「おじさま。洗い物しますので使い終わった食器がありましたら持ってきてくださいな」
「はいはーい」
 春希の声に軽く返事をして虎徹は空になった皿をまとめて流しに持って行く。シンクの前で長い髪を束ね、腕捲りをする春希を見下ろしていると、どうかなさいまして? と首を傾げられる。どうかなさったわけじゃあないんだけどな、と呟いて虎徹は洗い物を手伝うために布巾を出す。
「前から気になってたんだけど、なんでそんな喋り方なんだ?」
 年上に対する礼儀と言われればそうかもしれないが、ただの敬語や丁寧語というにはなんというか違和感みたいなものがある。周りにそういう人間があまり居ないせいかとも思ったが、バーナビーもですます調で喋っているし、バーナビーに違和感を感じたことはない。春希のはなんというか、普段あまり聞かない類いなのだ。こう昔のお嬢様のテンプレートな話し方というか。
「不快ですか?」
「いや、不快とかいうんじゃあなくて。あんま使ってるやつ見ないからさ」
 不快かと聞かれて、慌てて否定する。嫌なわけではないのだ。ただ少し珍しいなと思っただけで。そう言うと春希は、ああ、となにかを納得したのか頷いた。
「そうですわね。私も昔は違う喋り方をしていましたけれど」
 喋りながらもスポンジに洗剤を垂らして、もこもこと泡立てると汚れた食器を擦っていく。
「小さいころ不良に絡まれているところをジャッジメントの方が助けてくださいまして。あっというまに不良を取り押さえた姿は、私の心を魅了しましたわ」
 泡まみれの食器をシンクの中で積んでいきながら、春希は語る。そんな春希に虎徹は驚きを隠せなかった。内容に、というよりは昔の話をする春希に驚いた。
 虎徹に拾われる前の話を、春希はほとんど話したことはない。拾った時にどこから来たのか、なんで深夜に路地に転がっていたのかを聞いたくらいで。虎徹もそれ以降、特に尋ねたこともなかった。だから、こうして春希が自分のことを話すのは、もしかしたらはじめてかもしれない。
 虎徹は嬉しくなった。だってそうだろう。今まで自分のことを話さなかった春希が、こうして自分のことを話してくれる。それは話してもいい相手と虎徹を見てくれたからだ。ついつい娘に話の続きをねだるような弛んだ顔で先を促す。
「それから私は年齢も学区も違うのに彼女に会いに行くようになって、戦い方とか喋り方を真似するようになって、終いにはジャッジメントに入りましたの」
 最後の皿を泡まみれにして、春希は可笑しそうに笑った。
 その笑顔に虎徹は違和感を覚える。さきほど感じた嬉しさをイスカンダルの彼方へぶん投げるような違和感。
 いつも見ている、例えば好物を食べているときや、テレビ番組を見てウケているときのようなものではない。
 これは子供のころのアレコレを懐かしむ笑みだ。眩しくて、でももう戻れない過去に想いを馳せるような。くたびれた大人が若い輝きを羨むような。そんなどうしようもなく手が届かないものを想う笑みだった。
「いま思えば軽くストーカーでしたわね。もっとも、学区が違うせいでそれ以来あまり会いに行けなくなって。私が中学に上がるときには、彼女は高校卒業してましたので、それっきり」
 スポンジを濯いで、春希は食器の泡を流していく。
 続いている口調は明るいもので、表情と一致していない奇妙さを春希自身は気付いていない。もはや語りは独白だ。
「それでもずーっと真似していたので、もうこの喋り方がクセになってますの」
 流し終わった食器をカゴに置いていく。続ける春希はちらりとも虎徹を見ない。シンクの中に視線を向けて、意識は半分過去に向けている。
 直球勝負で腹の探り合いを得意としない虎徹には、相手の心理を読むなんて芸当など出来やしない。だけど、亀の甲より年の功。人生経験は相手の倍以上ある。空気を読めないだのなんだのと仲間たちに言われることがあっても、虎徹にだって全身で発している子供の感情を察するくらいはできる。
 寂しいのだ。これは。
 わけもわからず見知らぬ土地に放り出されて。虎徹とは良好な関係を築いているが他人に変わりなくて。春希に自覚があったのかはさておき、ホームシック気味だったのだろう。そこに気付いていなかった虎徹が、意図していないとはいえ故郷を思い出す話題をふってしまったのだ。
(そりゃあ遠くを見ちゃうよなぁ)
 虎徹は自分の後ろ頭を軽くかいて、それから春希の頭を思いっきりかき混ぜた。
「ちょ、いきなり何をなさいますの?!」
「んーなんか構ってやりたくなった」
「……私、そんな顔してました?」
 てのひらの下から見上げてくる春希に、まあな、と返して。頭から手を退けるかわりに春希の濡れた両手を布巾で拭くと、洗い終わった食器の上に布巾を放った。
「おじさま?」
「面倒だから自然乾燥。それよりも」
「!?」
 一瞬身を屈めて、ひょいっと小さな体を抱き上げる。バランスを崩しかけた春希が慌てて抱きついてくるのを喉の奥で笑う。笑われたことに気付いたのか態とらしい表情で睨んできたが、険を含んではいない。
 落ちないように移動して、春希を抱き上げたままソファに腰を下ろす。虎徹の太股を跨ぐように座るはめになった春希が退こうとするのを、背中とも腰ともいえそうな場所を抱えて逃げられないようにした。
「……おじさま。この態勢はないですわ」
 さっきまでの寂しげな空気を散らした春希がジト目で見下ろしてくる。
「だぁって構いたくなっちまったんだもん」
「もん、っていい大人がどうかと思うのですけど」
「いいの! それよりさ、おじさんは春希の話をもっと聞きたいんだけど」
「……この態勢で、ですの?」
「親子コミュニケーションみたいでいいだろ」
「思春期の娘にする態勢じゃありませんわよ」
「えー。イヤ?」
「嫌…じゃありません、けど」
 なら良かったとぐしゃぐしゃになった髪を解いて手櫛で撫でていく。何度か撫でていると、ゆっくり息を吐き出し、虎徹の肩に額を押しつけ抱きついてきた。
「娘さんにはやらないほうがいいですわよ。絶対にウザがられますから」
「うぐ。楓ってばもう一緒に風呂入ってくれなくなったしなぁ」
「もう少ししたら洗濯物も別けられますわね」
「やめてやめて。地味にダメージくるっ」
「お父さんの入った後のお風呂なんか入れない! とか言われて沸かし直されるんですのよ」
「そんなんされたら立ち直れないっ!」
 しくしくと口に出して泣いたふりをする虎徹の肩で春希が楽しそうに笑う。
 ありきたりな親子のやりとりは、虎徹の足に感覚がなくなるまで同じ態勢のまま続いた。





20111001


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