やさしさなんて知らなくてよかったころ

Information

spanで下線
markでマーカー
strongで重要事項
emで強調
セクションリンク
class="link"

class="left"で左揃え

midashi

section>section

Main contents

Long story

定義リスト
テキスト
リンク *
テキスト

Short story

icon
short | ナノ



これの続き



「今、なんていいました…?」



おかしい。おかしい。今、宜野座さんは何て言ったのだろうか。聞き間違いだろうか。私はとうとう耳まで可笑しくなったとでも言うのだろうか。いや、本当は分かってる。ちゃんと聞こえていたし、聞き間違いじゃないことも分かってる。ただ私はその事実を受け入れたくないだけだ。だって宜野座さんは今、私に執行官になれと、そう言ったのだから。



「正式な通達は後日来るだろう。それまでに荷物をまとめておけ。」
「私やるだなんて言ってない!」
「拒否権などない。これは俺の手に余ることだ。」



そう言って宜野座さんは出て行った。ただ呆然と居座る私をあとにして、彼は一度も振り返ることなどしなかった。どうして、今更、なんで。ぐるぐる回る思考の中で、ただ一人頭に浮かぶ顔があった。だけど、私はこんな事望んでなどいなかった。もう二度と戻りたくなかったあの場所。昔上司だったあの人がいる場所へ、愛しい彼が居るあの場所へ戻ることなんてしたくなった。だって、あの場所に居たら私はきっと、私を見失ってしまう。私という存在が消えて、なくなってしまう。

私自身、共感能力が異様に高い事ぐらい知っている。だからこそ、潜在犯を捕まえる事において、非常に貢献することだって充分、分かっている。けれど、あそこに戻れば私のサイコパスは曇っていくだろう。今更、サイコパスが濁る事に対して抵抗などないけれど、それでももし、境界を越えてしまったのなら、私はあのドミネーターで処分されるだろう。狂ってしまった潜在犯として、肉の塊へと姿を変えるのだ。



「どうして…今更。」



私は自由になったはずだった。檻に閉じ込められる事なく、技術者として勤めていけばいいはずだった。私を殺さずに生かした理由。それはいつかの日の為に、また私を利用する為に与えられた架空の仕事だったとでも言うのだろうか。私は、結局は潜在犯として生きていく事しか許されないとでも言うのだろうか。そんなの、分かっているのに。一番私が知っている。結局は籠の中の鳥なのだ。そして私の中には不安だけが溜まっていく。一番恐れていたものが、また近付いてきてしまった。またあの時のような、背後に死を漂わせながら生きていく、そんな生活の中に身を置かなくてはならなくなった。そう、私は、死にたくないのだ。

世界が私を潜在犯だと拒絶しても、私はこの世界が好きだった。それは別にこの世界の仕組みが好きだからという訳ではない。私にとっての世界は、私の大切な人が居る世界だ。その人たちが居て初めて、私の世界は樹立する。逆に言えばその人たちが居なければ、私の世界は消滅するのだ。私の大切な人たち。大好きな人たち。その人たちと一緒に居る事が出来なくなる事が辛い。その人たちと笑いあえなくなるのが悲しい。皆が居るその場所に私も居たいと思うのだ。



「本日付けで、執行官に配置になりました。里中真千です。」



私が嫌った世界は、また私を恐怖に陥れる。もう止める術など知らない。私は坂道を転がり始めてしまった。どんどん加速していく思いは、ただの恐怖だ。いつ死んでしまうかも分からない、そんな明日のない生活へ戻ってきたのは私だ。執行官が嫌なら逃げてしまえば良かったのか。それとも檻に閉じ込められ、一生をそこで過ごせば良かったのか。どれが正しかったのかなんて、もう分からない。私は一番恐れていた場所に、自らの足で戻ってきてしまったのだ。ただ一つだけ許されるのなら、私はこの世界でまだ生きていたいのだ。



「真千!どういう事だよ!」



一先ず挨拶だけを済ませ、これからの仕事内容について宜野座さんと確認しようと思った矢先の出来事だった。分かっていた事だったが、いざ秀星を目の前にすれば、何をどう言い繕ったって、全てが無意味なような気がした。それぐらい秀星の表情は強張っていたのだ。



「宜野座さん、ちょっと失礼します。」
「…30分だけやる。」
「ありがとうございます。」



そう言って秀星の腕を引き、部屋を後にした。向かうのはいつものラウンジ。秀星が任務から帰ってくるのをいつも待っていた場所だった。もうそれさえもなくなってしまうのかと思うと、少しだけ視界が滲んだような気がした。

秀星の腕を静かに離し、ソファに座った。隣に座る事をしないで、向かいのソファに腰を降ろした秀星は、相変わらず険しい表情のままだった。どう、話を切り出したらいいのか、思案に耽っていれば、以外にも先に口を開いたのは秀星だった。



「何で、戻ってきたんだよ。」



それは、重々しく呟かれた。秀星を見つめれば返ってくるその視線に、私は安堵していた。ああ、まだ私の世界は生きていると、そう感じたからだ。これからの任務は、私にとって過酷な物になるだろう。それはきっと皆が知っている事実だ。宜野座さんだって分かっている。でも、宜野座さんの力ではどうする事も出来なかった。それ程上からの圧力があり、捕まえなくてはならない潜在犯が居る事を示す。私はきっとサイコパスを濁らせて、朽ちて壊れていくのだと、そう思うのだ。悲観的になっている訳でも、諦めている訳でもないのに、その幻想はこびり付いて、いつまでも私の中に在り続けている。怖いくらいに、とても鮮明に、私の記憶に張り付いているのだ。



「秀星、私もね、戻ってきたくなんて、なかったんだよ。」



ぽつりと呟けば、目の前には歪んだ顔の秀星がただじっと私を見つめ返していた。ねぇ、私もね、死にたくなんてないんだよ。ずっとこの先も、秀星と一緒に生きていきたいの。ただ同じ世界で、同じ景色を見て、笑い合えたのなら、それで良かったんだよ。隣に居れるだけで良かったの。こんな結末なんて、少しも望んでなんかいなかったんだよ。







(僕等は願う事さえも許されないのか)




130315
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -