摂りすぎも良くないが、適量を摂取すれば調子を整えてくれるものである。
 体に良さそうなのは理解できた。
「だからさ、七草粥を食べると一年、無病息災でいられるんだと」
「ムビョウソクサイ?」
 得意顔で語られたが、よく分からない単語が出てきた。首傾げてバーナビーがおうむ返しに単語を口にする。春希が悲鳴に似た声をあげた。
「おじさまっ! もうとりあえず食べちゃってくださいなっ」
 粥を掬ったレンゲを虎徹の口に突っ込んだ。
 粥が熱かったのだろう。ふがふがと虎徹がもがく。吐き出すわけにもいかず、しかし熱くて飲み込めないらしい。口に突っ込まれたレンゲはそのままで、隙間から少しずつ熱気を逃がしている。
 バーナビーはどう反応を返すべきか迷った。
 熱々の粥を口に突っ込まれた虎徹もだが、何故か春希まで頬を上気させている。
「春希さん?」
 名前を呼ぶ。
 春希が肩を震わせた。かちり。春希が持ったままだったレンゲが歯に当たる音がする。虎徹が微かに眉を寄せた。バーナビーはそれよりも、目の前で過剰な反応を見せた少女のほうに気が向いていた。
 何か気にさわるようなことがあっただろうか。
 確かにバーナビーと春希は、同じ空間にいると言い合いに発展する。虎徹に犬猿の仲だと言われ、意味を聞いたときには、そのとおりだと思ったものだ。けれども、特に夕食へ招待されたのに、そのホストにわざわざケンカを売るほどバーナビーは子供ではない。
 それに非難を向けられたのは虎徹のほうだ。
 とすれば、直前の会話が問題だったのだろう。そうは言ってもバーナビーは虎徹から聞いた単語を口にしただけである。
「虎徹さん」
「んー?」
「ムビョウソクサイってなんですか」
 改めて単語の意味を虎徹に訊ねる。
 春希が赤い顔をひきつらせた。
「……無病息災ってのは、アレだ、怪我も病気もなく元気に過ごす、みたいな」
 レンゲを口から離し、粥を飲み込んだ虎徹の説明に、バーナビーはきょとりとした。
 『食べさせたいものがある』といわれた。
 出てきた料理の中で『七草粥』だけがいつもと違った。
 それを食べると『一年、無病息災』でいられるという。
 そして、無病息災の意味。
 思わず春希を凝視した。
 春希が、ぎっ、と音が聞こえそうな勢いで睨み付けてくる。もっとも耳まで赤くして、心なしか目元も潤んでいるので、いつものようにムカつきはしなかった。
「なんで、僕にも食べさせようと思ったんです?」
 嫌味でも、からかうつもりでもなく問う。
「だって、あなたとおじさま、バディじゃないですか」
 むっすりと春希が言った。
「でも、貴女、僕のこと嫌いですよね」
「今はそうでもありませんわっ。タイガー&バーナビーは二人でひとつですもの。どちらかだけ、なんてダメですの。そんなのシュテルンビルト中が分かってますし、私だってタイガー&バーナビーのファンですのよ。だから無病息災をお願いするならおじさまだけじゃなくて、あなたの分もしますわよっ! あなたに何かあったらおじさま悲しみますしっ」
 だんだんと早口になる春希に、バーナビーの顔がにやけてくるのを止められなかった。
 普段のなら気にすることなくすることも、改めてやろうとしたら気恥ずかしかったのだろう。こういうところは虎徹に似ていると思う。その虎徹は、すでにニヤニヤと表情を崩して二人のやりとりを面白がっていた。
「ああっもう! いいからさっさと食べてくださいなっ!」
 大人ふたりの視線と表情に耐えきれず、また春希が叫ぶ。
 バーナビーは虎徹と目を合わせてひっそりと笑いあった。
 そして置かれたレンゲを手に取る。
「いただきます」
 少し冷めてしまった七草粥をレンゲで掬って、口に運ぶ。
「美味しいです、とても」
 素直な感想を述べれば、「当然ですわ」と春希が笑う。
 日付はとっくに過ぎているし、朝でもないけれど。
 振る舞われた粥は、とても優しい味がした。



20120116


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