本日も雨が降るでしょう

 ああ、苦しい。息が、苦しい。
 大雨のなか、雨音よりも小さな足音を鳴らしながら帰路についていた。時折、大きな水たまりに片足ずつ突っ込んで、靴の中が絶望的に水を吸った。
 ああ、終わりだ。
 私はしがないイラストレーター。いくつかなんとか電子書籍を出版してもらっていたり、同人誌で売上を立てていたけれど、全部が全部空振りで、全部全部、ボツ、ボツ、ボツ、ボツ。
 どっかにいいネタ、落ちてないのだろうか。それこそ、ビビっと電撃を走らせてくれるぐらいの、ネタ。
 雨はちっとも止んでくれない。見上げると雫が目に入りそうで、自然と瞳が閉じた。
 このまま歩いていても仕方ないし、そこでちょっと雨宿りしよう。
 そうやって雨宿りに使ったのは、古びたそう大きくはないアパートだった。いかにも室内は畳のお部屋ですよ、と言わんばかりの見た目の古さだ。こういうお家も悪くない。今度はこういうお家も良いかもしれない。
 座り込んでから止まない雨を見上げた。さっきと違って、目に攻撃してくる雫がいないからジッと眺めることができた。空は白くて、眩しい。
「どうされました?」
 後ろから落ちた音に振り向くと、金髪で色黒のイケメンが、膝を曲げて私を見下ろしていた。その顔立ちがあまりに非現実で、背景の白い雲のせいか神々しくも見えた。
「……」
 見上げていると、彼が私を不思議そうにして見つめてくるものだから、その優しい瞳があまりにも人間らしくなくて、ああ、もしかして私はどっかでおっ死んだのか、はたまた路上で寝こけているのか、それとも全て幻想であるのか。
 呆然とする私に、彼は困ったように小首を傾げた。
「え、っと」
「天使……」
「……てん、し?」
「ついに自殺でもしたのかな、私」
「あのー」
「なんでしょう、天使」
「いえ、その。……天使って、僕のことです?」
「ええ、そうですそうです」
「僕はそこら辺にいるフリーターですよ」
 フリーター。
「じゃあ、私は生きているのか」
「ええ、そうですよ」
 そうか。
 ぐったりとうなだれた。
「いっそ、死んでいれば楽だったのに」
 頭を垂れたままの私は、沈黙を作るために膝を抱えた。私のことなど放っておき、そのまま野垂れ死ぬ様を後日、報道されれば良い。……ここは、日本だから、それも迷惑、か。
「死にたいんですか?」
「いまは、すごく」
「じゃあ生きたくなれば良い」
 そうやって彼は、私の腕を掴んで引っ張った。体はその牽引で立ち上がり、そのまま引かれて歩が前に進む。
 そしてついたのは、このアパートの一室だった。扉が開けられればそこは他人の日常があった。少し殺風景で、畳のせいか懐かしい香りがする。
 更に奥へ連れて行くために引っ張られ、急いで脱いだ靴が玄関に散らばった。濡れた靴下が短い廊下に足跡をつける。押し込まれた一室には、畳には不似合いなベッドと、普通のテーブル。
 部屋までイケメンってわけじゃないのか。
 押し入れを開けて、何やら取り出した彼は突っ立ったままの私に、頭から布を被せた。
「──」
 彼が口を動かしているのはわかるが、言葉が耳に入ってこない。
「──」「──」「──」
 いっそこのまま、音も記憶も感覚も熱も、全部全部、全部消えてしまえば。
「くつした」
 唐突に聞こえてきた大きな声に驚きで肩を揺らした。
「え、」
「靴下。脱いでください?」
 視線を足元に向ければ、そこには畳に染みを作る私の足があった。
「え、あ、は、はい。すみません……」
 我に返れた私は、もたつきながらもいそいそと靴下を指示通り脱いだ。ひったくられたために空になった自分の手を見つめる。と、そこに「はい」と別の物を突きつけられる。
「お湯をはるのでその服にとりあえず着替えていただけますか」
 どうやら、少々の長居を彼は許してくれたようである。死にたがりの、救命措置だろうか。



 風呂から出ると、少し気力が回復したのが自分でもわかった。台所に立つ彼へと視線は向けられないまま、俯きがちの頭をもう少し下げた。
「あの、すみません、お風呂……」
「いえ。丁度できたので持っていってもらえますか?」
 渡された青い皿はふたつ。白が濃い、クリームパスタ。
 されるがままに皿を受け取り、テーブルに並べる。置いた皿を立ったまま眺めるていると、背後から彼が「座ってください」と促した。
 ことり、と音を立てて置かれたカップにはスープらしき液体が入っていた。
「ほら、食べて」
 優しい音が、私をまた促す。
 上目遣い気味に彼の様子を見つつ、皿の上に乗ったフォークを手に取った。平べったいパスタをフォークに絡め、白いクリームをめいっぱい麺につけて口へと運び、頬張る。
 う、まい。うまい。
 ほっぺが落ちる。意味のわからない表現があったが、何ものにも変え難い気持ちを表現するためにできたのだろうか。
「どうです?」
「え、はい。…………おいしい」
「生きてて、よかったでしょう」
「あ、」
 はい。言おうとして、音がそこで途切れた。たまたまそこら辺に転がっていたやつに、なぜこんなに優しくするのか。
「……あの、なんで」
「死にたがっている方を放っておけるほど、僕は優しくありませんから」
 たしかに、あんなところで例えば私が死んでしまったとして、直前に会ったこのひとには迷惑になってしまう。
「死にたくなったらまた雨宿りしてください」
「あまやどり」
「ええ。曇りでも、晴れでも。雨は案外、いつ降るかわかりませんから」
 パスタにクリームを絡ませながら、青い皿から奪い取る。口に頬張る度に、色の比率は青が多くなっていく。
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