やさしさなんて知らなくてよかったころ

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Why | ナノ



「お帰りなさい、征十郎!」
「ただいま名前。」



征十郎と一緒に暮らし始めてから、お決まりとなったこのやり取りは、私が強く望んでいたものの一つだった。昔では返事が返ってくる事なんてあり得なかった。それが今では大好きな彼が、私の言葉一つ一つを大事に受け取ってくれる。返事を返してくれる。当たり前の事が、私にとってはそうではなかった。だからこそ、征十郎は私に対してどんな些細な事でも、とてもそれが大事なことであるかのように接してくれる。それがとても嬉しかった。



「ご飯できてるよ?食べる?」
「ああ、そうするよ。」
「今日は鯵の開きです!」
「焦がさずに焼けたのか?」
「ちゃんと焦がさずに焼けましたっ!」



クスクスと笑っている征十郎をきっと睨めば、悪かったと言って頭を撫でてくれた。征十郎の手は魔法の手ではないかと思う時がある。征十郎のその手に触れるだけで、触れられるだけで、私は酷く安心するのだ。ああ、私はここに居ていいのだと思える。私を必要としてくれる征十郎。私に居場所を与えてくれる征十郎。小さい頃から変わらないこの想いが、征十郎にとっても心地良いものであるようにと願ってる。



「お仕事はどう?もう慣れた?」
「まあ、一通りできるぐらいにはね。」
「…ほんと何でも出来るね、征十郎は。」
「そんな事はないよ。僕にだって出来ない事ぐらいあるよ。」



穏やかに笑う征十郎に、私は目を逸らす事が出来ない。こんな風に笑っている征十郎を、昔の皆が知ったらどう思うだろうか。かつては主将として、チームを纏めるその圧倒的な存在感。誰もが征十郎に逆らう事など出来なかった。その彼を知っているからこそ、今の征十郎を見たら皆驚くのではないかと思うのだ。でも、本当は知っている。征十郎がとても優しい事を、皆の事をすごく大切に思っている事も。だから、だからこそ、この穏やかな笑みが私だけに向けられるものであって欲しいと願う。その笑みに含まれた想いが、私に対する特別な感情を持つ故なのだと思いたい。私にだけ見せてくれるその穏やかな笑みを、独り占めしたいと思うのだ。それぐらい、私にとって征十郎は居なくてはならない存在となっているのだ。

征十郎は努力の人だと思う。もちろん持って生まれた圧倒的なセンスというものも在るだろう。けれど、いくら才能があったとしても、それを開花させようとしなければ、埋れてしまうだけだ。征十郎はその才能を見事に開花させた。それはかつての仲間たちも同じである。後にそれが原因で崩壊へと繋がってしまったが、それでも努力なしには今の征十郎は居ないのだ。それを私は良く知っている。知っているのに、たまに嫉妬する時がある。何でも出来る裏には、その人の努力があると知っているのに、それでもたまに羨ましいと思ってしまうのだ。それは目の間に居る征十郎が、あらゆる事をさらりとこなしてしまうからだと思う。必死になる征十郎なんて、私は見た事がないのだ。彼は全ての事において、簡単にやってのけてしまう人だから。



「征十郎はすごく必死になった事ってあるの?」



何だか今日はいつもより征十郎を羨ましい思ってしまった。理由は分からない。それでもなんだか心の中にあるもやもやは消えなくて、つい口に出してしまった。さっき征十郎は努力の人だと自分で言ったのにも関わらず、私はくだらない質問をしてしまった。けれど、興味があるのは事実であり、私は征十郎の答えをじっと待った。



「もちろんあるよ。」
「えっ?あるの?」
「名前は僕を何だと思っているんだい?」



苦笑しながら征十郎は私が作ったご飯を食べていく。そっか、征十郎にも必死になるような事があったのか。そしてまた心の中にもやもやが積もる。今度は何だと思って、自分の思考を漁ってみる。征十郎は何でも簡単にやってのける人だ。そんな彼を必死にさせる出来事って何だろう。もやもやがどんどん大きくなって、それが顔に出てしまったのか、征十郎が少し心配そうに私を覗き込んでくる。少しだけ顔を上げれば、ぱちりと目が合った。どうした?と優しく聞いてくる征十郎に、ああ、そっか、ともやもやの正体が分かった。これは嫉妬だ。征十郎を必死にさせた物に対して、私は嫉妬していたのだ。



「私、とっても独占欲が強いみたい。征十郎に対して、自分が思ってる以上に。」
「…名前、」
「今だって、征十郎を必死にさせた物に対して、嫉妬してる…!」



こんなに心が狭い自分に、今更気付くなんて。よく考えれば、昔からそうだったじゃない。征十郎が楽しそうに笑っていたあの子に対しても、私は嫉妬していたのだ。いつだって征十郎は私の特別な人だった。その人が今目の前に居て、私に微笑んでくれているのに、それでも私は征十郎の全てを手に入れたいと思っている。なんて、強欲で、浅ましいんだろうか。



「名前、聞いて。」
「っ?」
「僕が必死になった唯一の事はね、名前の事なんだよ。」



優しく、私に全ての事が伝わるようにと囁いた征十郎の顔が、とても穏やかだった。私の大好きなその笑顔が、目の前にあった。そっと伸びてくる手が、わたしの溢れた涙を拭う。その行動さえも優しくて、慈しみが溢れていた。



「私の、こと?」
「ああ、と言うか、今もなんだよ。」



いつの間にか頬から私の手を握り締めている征十郎の手に、ふと視線を送れば、そこにはきらきらと光る証が、私の薬指を輝かせていた。自分の手から征十郎を見つめ返せば、少し照れたような、戸惑っているような、そんな征十郎が居た。



「結婚しよう、名前。」



また、涙が零れ落ちた。





130313
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