少女よ、走れ。

 あなたは、なんて残酷な人なんだろう。何事もなかったかのように、私に話しかけないで、お願いだから。

 数日前に罪を犯し、その罪悪感で私の心はいっぱいだった。誰にも言えない秘密を私は持っていて、それはあなたも一緒だろうに、まるで何もなかったかのように近づいてくる。私が一歩下がるとあなたは一歩近寄り、私が五歩下がってもあなたは五歩近寄ってくる。しかし、走って逃げる私をあなたが追いかけてくることなんてなくて、それにどこかホッとしたのかどんなときでも走って逃げるようになった。できるだけ話しかけられないように、目を合わせないように、何かを伝えてしまわないように、あなたに背を向けて目の前の道をただひたすらに走っていった。

 そんな日々が続いて、足りなくなった何かを埋めるでもなく、ブラブラと真夜中の街を歩き回った。それは朝の四時まで続き、ほんの少し空が明るくなってきた。

 いったい、私はなんのために歩き続けたのだろう。どんな思いで外に出たのだろう。

 結局、答えなんて見つからなかった。むしろ歩きながら何かを考えるなんて芸当、私にはできなかった。

 歩くのを止めてコンビニに入る。温かい缶コーヒー、ではなくカフェオレと吸ったこともないライター付きの煙草を買った。友達の真似をして封を開けると、二〇本の煙草が箱に敷き詰められていて、手前真ん中の一本を取り出して口にくわえ、火をつける。口のなかを味わったこともない味が侵し、むせてしまいそうになった。それをグッと堪えて煙を外に吐き捨てる。それをコンビニ前の喫煙所で繰り返していると、こんな朝早くに一人の男がやってきた。

「飯野やん」

 あぁ。なんでこんなところで会うかな。

 溜め息が出るよりも早く、口は言葉を発した。

「なに?」

「いや、いたから」

「そっか」

 素っ気ない返事に苛立ったのか、あなたはコンビニのなかにそれ以上は何も言わずに入っていった。あなたを目で追うこともなく、煙草の火を消した。意外と吸えた煙草の箱をズボンのポケットにライターも一緒にいれた。なんだか少しだけ大人に近づいた気がする。

 ちょうど煙草の火を消したところであなたはコンビニから出てきた。私は目の前で止まったあなたを無視して歩を進めたけれど、それは叶わなかった。あなたが私の腕を掴んでひき止めたのである。

「ちょっと、きてや」

「嫌だ」

「いいから」

「嫌だってば」

 口では反抗しても腕を引かれると振り払うことができなくてついていく羽目になった。少し歩いてついたのは、あなたの部屋だった。久しぶりに来たこの部屋の中は、何も変わっちゃいなかった。小さなアパートの一室の玄関に、私たちは二人っきりで立ち尽くした。

 何も言わずにうつむいていると、あなたは強引に顎を両手で持ち上げてキスをした。荒々しいキスに戸惑い、後ろの扉にもたれかかる。静かに揺れた扉にあなたが手をついたことで余計に揺れた。そしてゆっくりと唇が離れた。

「なんで無視すんねん」

 あまりに部屋が暗くてあなたの顔は見えなかった。それでも息がかかるほどにあなたの顔が近くにあるのはわかって、私はうつむくことはおろか、息さえも思う存分にできなかった。死にそうな虫みたいに細い息をなんとか続ける。

 あなたは自分のせいで私が黙ってしまっていることに気がつき、舌打ちをして体を一歩退けた。瞬間、私はずるずると扉に体重を任せながら腰を抜かせ、乱雑に置かれているらしい靴どもの上に座り込んでしまった。

 あなたは慣れた手つきで電気をつけて私の手を乱暴に引いた。それから靴を履いたままの私を抱き上げて、部屋の奥に連れていった。ベッドに座らせられ、あなたの手が私の足に触れて、靴を脱がせた。玄関に靴を持っていき、戻ってきたかと思うと私の目の前であなたは床に膝をついて正座の形をとった。見上げてきたその瞳が、部屋の電気に照らされてキラキラと輝いている。あまりに綺麗で見とれてしまうほど、澄んでいた。

「まだあかんの」

「一年のブランクは大きいの」

「俺はそんなていどなんか?」

「私にはわからない」

 あなたと犯した罪を、私ははたして一生をもって償わなければならないのだろうか。そんな重い問題を考えるのは私たちには早すぎて、結局、お互いに答えを見つけることができなかったものだから、一歩ずつ私は身をひいたのだ。それなのにあなたは何もわかってくれない。どうかこんなわがままを言う私を許してほしいと思う半面、このわからずやとも半面では思っていた。

「このまま、こうして一生一緒に生きていけたらええのに」

 あなたはそんなことを言える立場でないのはおわかりなの? 頭のなかに疑問が浮かび、憎しみがこみ上げる。あなたは、私が避けてきた真実を理解などしていなかったのよね、きっと。

 私は、目を閉じて腰に抱きついてきたあなたを眺めながらここ一ヶ月の記憶を思い出した。

 私には一年ほど付き合っている存在がいる。おそらく、今まで付き合ってきた数人の男のなかで一番大事にしていると自覚してしまうほどに愛している彼氏だ。手放したくないと思う気持ちでいっぱいだった私の心情は、いつの間にか恋がしたいと思い始めていた。数ヶ月で彼氏との恋にあきてしまったのである。いや、恋をしなくなったと言ったほうが的確なのかもしれない。女が男に甘えるのは当たり前で、甘い言葉をかけてくれるのを期待するのも当たり前で、恋が愛に変わっていくにつれて雑に扱われるのを嫌がるのも当たり前なのである。つまり、一年という短い期間で彼氏は私を雑に扱うようになったのである。

 フラフラと、今日みたいに夜間を歩き回っていたある日、あなたと会った。

 前々からあなたが私に気があったのは感づいていたけれど、決してあなたは私に手を出すことなどなかった。まず、そうなるまでにいたらなかったのである。

 今日みたいにコンビニの前でたたずんでいると、あなたがやってきて私に話しかけてきた。今からほんの一ヶ月前の話だ。あなたは「何してんの」と口を開き、優しく見つめてきたのである。寒い夜の風にさらし続けた手をそっと包んだ。あなたは自分のポケットに、私の左手と一緒に突っ込んだ。

「家、近いの?」

「うん、こっからすぐやで」

「あなたの家に、いきたい」

 あなたは余計に顔を赤らめた。

「本間に言ってんの?」

 あなたの質問に小さく頷いた。そして、近い距離をさらに一歩縮めてあなたの胸に自分の頭を預けた。あなたはそのまま固まっていた。それから私は顔を密着させたまま見上げ、身長差二五センチの差を背伸びをして縮める。一瞬、あせった素振りを見せたあなたは照れながらも私の行動に応え、触れるだけのキスをした。まるでスロー再生をしているかのようにゆっくりとお互いの唇が離れ、私たちの体も離れていったかと思えば強く私の手をポケットにいれたまま引っ張った。

「知らんで」

 私は前を向くあなたの後ろで小さく頷いたが、あなたは私の答えをすでに知っていた。なぜなら、私はあなたの手から逃れようと一度もしなかったからだ。

 あなたの部屋に着き「どうぞ」と中に通された。いつの間にか手は離れてしまっていた。言われた通り入って勝手にベッドに腰をかけると隣にあなたも腰をかけ、手ぶらになったそれを大きな手で包み込んできた。

 ああ、これって愛人ごっこみたいだ。

 恋に不満を感じていた私はすぐにあなたの手をとって握った。正面を向き合い、そして唇を今度はあなたから触れさせた。長くて甘い、キスだった。とろりと垂れた私の目はあなたを男として認めていたのだと思う。一度体を離したかと思ったが、私の顔を見るとまた唇を押し付けた。唇の間を縫ってはいってきたあなたの舌は驚くほどに濡れており、私に発情したために唾液の交換を行いたいのがよくわかった。私は応えるように、口内を犯す舌を舐めとり、酷く性行為が進むように舌についた唾液を舐めとってゆっくりと飲み込んだ。さらに発情したあなたはゆっくりと私をベッドに倒し、共に熱い夜を過ごしたのである。

 私はあれから何度もあなたと結ばれて、体を重ねる度に罪悪感が積もっていった。

「なぁ、俺、めっちゃ好きやねん」

 今、こうして呟くあなたが愛しい。足を広げて愛し合おうと言ってしまいたい。本来ならこの関係は浮気であることをちゃんとわかっている。なのに愛と恋は別だからと自分に言い聞かせてしまっているのだから、私はどこか悪魔的要素があって、ひとを魅了することがほんの一部でもできるのだろう。よりにもよって、二人の人間に惚れられるなどとは思っていなかった。

「貴大、ごめんね」

 失礼な私は恋と愛を別にしか考えていない。恋はまるで届かない人物に憧れることで、愛は手中にいる人物との模様である。だからといって、あなたとの関係が決して愛にはならないわけではなく、たとえば私が彼氏と別れてしまえば叶うかもしれない。しかし一番に想っているのはあくまでも彼氏で、貴大のことは悪く言えばキープとしてしか思っていないのだろう。

 私の心中が、荒々しくどちらかにふみにじられたとしたならばどんなに楽であっただろうか。二人はそんなことは確実にせず、彼氏はたしかに私を雑に扱っているとは言ったが決して傷つくほどには痛めつけなどしない。一方貴大は巨峰が潰れないように、丁寧に丁寧に扱う。

 眉間に皺を寄せたあなたは私の髪の毛に唇をつけ、愛しそうに頭を撫でた。こんなときに、ああ、やっぱり彼氏に撫でられるのが一番気持ちいいと思い出すあたりが彼を一番に愛している証拠でもあるのだと気づかされる。

「なぁ、飯野」

「なに、貴大」

「俺ら、一緒にいられへんねんな」

「そうだよ、だってあたしは、」

「言ったらあかん!」

 あなたは急に怒鳴り、自分の頭をかき回した。

「あかん、あかん、あかんねん。俺はあのひとには何一つ勝てへん奴って思い知らされるから、やめてぇや……」

 泣きそうなあなたにどうしてこんなにも男は勝ちにこだわるのだろうと、そして本当はあなたは私の彼氏が気になってしようがなくて嘘の恋をしているのではないのかと考えた。

「貴大、私、もう帰るね」

「え、飯野? 飯野! 飯野! 待ってーや!」

 呼び止めるあなたを無視して家を出た。あなたは気づいているのかな、いつも「比護さん、比護さん」とあの人の名前を出していることに。
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