10.     

 話をしよう、話をしよう。行動しようとしているときにばかり、降谷との予定は合わなかった。時間がすぎる度に、もどかしさだとか、関係を壊すという選択肢に対しての不安だとか、そういうものが募っていく。
 からだに気だるさがあったのでさっさと定時で仕事を終わらせた。夏なのに悪寒がしたので風邪かもしれない。帰りに薬とドリンク剤を買おうと携帯電話にメモをしていた。
「すみません。諏訪せいなさん、ですね」
 会社のビルを出て直ぐに、背の高いスーツ姿の男に声をかけられた。視線の鋭さに度肝が冷える。声を出せずにいると、彼は静かに「降谷さんのことで」と呟いてから、周りに気づかれないように警察手帳を見せてくれた。そこには風見、と書かれてあった。
 どうやら連れていきたい場所があるらしかったが、いくら手帳を見せられたといっても警戒しながらついていく。特にしゃべることもないまま、車の後部座席に乗せられる。彼なりの、いつ逃げてもいいようにといった配慮なのかもしれない。オフィス街を抜け、ほんの少し前に建てられたであろう街並みに変わっていく。そこをまた少し抜けると、車はやっと駐車場についた。そこから見えるのは、綺麗な、茶色がかった大きな建物だった。
 風見さんがドアを開けてくれたので、エスコートでもされているような気分で彼の一歩後ろを歩く。関係者入口と書かれた扉の守衛に、風見さんは警察手帳を見せて奥にはいった。あたしは軽く会釈だけしてまたついていく。建物のなかは、どこか見たことがある無機質な白色で統一されていた。なんだか薄暗さを感じるこの空間は、すきじゃない。
 あるていど進んでから、ここがどういった場所なのかがわかった。というのも、あたしが今いる場所から離れたところで白衣を着た男性が通ったからだ。把握してからというもの、心臓が小さくなるような感覚に陥り、それと同時に頭から順番に血の気が引いていくのがわかる。急に手が冷たくなり、からだが強張って肩が痛い。そして徐々に、あたしの足取りは重くなっていく。
「あ、の」
 声がうまくでない。
「警視監から、頼まれたもので」
 風見さんはゆっくりと歩を止めた。あたしも止まった。彼の顔を見上げ、頼まれた事情を汲み取ろうとする。警視監とは、先日降谷と一緒にお会いした人間だろう。彼が歩を止めてこちらを見た。その後ろの扉横には、白い小さな板に降谷零と書かれてある。
 降谷は、いったいどうなったのであろう。
 ちょっと怪我をした?
 事故にでもあった?
 仕事で失敗した?
 病気になった?
 これはただのお見舞い?
 大けが?
 それとも。
「降谷は、降谷は、どう、なったんですか」
 答えは、聞かなければわからない。現実に目を向けたくはないけれど、おそらくここでワンクッション置かなければ、余計にあたしは混乱する。
「出血多量で、」
 次のことばが出るまでの間に、自分の今までの行動を恨んだ。後悔するのであれば、あんな生活をして彼を閉じ込めてなどおかなければよかった。自分勝手だけれど、彼に気持ちを伝えておけばよかった。どうして簡素で、単純なことばを口にできなかったのだろう。昔に何度も何度も声に出していたというのに、拒否されるのが怖いからと、なぜいまは逃げてばかりいたのだろうか。
 風見さんの横をすり抜けて、あたしは病室にはいった。彼はなにも言わずに通してくれた。自分の足音以外はなにも聞こえなかったので、きっと廊下で待機してくれているのだろう。
 白いベッドには、彼の濃い肌が乗っていた。むき出しになった腕には点滴がされており、表情は無に等しい。
 かけよって、彼の左手をとった。長い睫毛は揺れることなく、ただ胸が上下に動いているだけだった。
「……降谷?」
 小さな声で問いかけてみたが、返答はない。ぐっすりと眠っているだけなのか、はたまた。
 考えるだけでもいやだった。けれど目の前の状態はあまりにも酷で、一見は百聞に如かずとはまさにこのことだと思い知らされる。
 大きな声で呼べばあなたは目が覚めるの? それとも、もうその目を見ることは叶わないの?
「降谷、降谷」
 徐々に自分の声が大きくなる。でもこれ以上声を大にして、彼が目覚めなかったとしたらと考えると、中々それ以上の行動に移せない。
「ねえ、降谷」
 あたしは触れていた手を包んだ。その温もりに安堵し、感じ取ったと同時に涙がこぼれる。もっと温度を確認するように、涙で彼の手が濡れてしまうことなどお構いなしに手の甲を自分の頬にすりよせる。それでも彼の目は開かない。
「お願い、降谷」
 あたしの幸せ、全部、全部、あげるから、
「生きて、ねえ」
 彼の手に、自分の指をからませる。強く握っても、力はなにも返ってこない。
「それで、あたしの十年返して、返してよ」
 どうか、幸せになってほしいの。
「返せよ、ばか……!」
 あなたさえこの世に存在していれば、十年なんてちっさいものなの。
 だからお願い、
「目を、覚まして……」
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