やさしさなんて知らなくてよかったころ

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綺麗だと思った。何が、だなんて具体的な事は何一つ言えないのだけれど、その瞬間、その空間のあの人がとても綺麗だと思った。弧を描くボールも、それを投げたあの人も、宙に舞った全てが綺麗だと思えた。そして私は名前も知らない彼に、あの一瞬で恋をした。


彼は「上木鷹山」という名前だった。あの時は分からなかったけれど、実は私は彼の事を知っていた。知っていたと言っても、本当に名前を知っているだけで話した事はない。彼は私のクラスメイトだった。バスケでは圧倒的に不利な身長である彼。それでも練習を欠かす事などなくて、それ以上に自主的にトレーニングをしているらしい。この情報は最近何故か仲良くなった豹に聞いた、というより教えてもらった。話しかければいいと豹は言うけれど、そんな事など出来るはずもなく、こうして影から見つめるのが精一杯だった。なんの取り柄もない、なんてことない普通の私には無理な話だった。

「豹を、みなかった?」
「みっ、見てない、です。」


そんな事を思ってたいた矢先、私は上木くんに話しかけられた。この時ばかりは豹に感謝だ。私の席は実は廊下側の一番後ろ。この場所は廊下からの隙間風で寒くて仕方ない。それに一番後ろという席は何かと誰かを呼んできてくれと頼まれる事が多い。いつもはちょっと面倒な席になってしまったなあ、なんて思うのだけれど、今初めてこの場所で良かったと思った。だって、あの、上木くんとお話できたのだから。


「あのっ、豹に用事だった、んだよね?」
「…呼人に、これ渡すように頼まれたんだ。」


何とか会話を続けたくて、私から切り出してみたけれど、どちらかと言えば話下手な事もあり、話を広げる事ができなかった。これ、と言った上木くんの手には何やらたくさんの学校名が書かれたプリント。不思議に思って、覗いていたらその視線に気付いたのか、ちらりと私を見て教えてくれた。


「練習試合の日程表だよ。」
「えっ!こんなにやるの?!」
「一年間で300試合ぐらいはやってるよ。」
「さっさんびゃく?!」


バスケ部が強豪だとは知っていたけど、そんな数の試合をこなしていたなんて知らなかった私は、ただ驚くしかなかった。こんなに試合をして、そして練習もして、そりゃあ豹が逃げたくなるのも分かる気がした。私だったらきっと一日だってもたない自信がある。みんなすごいんだな、ただ本当にそう感じた。


「見に行ってみようかな、」
「え?」
「試合!見たことないし、それに今週ここでやるみたいだし?」


さっきの日程表に書いてあった事を伝えれば、何だか上木くんは難しい顔をしていた。何か気に障るような事を言ってしまっただろうかと考えて、はっとした。試合を見に行くなんて、部外者である私が軽々しく言ってはいけなかったのではないか。練習試合だとしても、それは列記とした試合であり、部員の人たちは真剣なのだ。それを野次馬気分で見に来られても迷惑なだけだ。なんでもっと早く気付かなかったのだろうか。


「ごっごめんなさい!」
「え?」
「部外者な私が試合見に行くなんておこがましかったです!」
「ちょっと待って、そんな事思ってないよ。」
「でもだって、嫌そうな顔してたよ…?」


違うんだ、そう言って上木くんは口を閉ざしてしまった。未だに難しい顔をしたままな上木くんは、何かを私に伝えたいのか、目線を合わせては逸らし、口を開けようとはするけど、言葉は発しない。言いにくいことなのだろうか。そんな上木くんの様子をみて、段々と不安になっていく私。

私はきっとあの瞬間から上木くんに惹かれていたんだと思う。きらきらした世界の中心に居た彼に、私は恋をした。私が見たことのない世界を知っていると思った。その世界を知りたいと思った。あの日から私は上木くんを目で追うようになった。そして欲が出た。彼の、上木くんの世界に私が入れたらいいと、その瞳に私を映して欲しいと思った。


「試合、きっと僕はまだ出れない。」
「まだ…?」
「まだ、認められてないから。でも絶対にスタメンになる。コートに立つんだ。」


そう言った上木くんは、とても凛としていた。ああ、やっぱり私はこの人が好きだと思った。芯を持って、自身を曲げない。誰かに頼る事なく自分で道を切り開こうとする、その瞳は私の好きな上木くんだった。私は上木の世界に入る事が出来るだろうか。少しづつでもいい、私をその視界に留めて欲しい。そしていつか、君の隣に立って居たいと、そう強く願った。そして想いを伝える事が出来ればいい。君が好きだと、私自身の言葉で伝えたい思った。だから、もう少しだけ時間を頂戴。きっと、必ず、貴方に伝えるから。





(きっともうすぐ君たちは気付くだろう)





130119
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