やさしさなんて知らなくてよかったころ

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ずっと昔にした約束を、僕は今もずっと覚えている。名前が覚えているかは分からないがそれでも僕はその約束を違えるつもりはなかった。僕にとって名前は、この世界できっと一生大切な、特別な女の子なのだろう。


そして今日、僕は大学を卒業し、社会人となる新しい岐路に立っていた。そんな僕の隣に名前は居なかった。遠く離れてしまった名前との距離。けれど、僕のこの気持ちが揺らぐ事は決してなかった。あの日、名前が僕と離れると決めたあの日から、僕はとの約束を守り続けている。いつか僕の隣に帰って来ると約束した名前。僕はその言葉を信じて、待ち続けている。


僕等が離れ離れになってから、もう7年が経った。名前はどうしているだろうか。電子機器が発達した時代だと言うのに、僕等は連絡取り合ってはいなかった。名前が、望んだ事だった。僕の隣に立つ為に、一度僕から離れる事を決めた。そしてそれは僕も了承した事だった。名前が望むのならば、僕もそうしようと、そう決めた。だから連絡はしなかった。手紙も、電話も、何一つ、名前と関わる事なく僕は学生生活を終えたのだった。


それでも、僕は名前を待つ事をやめていなかった。もう、僕の心の中には名前でなくてはいけない部分があって、それは名前以外では埋めることなど出来ないのだ。どんなに他の女が、言いよって来たとしても、絆されることは決してない。ずっと昔から、僕にとっての特別女の子は名前だけなのだ。


待つと決めた。名前が自分を認める事ができるまで、僕の隣に立てると思えるその日まで、待つと決めた。けれど、どうしても会いたいと言う気持ちだけはどうにもならなかった。会って名前をこの腕の中に抱き締めたいと思った。触れて、あの声を、あの笑顔を名前の全てを感じたいと思った。


「まだ、なのか…?」


まだ、まだ名前は自分を認める事が出来ないのだろうか。まだ名前は僕の隣には立てない言うのだろうか。本当はあのままでも、良かった。依存してしまっても良かったのだ。僕を頼って、僕が名前にとっての全てであっても良かったのだ。けれど、名前はそれを拒んだ。僕と対等の存在で在る為に、僕の隣に胸を張って立っていられるようにと、名前は僕と離れる事を選んだ。


その想いが分かったからこそ、僕は離れる事を認めた。名前の想いを尊重したかった。そして、あの日呟いた名前の言葉を、僕は信じたのだ。戻ってくると言った、隣に帰ってくるとと言った。だから僕はその言葉を信じている。きっと、名前は帰ってきてくれる。そう信じて、祈っていた。




社会人としての準備の為に、僕は新しい住居へと引っ越しをしていた。荷物を運び終えてからは、ひたすら新しい部屋に仕舞っていく。大事な物を多く詰め込んだ箱には、名前関係の物が多く入っていた。忘れる事のない名前の笑顔。その笑った顔で僕の名前を呼ぶ名前が好きだった。声を失ってからの名前は笑えことをしなくなった。ぎこちなく笑う笑顔は、僕の好きな笑顔ではなかったのだ。悲しく、眉を下げて笑う笑顔は、助けを求めているような、そんな笑顔だった。


荷物を整理していれば、チャイムが鳴った。まだ運ばれていない荷物があっただろうかと考えながら、玄関へと足を向ける。スコープで確認する事もなく、ドアを開けば其処には僕の大好きな笑顔をした名前が立っていた。


「征十郎、ただいま!」


大好きだった、笑顔で、声で、僕の名前を呼び穏やかに笑う名前が、僕の目の前に居た。これは夢ではないのだろうか。都合のいい夢を見ているのではないかと思った。けれど、伸ばした手を握って名前が優しく笑うから、名前の温もりを感じたから、夢ではないのだと、働かない思考を必死に繋ぎとめる。握った掌をそのままに、名前を抱きしめれば、ふわりと香った。名前だと、思った。ずっと待ち望んていた名前だった。何も呟かずに、ただ名前を抱き締めた。名前が居る事を、実感したかった。


「名前、」
「はい、征十郎。」
「名前っ、」
「征、十郎」


呟かれた僕の名前が身体に浸透していった。久しく聴いていなかったその声で、僕の名前を呼ぶ名前がとても愛おしかった。ずっとずっと会いたかった。抱き締めたかった。今、目の前に名前が、いる。


「征十郎、待っててくれて、ありがとう。」


そう言って笑った笑顔は僕がずっと待ち焦がれていた、その笑顔だった。お帰りと呟いて、また僕は名前を腕の中に閉じ込めた。





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