2-4ヶ月目

 この人、車を運転していたんじゃあなかったのか。
「警部、飲み過ぎですよ」
「ほんなことあらへんわ、まだ……まだ飲める」
「あー、もー、あかんわ。これ完全に酔ってはるわ」
 部下に窘められる綾小路警部を横目で見ながら、手元にあった烏龍茶を口元で傾ける。
 部下さんは私を見て、軽いため息を吐いてから「そーゆーことよなぁ」と頭を抱えた。なんだか少々失礼な気がしたが、訝しげな視線で返答をしたからか「あー、すんません」と謝罪があった。
「いや、綾小路さん、東京の白鳥警部から連絡があってから、相川さんと会えるの楽しみにしてはったみたいで。たぶん、めっちゃはしゃいだ結果、こんなことに」
 いや、はしゃぐって、そんな若者じゃないんだから。
「あ、ちなみに綾小路さんは二十八前後です」
「えー。若いねぇ」
 見透かされたかのような追伸に思わず笑ってしまった。私はどうやら、若者に散々心配をかけさせているらしい。あっちでも、こっちでも。
 デロンデロンになった綾小路警部を写真に納め、一応彼に一声かける。
「白鳥警部に写真送りますね」
「は? 何言うてはんねん、んなもん……。あーもーめんどうやしええわ、好きにしたらええ」
「はーい。そうしますねー」
 元気の便り代わりに白鳥警部に送り付ける。ついでに松田から連絡があるかを確認してはみるが、特になさそうだ。自分から連絡をしようとはしてみるものの、なんだか気が進まない。このようなところがよろしくないのだろうが、あんな別れ方をしたのだから余計に連絡しにくい。
 ふわぁ、とあくびをした綾小路警部は「アンタなぁ」と声を大にして喋り始めた。
「クマめっちゃすごいで」
「くま……?」
 あ、ばか! 他の刑事が急いで綾小路警部の口を止めようと動いたが、往生際の悪くなった彼は暴れてまで発言する。
「来たときビックリしたわほんま。その顔病人やで、病人! そら伊達刑事も心配しはりますわ。自分の体調管理が出来てへんくて何がやり手の警部や」
「ちょっと、警部!」
 そうして周りの人間がちらりと私の顔を見た。その瞳はまさに心配の色を含んでいた。
 近くにいた女性刑事の腕を取り、トイレへと駆け込んだ。鏡に張り付いて顔面を確認すれば、たしかにその顔は酷かった。どうやら化粧がよれて、少しは隠していたはずのクマが露わになっていたようだ。
「もしかして、きた時からこんな顔だった?」
「そう、ですね」
「はあ……マジ……?」
 この顔には見覚えがあった。それはこの世界に来る前、つまり前世で同じ顔をしたことがあったのだ。
 その時代、まさにIT業界社蓄時代。業界では自殺者が問題になった時代だ。いやそれよりも少しあとだっただろうか。社畜が支えてきた社会が、そう簡単に社畜なしで回る世の中に変わるわけがなく、劣悪な環境下のまま私たちは働かされていた。ばかみたいな作業工数、その割に人数も確保されないし、意味不明なタイミングでやってくるユーザーからの修正依頼。それに応えるために張り付いた笑顔を振りまく営業担当が無理難題を承知で「よろしく」と押しつけにやってくる。仕事を終わらせるために会社に泊まり込み、時には何度も徹夜をして、回らない頭を何度も叩き起こそうと大量にカフェインを摂取したものだ。
 過去を思い出して、私は再度大きなため息を吐き出した。かっこ悪い。
「すみません。言われるまでここまでとは思ってなくって」
 と、いうことはつまり、おそらく本庁から出るときに心配されたのはそういうことだろう。かっこ悪い。
「……連れ出してすみません。戻りましょうか」
 手元に化粧ポーチがあるわけでもないので、私はそのまま女性刑事と一緒にトイレから出て戻った。机には、言いたいことを言ってすっきりしたであろう綾小路警部が顔を突っ伏して眠っている。
「飲みすぎてもうたんやなぁ」
 戻ってきた私たちに、まるで言い聞かせるかのようにはんなりと喋るサイ犯の警視が薄く笑った。彼は私を手招きして呼び、隣に座らせる。
「ぶぶ漬けがなんたら、て聞いたことあらはる?」
「え、あ、はい」
「僕はそんな遠回しなことはよう言わんねやわ。悪いけどきょうはもうホテル行こか」
「わ、かりました」
「警察もよう働かせるからな。君のせいだけじゃないってわかっとるよ。でもちょっと自分を犠牲に働きすぎや。周りも頼らんと、周りのひともかわいそうやで」
「かわい、そう」
「頼られるのは信頼の証。その逆は、信頼されてへん、て取られがちや」
「そんなこと」
「わかってるわかってる。せやけどよう考えてみぃや。君が三十そこそこのとき、どうやったか」
 目の前の警視は、携帯電話を取り出して通話をし始めた。内容から察するに、どうやら私のタクシーを手配しているものと見受けられる。さっき言っていた通り、ホテルに帰れということだろう。
「あ、そうや」
 立ち上がろうとした彼が、動きを止めて私を見た。
「自分、えらいモテるんやなぁ」
「……はい?」
「いや、せやからようモテるんやな、て」
「え、と。自分ではそういった認識は、ないんですが」
「そうなん? 彼から僕のところに連絡きたんやけど」
「彼、ていうと」
「松田陣平くん。刑事部の子」
「同期、ですね。よくご存じで……」
「七夕の日の事件の件で色々とあの子とやりとりしてたしなぁ。そんときは刑事部からサイ犯に行ってすぐやってん、僕。それやしまだ刑事部とも仲良くてな」
「ああ、それで連絡取ったことが」
「そうそう。松田くん心配してたで」
「あー。……そう、ですか」
 歯切れ悪く返答をすれば、「なんかあったん?」と直球の質問が打たれた。
「えー、と。お付き合い、しているんですけども」
「え、コイバナ? うんうんそれで?」
「その、私、連絡をこまめに取るタイプではなくてですね」
「そんな感じするわ」
「まめな彼に、せめて『既読』にするように、と」
「彼ってそんなにまめなん?」
「私が知る限りでは私よりは確実にまめですね」
 ふーん。そう警視は残っていた酒を煽ってから、思いをはせた。
「彼的には、譲歩したつもりなんや」
「う。そ、そう、ですね」
「なんでそこまで気が回らんの?」
「なんで、でしょうねぇ」
「やっぱり業務が多すぎるんとちゃう?」
 ……彼の言う通り、たしかに自分のキャパシティは正直超えている。それはだいぶ前からわかっていたことだ。それを上長に報告せず、何かを犠牲にすればひとりでなんとかやれると思っていたし、実際にギリギリできてはいるけれど、これがあと半年も続くことを考えると体が持つかどうかは定かでない。いや、体は持つだろうが、他のことに気を回すことはひとつもできないだろう。
「君は損なひとやねえ」
 携帯電話を見ながら立ち上がった警視を見上げる。
「好きなひとには頼った方がええよ。その方が、相手はきっと喜んでくれるで」
 好きな人、と言われて思い浮かべるのはやはり松田で、もう何年もこの想い人の変更はなされていない。これからも変更の予定はない。
 ほないこか。そうして歩を出口に向けた彼の後ろを歩いた。私のほうが、生きている年数は長いはずだ。しかし、警視の年齢、おそらく五十は過ぎている年齢にまで達したことは一度もない。
 これが、年の功、ってやつか。
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