1.And you've got to
赤井秀一の恋人、宮野明美が亡くなり、あのポーカーフェイスの彼が少し傷ついた顔をしたものだから、なんとか元気にしようと頑張った結果、もらえた笑み。それがどうにも忘れられなくて、もっと見たくて。願えば願うほど、彼を欲しているのだと気づいた。わたしが彼のそばにいたい、と思うようになっていた。
ときがすぎれば少しはわたしに気持ちが向いてくれるかもしれない。
そんな汚い思いをよせたばかりに、天罰がくだったのかもしれない。彼に多大な被害を受けさせて。
彼に降りかかった被害について聞いたわたしはFBI捜査官を辞め、日本に戻ることに決めた。せめて彼の亡くなった土地で、どうにか償いができないものかと考えたのだ。けれどその方法は見つからず、毎日探偵業で生計をたてる毎日。
彼をすきだったところは、きっといくらでもあげることができる。それでも彼がいなくなった事実は変わらないし、変えられない。彼は、逝ってしまったのだ。
ため息をついて本日の依頼内容を車内で確認する。
阿笠博士について調べてほしい、か。
誘拐や恐喝の類いに発展しそうなら面倒だが、依頼主を確認してそれはないと確認する。フサエブランドのオーナーからだからだ。別に金が目当てというわけではないだろう。既婚者かどうか、などということだし、まあそのぐらいならかわいいものだ。
小学生までの追い立ちはすでにメールでもらっていたので、それ以降についてから調べるとするか。
まずはその阿笠博士という人間の住所を。そして過去についてを。それからいまの実生活を。
小学生の女の子と暮らしている、と。
阿笠博士がたまにくるというレストランで昼を済ませ、報告書を作成していた。コーヒーを飲んで一服していると、偶然にもちょうど視界にはいる場所に阿笠さんがやってきた。まあ、これもなにかの導きなのだろう。
あたしは彼の様子を見張るために、手書きの報告書を鍵つきのケースに閉まった。
「お待たせしました。呼んでいただいたのに遅れてしまい、すみません」
聞いたことのない声に顔をあげる。
「いいんじゃよ、急じゃったしなあ」
阿笠さんの視線のさきには茶髪で背の高い男が立っていた。席に着いて、早速渡されたメニューを開いている。
新しい人物がでてきたな。必要かどうかはまた確認するとして、一旦の連絡には書かなくてもかまわないか。
とりあえずはスルーの方向で考え、しばらくしてから、それでも阿笠さんよりも前に店を出た。
家からほど近いバーでライ・ウイスキーを興味本位で飲んでみると、スパイシーな香りが口に広がった。あまり酒は好きではないのだが、たまにはこうして飲みにくるのも悪くない。ただ、わたしにはまだはやい酒のようだ。舌が追いついていない気がした。
次にいつも頼むキューバ・レバーをバーテンダーにお願いし、それが出されるのを待つ。平日なのをいいことに、大きなソファーに座ってぼんやりとしていた。九時をすぎたあたりで少し客が多くなってきたが、立ち飲みせざるを得なくなるほどではなかった。
やってきたキューバ・レバーを口に含み、これこれ、と喉を潤した。ゆっくりと飲めば、なんだか酔った気がした。そんなことはないのに。わたしの舌はまだまだお子さまだ。
「ここ、座っても構いませんか」
顔をあげてその客を確認する。
「どうぞ」
茶髪に細い目、高い身長。
どこかで見た顔だな。記憶をなんとか探り、必死で思い出そうとする。
「もしかして、きょうコロンボ、という店にいませんでしたか?」
それを聞いたのはわたしではなかった。目の前の彼だった。
「あ、はい。いました」
「実はぼくもいたんですよ」
「え、ああ、そうなんですね」
「ええ」
よくわたしがいたことなんて覚えていたな、と思っていると、彼は「知り合いに似ていたもので」と言ってきた。顔に出ていたのだろうか。
「そうですか」
とくに彼に対して興味はでなかったので、携帯電話をいじる。次回の報告書のメモだ。……まてよ、確かこの男、阿笠さんと一緒にいた人間か。
わたしは携帯電話をしまい、彼を眺めた。
バーテンダーがやってきて男に注文を聞いていた。彼はバーボンを頼む。
「よく、くるんですか」
阿笠さんと接触している人物、としか見ていないが念のために聞いておく。
「いえ、たまにです。あなたは?」
「わたしもたまにだけ」
「ではできすぎた運命ですね」
見た目のわりに臭いことを言う人間だ。わたしは彼を眺める。
「なにか?」
「いえ、そんなこと言うひとにはパッと見、思えなかったもので」
「そうですか。たしかに自分でも思います」
思うのかよ。ツッコミはいれずに、目の前の酒を飲む。
「沖矢昴といいます」
「海野翔子です」
彼は薄く笑ってから、「……良い名前ですね」と告げた。
その笑い方が、彼に重なった。タイミングなんかも、ワンテンポ遅れる感じとかが。笑ってからことばにするタイミング、とか。
「わたしも、あなたが忘れられなくなりそうです」
本音を伝えたところでどうなると言うのだ。このひとは決して赤井ではないし、赤井はこの世にいない。ただの一般人を赤井と重ねるなど、ばかなことをするものではない。
「それは、なぜですか?」
「なんとなく、どこか知り合いに似ていたもので」
薄く笑ってみると、「ぼくと似たような理由ですね」と彼も薄く笑う。
ここのバーは決して誰かをお持ち帰りするような場所ではない。ただぼんやり、静かにすることを目的にしたような場所だから、わたしたちだってこれ以上なにかが進展しそうだとかそういったことは感じられなかった。
ただ。
「きょう、時間あります?」
彼は少し黙り、そのすぐあとにバーテンダーがバーボンを持ってきた。それを受け取ってバーテンダーが去ってから「ありますよ」と応えてくれる。
「じゃあ、乾杯」
「ええ、乾杯」
グラスはぶつからずに、お互いに視線をまじえて少しかかげただけ。酒を口にいれ、ゆっくりと味わう。
笑んでくれたことが、例え他人だから与えてくれたものであるとは言え嬉しかった。
赤井を彼と重ねてしまうのは、気持ちが整理されていないからだ。少し申し訳なくて眉を下げると、「哀しそうな顔をされて、どうしました?」などと心配してくれる。
「なんでもないですよ。そんなに哀しそうでした?」
「ええ、とても」