やさしさなんて知らなくてよかったころ

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私はこの世界とお別れしたはずだった。治らないと言われ、それでもまだ生きていたかった私は懸命に病と闘った。苦しい治療にも耐えた。でもダメだった。私はそんな努力も虚しくこの世界から消えてしまった。悲しかった。もっとみんなと一緒に過ごしたかった。みんなと、あれ、みんなって誰だ。みんなって誰のことを言っているんだろう。分からない、思い出せない。どうやら私の記憶はこの世界から消える時に、一緒に白紙にされてしまったようだった。大切だったはずなのに、私の記憶の中には存在しない。ぽっかりと空いた虚しい空間は私を追い詰めるだけだ。どうして記憶を無くした私は、またこの世界に居るのだろう。私はこの世界に何か大事なものを置き忘れてしまったのだろうか。私にとって何が大切だったのか、今の私には分からない。けれど、ぽっかり空いたこの場所には大切な物があったはずなのだ。あるはずのない記憶が私に思い出せと言っている。私はきっと大切な何かを忘れている。

「あー要っち!おっはよー!」
「いってぇ!何すんだこのクソ猿!」
「おはようございます要くん。」
「ああ、春。おはよう。」
「今日もガリ勉ですか、眼鏡くんは。」
「おい、誰が眼鏡くんだ。あ?」
「暴力反対ー。」
「お前がいらん事いうからだろうが!」

とても賑やかな人達だ。とっても楽しそうで私もあの中にはいりたいと思ってしまった。何故だろう。知らない人たちの中に入りたいだなんて、私らしくない、ような気がする。でも彼等の中に入りたいと思った。私は彼等を知っているのだろうか?でも私の記憶はあやふやで、定かなものではないし、確かめる術もない。私はもうこの世界に居なくて、誰も私事が見えない。誰からも見えないのに、どうして私はまた此処に居るの。何の意味があるの。大切だった人達との思い出も持たずに私は今、この世界で独りぼっちだ。誰も私に気付かない。まるで私なんて始めから居なかったかのようにこの世界は進んでいく。止まることなんてなくて、私がこの世界から消えたって、何の影響も出ない。それだけ私はちっぽけな存在。

「そう言えば祐希、悠太はどうした?一緒じゃないのか?」
「…悠太は今日はお休み。」
「えっ!悠太くん体調悪いんですか?!」
「あっ、違う違う。ほら、今日は例の日なので。」
「ああ、…もうその日か。」
「えっ、今日何の日なの?」
「…幼馴染の命日。」

幼馴染。ああ、何で忘れてたの。そうじゃない、彼等は私の幼馴染じゃないか。祐希に春、要。私の大切な人達じゃない。一人だけ知らない人が居るけどきっと新しいみんなの友達なのだろう。いつも一緒にいた大切な人達。私もあの輪の中に居たのにね。たくさん笑いあって、たくさんくだらない話をして。とても楽しかった。貴方たちと一緒にいた時間が一番楽しかった。もう、一緒に過ごすことはないけれど、それでも私の事を覚えていてくれたんだね。それだけで私は充分だよ。そして此処に居ない私のもう一人の幼馴染。彼に会いたい、会いに行かなきゃ。場所は分かるような気がした。多分、私の

「今日も寒いね。」

悠太。彼の名前を呼んでもこの声が届くことはない。ねぇ、全部思い出したよ。ぽっかり空いたこの穴の正体に気付いたよ。全部忘れていた、忘れたかった。そう、私は自分の意志でこの記憶を消したんだ。いつも一緒に居た。でも私はもうすぐ死んでしまう。これからを生きて行く貴方たちの中に、私が居ない事が悲しくなった。私の存在が無くなってしまうのが怖かった。だから私は大切な人達の記憶を消した。卑怯者だって分かってる。でもそうでもしないと私は死を受け入れる事が出来なかった。本当はもっと生きていたかった。でも私の命は刻々と削られて、もう止める術はなかった。死ぬ事が怖いと、一度弱音を漏らした事があった。言うつもりなんてなかった。でも彼が、悠太が優しく私に触れるから思わず零した。言ってはいけなかった。重荷になってしまう事ぐらい分かったのに。もう治療出来ないこの体のことを私が一番知っていたのに。それでも彼は抱き締めてくれて、うん、って言ってくれた。私の弱音を受け止めてくれた。だから私は初めて泣いた。もう助からないと知らされたあの日からずっと、泣かなかった。意地でも泣かないでいた私が初めて、悠太の前でないてしまった。その後も悠太は私が泣き疲れて眠ってしまうまで側に居てくれた。

「ちゃんと大好きな食べ物持ってきたよ。」
「うん、ありがとう。」
「ああ、そう言えば新しい友達ができたよ。」
「うん、さっき会ったよ。」
「何か昔祐希と遊んでたみたい。」
「そうなんだ、」

ねぇ、私此処に居るよ。悠太の目の前に居るよ。気付いて、私に気付いて。もう幽霊だけど、私は此処に居るんだよ。いくら私が悠太の名前を呟いても、彼は気づいてくれない。私の声は届かず空気に溶けるだけ。悠太、悠太、貴方が好きです。ずっと、ずっと好きでした。優しい貴方に私は恋をしていました。けれど私は悠太よりずっと早く死んでしまう。だからこの想いを伝えることなんて出来なかった。未来を語れない私なんかより、元気にこれからを生けていける子の方がいいに決まってる。悠太に悲しい想いなどさせない子の方がいいに決まってる。それでも私はやっぱり悠太が好きで、優しく頭を撫でられる仕草が好きで、笑った顔がとても好きで、全てが好きだった。悠太、私のやり残した事、それはね、君に想いを伝える事だったよ。でも私の事が、見えない悠太には伝えられない。もう死んでしまった私には、伝えられないよ。悠太、悠太、貴方が世界で一番好きでした。大好きでした。貴方の隣で未来を語りたかった。側に居たかったよ。




(彼女が泣いているような気がした。)



***
花吐き様に提出。
参加させて頂きありがとうございました。

胡已 120128
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