ポーカーフェイスのきみ

 いつでもすました顔をする彼女は、おれの部屋で、おれとソファーで隣合って、片手に持った携帯電話をじっと見ていた。
そしてそのまま表情を変えずに文章を打ち込む。

 なぜ、彼女はいつもこうなのだろうか。

「なに?」

 いまだ打ちこみ続ける彼女が顔をあげずに聞いてくる。
おれはべつに、と手元のコーヒーに口をつけた。

 ふーん。
興味がなさそうに頷く彼女は最後に一押し、送信かなにかしらをして携帯電話をテーブルに置いた。
そして、おれを見つめる。
なにを考えているのかわからない目で。

 その顔を、おれはどうにかして崩してやりたい。
そう何年も思い続けていたが、その日がくることはなかった。
表情を追えば追うほど、彼女のことを知りたくなるばかりで、けっきょくいまはおれの片想い、となってしまった。
しかし残念ながら彼女はあまりにもポーカーフェイスすぎて、ごく稀に笑ってくれるだけで、おれのことをどう思っているのかはわからない。
こうして会ってくれる、ということは嫌いではないのだろうが。

 例えばおれが、

「美咲」

 そう呼べば多少は表情を変えるだろうか。

「なに?」

 さっきと同じようなことばを発した彼女を、おれはえ? と言いながら見た。

「いま、名前呼んだでしょ」

「悪い、無意識」

「はじめて名前なんて呼ばれたからおどろいた」

「呼んでみたいと思ってたから」

「なんで? ほんと降谷って不思議なひとだね」

 狙わずに発したものでさえも、彼女は揺れないということか。

「きみには困ったものだよ。なにを考えているかわからない」

「そう? わかりやすいと思うけど」

「どこがだよ」

「だって、みんなわたしのすきなひと、気づいてるから。つまり、そういうことでしょ?」

 おれの言動は全て止まった。
まさか自分だけ気づいていないだなんて、これだけ彼女のことを見ていたというのに。

「すきなひと? だれ?」

「それ、降谷に言わないといけない?」

 まるで探るな、と言われているかのようだった。

「ああ、もうおれにはむりだ」

 これ以上、我慢するのは。

「なにが、」

 それよりさきのことばは聞こえなかった。
おれは勢いよく彼女の手を掴んだ。
ポーカーフェイスは健全だが、それでもきっと驚いているのだろう。

「お前、おれのすきなやつは知ってるか?」

「聞いたことがないから知らないけど」

「聞かせてやるよ」

 彼女の頭を押さえつけて、耳元に唇を寄せる。
穴のなかに息がはいるように意識した。

「美咲」

 すると彼女は「あ、」と小さな声を漏らした。
予想外の声に、おれはからだを離して彼女の顔を確かめる。
ほんの少し、顔が赤い。

 そうか、きっとこんな顔を見たかったんだ。

「美咲。美咲のすきなひとは?」

 できるかぎり優しく。
しかし彼女は顔をうつむかせ、首を振る。
少ししてその顔があがり、おれと視線が合った。

「降谷、だよ」

 まさか両想いだったなんてね。
そう彼女は呟いた。

「美咲」

「なに、」

「キス、していい?」

「そんなこと聞くの?」

「じゃあ、キスするよ」

 できるかぎり、優しく。

 しかし男という生き物は残酷で、なによりおれの欲求は高ぶっていて、静かに受け入れる彼女の舌を、犯すように、乱暴に、乱した。

 唾液が絡まる音が聞こえてきたころ、一度放してやると、少し、ほんの少し苦しそうに顔を歪めた彼女の顔がそこにあった。

 おれはその顔を見逃すまいと頬を両手で押さえ、ゆっくりとソファーに倒した。
肘で彼女の腕を押さえ、耳を遮る。
そのままさっきと同じように舌を犯す。
長引けば長引くほど、彼女は身動ぎし、口に隙間ができた途端、甘い声が零れた。
彼女の頭には官能的な唾液が混ざり合う音が聞こえていることだろう。

 唾液でいっぱいになった舌を、ゆっくりと、ゆっくりと、離す。
糸はすぐに切れて、彼女の口の端に落ちた。

 目はうっすらとだけ開け、口は息を正すために開き、名残惜しそうな音で、しかし恥ずかしいのか「いや、」と発し、顔は右を向いた。
だけどその表情は物欲しそうで。

 だれだ、いままで彼女をポーカーフェイスと決めつけていたのは。
いや、おれ以外だって認めていたはずだ。
だけど目の前の彼女はむしろ表情豊かだ。

「悪い、止められそうにない」

 彼女の両手首を束ね、頭の上で押さえつけた。

「降谷、待って」

「待てない」

「やだ、顔、見ないで」

「なんで」

「力が、でないの」

 なるほど、そういうこと。
いつもは気をはっていると。

「きみの歪んだ顔を死ぬほど見るまで、やめる気はない」
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