「ッだ!」
 通信機から聞こえてきた不穏なセリフは春希が発したものだった。謝罪に続いた予告の言葉に、虎徹はたまらず建物に向かって走り出す。
「ちょっと待ってください!」
 が、すぐさまバーナビーに肩を掴まれて、引き止められた。
「んだよ!」
「一人で勝手に動かないでください」
「この状況でンな事言ってられないだろっ」
 フェイスガード越しにバーナビーを睨み付ける。
 折紙が内部状況を報告するためにと、繋いだままにしている通信から聞こえてくる内部の様子は不穏どころか不安になるレベルで。
 これまでに聞こえていた、赤ん坊の泣き声だの、男の怒声だの、上がった悲鳴だので何が起こったのか容易に想像できた。そこにきて春希のあのセリフなのだ。早く行かなくては、と気ばかり焦せる。他のヒーローたちやアニエスのキューサインを待っている余裕など虎徹にはなかった。
 春希が能力を持っていようと、いくら荒事に慣れていようと、相手は複数犯で武器も持っているのだ。もし生身で銃弾を受けたりしたら、と悪い想像ばかりが先行してしまう。
「おじさんっ!」
 バーナビーの手を振り払い、虎徹は再び建物へ向かって駆け出した。ハンドレッドパワーを発動させる。バーナビーやアニエスの制止もそっちのけで、虎徹はシャッターに閉ざされた入口へ拳を叩き付けた。
 激しい音をたててシャッターをへしゃげさせ、ガラスを破って建物内部へと飛び込む。
 もうもうと埃や勢い余って壊した壁の粉塵が舞い上がるなか、センサーを駆使して周囲を見回す。
「ワイルド、タイガー?」
 徐々に薄れる粉塵の向こう側で、自分のヒーロー名を呟く呆けた声が聞こえた。
 反射で振り返れば、目を丸くしてこちらを見つめてくる春希が見えてほっとした。しかしそれもすぐに違うものに変わる。
 虎徹は無言で春希に近付くと春希の顎を掴んでぐいっと上を向かせた。ついでに自身のフェイスガードも上げれば、見えたのは黄色人種の、それでも女の子らしい白い肌。その顔を汚す錆びた赤色。
「な、ちょ」
 現れたヒーローにいきなり顔を上げさせられれば、驚きもするだろう。だが、いまはそれよりも先にすることがある。手を掴み返して逃げようとする春希を押さえ、虎徹は額に張り付いた前髪をかきあげた。
「っ!」
 とたん春希が顔をしかめる。かりり、と春希の爪が虎徹の腕を引っ掻いた。そんなことなどお構い無しにじっととそこを確認する。
 そう深い傷ではない。血は止まりかけているが、傷の周りに打撲傷があり痛々しく変色している。
「おまえ…あれだけ無茶しないようにって言っただろ!」
「無茶はしてません。ちょっとキレた犯人に殴られただけ…っイタ、おじさまっ痛いですわっ」
 変色した部分に軽く触ると顔を掴まれてまま春希が悶える。こんな怪我をしておいて、どこが無茶をしていないのだ。どうしたって眉間に皴が寄る。
「タイガーさん、彼女は悪くないでござる」
「折紙?」
 ひっそりと人質を解放し終わった折紙が、虎徹と春希の間に割って入ってきた。
「春希さんは殴られそうになった母子を庇ったんです!」
「……折紙」
 低い声で折紙サイクロンの名前を呼ぶ。ぎろりと睨み付ければ、折紙が小さく身震いした。
「は、い」
「それ知ってるってことはその場にいたってことだよな」
「う…それは…」
「何でお前がいんのに怪我させてんだ! お前ヒーローだろっ」
「……すみません」
 折紙が肩を落として謝罪する。
「おじさま、これは私の読みが甘かっただけで、折紙サイクロンに非はありません。彼はちゃんと他の人質を守ってくれました」
 いつの間にか虎徹の手から逃げ出した春希が、折紙を庇うように口を出してきた。
「けどなァ! おまえだって人質だっただろっ」
「殴られに行ったのは私です。まあ…打撲で済むと思ってたんですけど、」
「打撲で済むって…当たり所悪きゃあ大変なことになってたんだぞ!」
「打撲以外にちょっと切れて血が出たくらいで済みましたし」
 重なる言い訳に虎徹は更に声を荒くする。
「こんだけ血ィ出ててちょっとじゃないだろ! 春希は女の子なんだぞ、痕が残ったらどうすんだっ」
 せっかく可愛い顔してるというのに。そうでなくとも、娘みたいに思っている相手が額にべったり痣と擦過傷を作っていれば心配もするし、怒りもする。
 けれど怒りの大半は自分に向けたものだった。もっと早く動いていれば、春希が怪我を負うこともなかったはずだ。複数半相手に戦うこともなかっただろう。春希はギリギリまで待っていたのだ。ヒーローが助けに来るのを。
 そう思うと申し訳なさでいっぱいになる。
「遅くなって悪かった」
「……私も、無茶しました。心配かけてすみません」
 胸に渦巻く憤りを息と一緒に吐き出して虎徹は春希に謝った。春希もしょんぼりと眉尻を下げて謝ってくる。もういいよ、と傷に触らないよう頭を撫でてやった。
「おじさん」
 それまで空気を読んでか、空気になっていたのか、口を挟んでこなかったバーナビーが虎徹を呼ぶ。何故か硬い声に振り返れば、フェイスガードを上げたバーナビーが、全身で呆れた様子を表現していた。
「感動シーンを作るのは構いませんが、そろそろ彼女の手当てをしたほうがいいんじゃないですか?」
「ああ、そうだな」
「あら。このくらい舐めておけば治りますわ。それよりも犯人たちの確保をしてくださいな」
 春希が撃退した犯人たちを指差す。
「春希の手当てが先だって」
「それじゃあ犯人たちは僕が引き渡しておきますよ」
 と申し出てきたバーナビーに、そうだな、と頷く。長時間待機でポイントがゼロなのはバーナビー的にも面白くないだろう。虎徹が飛び出したせいともなれば、今後一週間は厭味の嵐になりそうな気もした。ただでさえ良好とはいえない関係なので、余計なタネは撒かない方がいいとも思った。
「じゃあ、犯人たちはバニーに任せ」
「却下ですわ」
 と春希が言葉を遮った。
「何もしてない貴方に渡すくらいなら、折紙サイクロンに頼みます」
 途端にバーナビーの仕事用スマイルがひきつる。
 いやまあ確かに何もしてないけどな、とは言えず虎徹は先ほどまでとは違ったハラハラ感に冷や汗が流れてくる。視線だけで折紙に助けを求めようとしたが、折紙は折紙で叱られたことでネガティブモードに入ってしまったらしく床に蹲っていた。
「でしたらタイガーさんに犯人を確保して貰う。そして僕が貴女を救急隊まで連れていく、というのはいかがです?」
 まだ若干ひきつっているもののなんとか笑顔を張り付けているバーナビーの申し出を、春希は連れ添いがいるほど重症ではないからと断る。
「それに、貴方みたいな笑顔をする人間は吐き気がするくらい好きじゃありませんので」
 ゴキブリでも見るような嫌悪たっぷりの顔で春希はバーナビーをバッサリ切り捨てた。それから折紙に「庇ってくださってありがとうございました」と頭を下げ、虎徹に向き直る。
「先ほどはああ言いましたが、犯人たちのポイントはおじさまの好きにしてくださいませ。私は手当てを受けに行きますから」
 いつもの見慣れた柔らかい笑顔でそう言って、春希はバーナビーの横を通り抜け、虎徹が開けた穴から外へと出ていく。
 後に残されたのは、床に転がる犯人たちと。カメラに撮せない顔をしてぶるぶる拳を震わせるバーナビー。少しだけネガティブモードから浮上したらしいが蹲ったままの折紙サイクロンで。
 虎徹は微妙すぎる空気と突っついたら爆発しそうな相棒を、どうやって平穏にするかで頭を悩ます羽目になった。







20110913


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