烏の詩


 アリスの歌う詩はいつも生と死と愛と憎しみが溢れている。
 彼女の歌声は好きだったが彼女の詩の大半をレイヴンは苦手だった。なんとなく過去のあれこれや現在のどうしようもない状況を嫌でも考えてしまうからだが、そのことについてレイヴンはアリスにひとことも話したことはない。言ったところで彼女に歌をやめさせることなどできないし、そもそも誰かに話せる内容でもなかった。だったら彼女の詩を聞かなければいいのだが、ギルドの仕事としてアリスの護衛を受けている身で彼女の傍を離れることはできない。
 それに詩は苦手だったがアリスの歌声をレイヴンは好きなのだ。
 あの甘く惑わす愛を歌う声も、死に誘う昏い蜜のような声も、レイヴンを捕らえて離さない。
「もっと明るい歌はうたわないの?」
 ステージが終わった後、彼女の部屋でレイヴンは喉を潤すための茶を淹れながらアリスにたずねてみた。
「これ以上なく詩っているわ」
 アリスはレイヴンの淹れた茶を受け取ってその味に満足そうに笑って言った。
 あの生死と愛憎にまみれた人が死ぬ内容のどこが明るい歌なのかレイヴンにはさっぱりわからなかった。誰かにとられるくらいなら愛する人を殺してしまう、くらいはそういう読み物だってあるくらいだし需要はあるのだろうが。あいにくレイヴンにはそういったものを好む趣味はない。愛する人は守りたい。たとえその人が自分を選ぶことがなかったとしても、守りたかった。だから殺したいくらい愛しているという人種がいるのは知っているが、到底理解できるものでもない。
 とはいえ、娯楽のものならそれなりにアリだ。
 だが奴隷だの娼婦だの戦争だのと昏い単語が出てくるのは娯楽としてもどうなのだろう。なんせ酷い戦争があったのはまだ十年も経っていない最近のことだ。働き手を喪った家の若い娘が身を売ることも珍しくない。戦場は物語のように格好いいものでもない。悲鳴と怒号、爆音、魔物の咆哮、酷い血臭があたりを包んでいいようのない絶望や死が蔓延する。傷付いて這いつくばって最後に感じたのは冷たい死の、
「レイヴン」
 呼ばれてはっと顔を上げた。いつの間にか思考に捕らわれ俯いていたらしい。
 白くて柔らかいてのひらがレイヴンの頬をそろりと撫でた。
「私はね、ほかの歌も歌うけれど放浪者でいる間はあの方の詩しか歌いたくないの」
「あの方、って?」
「私が尊び敬い愛している我が故郷を統べる王」
 それは皇帝とは違うの?とは聞けなかった。聞かなくても違うことはすぐにわかったから。
 アリスにはアリスの事情があって、それはきっとレイヴンには想像もつかないことなのだろう。その事情が各地を放浪して詩うことと関係していたとしても、レイヴンには首を突っ込む理由も権利もない。請け負った仕事を全うするのがギルドの責だ。
 だけどもレイヴンとアリスは短い付き合いでもない。少しくらいならば踏み込んでもいいような気がした。
「アリスのいうあの方ってのは、そんなに人を死なせる王なわけ?」
「まさか。あの方は民のために戦うための剣ではなく、平和のための音楽を選んだ。世界と民を愛する王よ」
「そんな王様がなんで人がいっぱい死ぬ歌つくんのよ」
「世界を人間を愛しているから」
 だって人間は必ず死ぬし、人間の世界はおよそ愛と憎しみで成り立っているし、生きるということは即ち死に向かって歩いているということだもの。愛を騙るということは憎しみを語ることでもあって生を描くと死に逝き着くのよ。
 愛するものの笑みを浮かべ彼女の君主が創った詩を語ったアリスは、でもね、と続ける。
 人は誰でもその人だけの詩を唇に灯しているものよ、と。
「俺様も?」
 もちろん。とアリスがうなずいて、レイヴンは彼女のいう詩がただの楽曲ではないことになんとなく行き着いた。確証もないがいままでアリスが歌ってきたものといま語られた話から想像するに、誰もが灯している詩というのは、人生、なのだろう。
 生まれて死ぬまで。
 もっといってしまえば、生まれてくる前から死んだ後まで。自分のものと自分に関わったもの。繋がっていつまでも続く、人間の生きていくみち。それはいつか歴史と呼ばれるものになるのだろう。
 なら死んだ身の自分の詩も、どこかで誰かに続いているのかもしれない。かつて死んだ己が白鳥になり烏になりながらも、いまこうしているように。
 そう考えれば、ある意味明るい詩だ。
「いつか、歌ってくれる?」
「ええ」
 主語のないレイヴンの問いに、アリスはやはり笑顔でうなずいてくれた。正しく伝わったかはわからない。けれどアリスなら正しく汲み取ってくれていると妙な確信がある。だからレイヴンもアリスへ笑顔を返して、空になった歌姫のカップへと新しい茶を淹れるために簡易キッチンへ向かった。
 アリスの歌う詩はいつも生と死と愛と憎しみが溢れていて。彼女の歌声は好きだったが彼女の詩の大半をレイヴンは苦手だった。過ぎ去ってしまった大切なものや、どうしようもなく流されている現状を嫌でも考えてしまうからだ。
 けれど、自分が好きな歌声がいつか烏の詩も口ずさむのなら。それはなんだか素晴らしく愛しいもののように思えた。






2010.11.29

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